山家集のミス一覧   未校正です。

◎「吉野山かぜこすくき」歌と「かざこしの嶺のつづき」歌について

 吉野山かぜこすくきにさく花はいつさかりともなくや散るらむ
    (岩波文庫山家集272P補遺・西行上人集・山家心中集)

この歌は下句にミスがあるものと思います。「いつさかりともなく」
以下が、「かざこしの嶺のつづき」歌と同一です。同一ということが
たまたまあるということは認めて良いことだと思います。

 かざこしの嶺のつづきに咲く花はいつ盛ともなくや散るらむ
      (岩波文庫山家集31P春歌・新潮83番・西行上人集・
           山家心中集・宮河歌合・玄玉集・夫木抄) 

吉野山」歌の出典は西行上人集及び山家心中集です。ただし
岩波文庫版にあるこの歌は日本古典全書本(朝日新聞社刊行)が
底本とのことです。

底本である昭和62年4月5日、第一書房の復刻発行、伊藤嘉夫氏校注の
日本古典全書【山家集】では「吉野山」歌のような歌語になっています。
この書物は昭和22年12月、朝日新聞社から初版発行です。

 吉野山かぜこすくきにさく花はいつさかりともなくや散るらむ

佐佐木信綱博士校訂、岩波書店発行文庫版の【山家集】の「後記」
及び「諸言」では次のように記述されています。

『伊藤嘉夫君が見出された残集、及び同君の日本古典全書本の山家集
の補遺中から抜粋したものを、巻末に附載し、索引をも添へた。
(中略)昭和31年10月』

以上によって岩波文庫山家集記載の「吉野山」歌は伊藤嘉夫氏校注の古典
全書本から採られていることがわかります。古典全書本の校正ミスであり
岩波文庫版も古典全書本のミスをそのまま継承したことになります。

岩波書店発行の【中世和歌集 46 鎌倉編】(新日本古典文学大系)
所収の「山家心中集(近藤潤一校注)」では下のような歌になって
います。ネット検索した「西行上人集」でもほぼ似た歌です。
さらに昭和10年2月15日、大岡山書店発行、著者伊藤嘉夫氏の【西行
法師全歌集】でも「西行上人集」と同様です。

吉野山風こすくきに花咲けば人の折(る)さへ惜(しま)れぬかな
                     (山家心中集)

吉野山風にすすきに花咲けば人の折るさへをしまれぬかな
                     (西行上人集)

「山家心中集」の歌の配列は、以下のように「かざこしの嶺」歌の次に
「吉野山風こす」歌があります。これが校訂をする時に「かざこしの嶺」
歌の下句「いつさかりともなくやちるらん」を16番歌の下句にも
うっかり記述してしまって、校正の時にも見逃してしまったという
ことがミスの真相でしょう。このミスが岩波文庫本に引き継がれたと
いうことですから、改めて「校正おそるべし」と思います。

 0015
かさこしのみねのつゝきにさく花は
いつさかりともなくやちるらん
 0016
よしのやまかせこすくきにさく花は
人のをるさへをしまれぬかな

 かざこしの嶺のつづきに咲く花はいつ盛ともなくや散るらむ
      (岩波文庫山家集31P春歌・新潮83番・西行上人集・
           山家心中集・宮河歌合・玄玉集・夫木抄) 

 吉野山かぜこすくきにさく花はいつさかりともなくや散るらむ
    (岩波文庫山家集272P補遺・西行上人集・山家心中集)


◎ 岩波文庫新訂山家集 佐佐木信綱校訂 1928年10月(昭和3年)
  岩波書店第一刷発行。

◎ 日本古典全書山家集 伊藤嘉夫校注 1947年12月(昭和22年)
  朝日新聞社初刷発行。

◎ 山家集       伊藤嘉夫校注 1987年4月(昭和62年)
  第一書房発行(朝日新聞社版の復刻発行)

◎ 纂訂西行法師全歌集 伊藤嘉夫氏校注 1935年2月(昭和10年)
  大岡山書店発行

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◎ 述懐十首歌中の不足歌について

岩波文庫山家集190ページに

「百首の歌の中、述懐十首 一首不足」と印刷されています。実際に9首しかありません。

新潮古典集成では十首揃っていて、岩波文庫にはないという状態です。
これは岩波文庫山家集の校訂ミスではありません。岩波文庫版が底本とした
「山家集類題」にも一首不足しています。


 百首の歌の中、述懷十首一首不足

いざさらば盛おもふも程もあらじはこやが嶺の春にむつれて
 
山深く心はかねておくりてき身こそうきみを出でやらねども
 
月にいかで昔のことをかたらせて影にそひつつ立ちもはなれむ
 
うき世とし思はでも身の過ぎにける月の影にもなづさはりつつ
 
雲につきてうかれのみ行く心をば山にかけてをとめむとぞ思ふ
 
捨てて後はまぎれしかたは覺えぬを心のみをば世にあらせける
 
ちりつかでゆがめる道をなほくなして行く行く人をよにつかむとや

はとしまんと思ひも見えぬ世にしあれば末にさこそは大ぬさの空
 
ふりにける心こそ猶あはれなれおよばぬ身にも世を思はする

不足しているのは以下の歌です。


深き山はこけむすいわをたたみあげてふりにしかたををさめつるかな


新潮古典集成山家集423ページ、歌番号は1511番。
この歌は以下の書に採録されています。

 日本古典全書山家集 伊藤嘉夫校注 1947年12月(昭和22年)
  (朝日新聞社初刷発行。)には当然に採録されています。

佐木信綱博士は日本古典全書山家集からたくさんの歌を補遺として採録して
いながら、なぜこの歌を入れなかったのか、それが不思議です。

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◎ 単純な校正ミス

○ 57詞  題らしず→題しらず 
○ 88詞  寂蓮→寂然
○ 131詞 かたきことなり→ありがたきことなり(略したか?)
○ 134詞 小袖はせたり→小袖給はせたり (類題と同一、略語か?)
○ 178詞 僧綱→僧
○ 180詞 左京太夫俊成→京太夫俊成
○ 184詞 皇太后宮大夫→皇后宮太夫
○ 202詞 右大臣さねよし→大臣さねよし
○ 223詞 斎宮→斎
○ 247歌 「よもすがら」歌。 影たたたみおく  が一字多い
○ 252詞 阿弥陀の光願にまかせて→阿弥陀の光願にまかせて(平安時代は句読点はないが)
○ 264詞 寂為→寂然


○ 山家集では(別当湛快三位、俊成)と三位の後に読点がつけられて
います。読点の位置の誤りのため、湛快は三位であったと受け取れ
ます。正しい位置は(別当湛快、三位俊成)となります。

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岩波文庫山家集巻末後記によると、「重複したものには、歌の下に△を付した」
とあります。○は他本から補入した歌です。

○知れよ心思はれねばとおもふべきことはことにてあるべきものを  ▲ 
            (岩波文庫山家集252P聞書集215番)

重複していず、一首のみしかないのに▲はミス


○261ページと97ページ 「篠村や三上が嶽」「篠原や三上が嶽」の二首あり、▲なし

 261 篠むらや三上が嶽をみわたせばひとよのほどに雪のつもれる
           (岩波文庫山家集261P聞書集256番・
             西行上人集追而加書・夫木抄) 

 97  しの原や三上の嶽を見渡せば一夜の程に雪は降りけり   ○あり
         (岩波文庫山家集97P冬歌・新潮欠番・ 
              西行上人集追而加書・夫木抄) 
△はなし
あるいは同一歌と解釈していなかったかもしれないが・・・?
○は補入歌歌なのでOK


163  恨みてもなぐさめてまし中々につらくて人のあはぬと思へば  △なし
          (岩波文庫山家集163P恋歌・新潮1346番) 
            
156 うらみてもなぐさみてましなかなかにつらくて人のあはぬと思はば  ○あり
  (岩波文庫山家集156P恋歌・西行上人集追而加書・玉葉集) 

△はなし、○はOK

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他者詠歌の可能性のある歌

登蓮法師作
◎ 清見潟月すむ夜半のうき雲は富士の高嶺の烟なりけり(73P)
           (岩波文庫山家集73P秋歌・新潮319番・
                    続拾遺集・玄玉集)
                 
詠み人知らず
◎ 月かげのしららの濱のしろ貝は浪も一つに見えわたるかな
         (岩波文庫山家集83P秋歌・西行上人集追而加書・夫木抄)

藤原匡房作
◎風さむみいせの濱荻分けゆけば衣かりがね浪に鳴くなり
          (岩波文庫山家集95P冬歌・新潮欠番・
             西行上人集追而加書)

経盛作説あり
◎何故か今日まで物を思はまし命にかへて逢ふせなりせば
           (岩波文庫山家集151P恋歌・新潮659番・
           西行上人集追而加書・続古今集・万代集・言葉集)

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新潮古典集成の解説のミス

芹生の場所
天野の場所 河内の天野ではなく紀の国の天野

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その他の存疑


112 折しもあれ嬉しく雪の埋むかなきこもりなむと思ふ山路を
           (岩波文庫山家集112P羇旅歌・新潮1364番・
           西行上人集・山家心中集・玉葉集)

きこもりなむと→「きこもりむなむと」が字余りのため略したか?

和歌文学大系21でも新潮版山家集でも「かきこもりなむと」とあるので、
岩波の校正ミスでしょう。


     若心決定如教修行 不趣于坐三摩地現前

 わけ入ればやがてさとりぞ現はるる月のかげしく雪のしら山
            (岩波文庫山家集245P聞書集142番)

詞書にある「不趣」

仏典の「菩提心論」にある文言です。
岩波文庫版にある「趣」の文字は誤植です。また「聞書集」でも
「不越」となっていて、これも誤りのようです。
正しくは「不起」とのことです。