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【えぐ】 (山 18)

 (ゑぐ)は芹の古名。または(黒慈姑=くろくわい)の古名とも
 いいます。(若だち)は新芽のこと。
 
「黒慈姑」
 カヤツリグサ科の多年草。水中に生じ高さ数十センチ。塊茎は
 クワイに似、黒紫色。まれに食用とする。

「慈姑」
 オモダカ科の多年草。中国原産。秋、長い花茎を出し、白い三弁
 の花を輪状に綴る。水田に栽培し、地下の球茎は食用。
               (64号既出)(広辞苑から抜粋)

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1 年ははや月なみかけて越えにけりうべつみけらしゑぐの若だち
    (64号既出)(岩波文庫山家集18P春歌・新潮1061番・
               西行上人集追而加書・夫木抄) 

2 澤もとけずつめど籠(かたみ)にとどまらでめにもたまらぬゑぐの草ぐき
           (岩波文庫山家集18P春歌・新潮1434番)

○うべつみけらし
 
 (うべ+つみ+けら+し)です。(うべ)は(むべ)、(つみ)
 は(摘み)、(けらし)は(けり)の連体形(ける)に推量の
 助動詞(らし)が接合して縮まった言葉です。
 通しての意味は(だから摘んでいるのだなあー)というほどの
 ものになります。 

○籠(かたみ)にとどまらで

 籠の中に留まらなく、落ちてしまうということ。
 摘んだセリの芽が小さすぎて、籠の中に溜まらないということ。
 竹や草などで編んだ籠の目が大きいものでもあったのでしょう。

○めにもたまらぬ

 籠の目を塞いで籠の中に留まっているのではなく、籠の目から
 抜け落ちて、かつ、抜け落ちたことさえ自分の眼でわからない
 ほどのこと、ということでありセリの芽の小ささを強調して
 います。 

(1番歌の解釈)
 
 「月日の経過とともに、年内立春となってしまった。道理で野
 では人々が若菜を摘み、山里の自分の所では柴の若芽を積み
 延べたごとく思われるよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 新潮版では「ゑぐ」ではなくて、「しばの若立」とあります。

(2番歌の解釈)

 「沢の氷も解けない春先に芹の草茎を摘むけれど、なかなか見つ
 からないだけでなく、籠の目をすり抜けてみな落ちてしまう。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

 黒クワイは春先には芽が出ないということ、かつ、食用には適さ
 ないということで、和歌文学大系21では「セリ」と解釈しています。

【江口】

 現在の大阪市東淀川区にある地名。淀川の河口部分にあたり、
 神崎の津とともに海上交通の要衝として古くからにぎわった所。
 「江口の遊女」で有名です。900年代初期の宇多上皇の鳥飼院
 での遊宴でも江口の遊女「白女を召す」の記述があります。
 以後、江口の遊女は天皇や貴族とほぼ対等な関係として数々の
 文献に登場します。
 
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1   天王寺にまゐりけるに、雨のふりければ、江口と申す所に
   宿を借りけるに、かさざりければ

イ 世の中をいとふまでこそかたからめかりのやどりを惜しむ君かな
    (西行歌)(岩波文庫山家集107P羇旅歌・新潮752番・
             西行上人集・新古今集・西行物語) 

ロ 家を出づる人とし聞けばかりの宿に心とむなと思ふばかりぞ
   (江口の君歌)(岩波文庫山家集107P羇旅歌・新潮753番・
             西行上人集・新古今集・西行物語)  

○天王寺

 大阪市天王寺区本町にあるお寺。593年、聖徳太子により創建。
 日本で始めて建立された官寺といわれています。
 物部氏と蘇我氏の激しい対立により、588年に物部氏は滅びま
 した。この争いは崇仏派と排仏派の争いと言われますが、実情は
 少し違っていて、物部守屋もお寺を建てていて仏教は受容して
 いたようです。ともあれ、崇仏派の象徴的なお寺として、また
 有数の大寺として長い歴史を通じて崇敬を集めてきました。
              (歴史読本 昭和61年10月号参考)

○世の中をいとふ

 世の中を嫌だなーと思う気持。俗世を嫌う気持のこと。

○かたからめ

 難しいでしよう、できないでしよう、と、相手を見下したような、
 見くびったようなニューアンスのある言葉。

○かりの宿

 一時的な宿のこと。仏教では今生きている現世を指します。
  
○心とむな

 心を留めるなということ。こだわるな、執着するなという助言
 の言葉。

(アの歌の解釈)

 「俗世を穢土と厭離して、現世の執着を捨て去ることはさすがに
 遊女のあなたには難しいでしようが、一時の雨宿りを恵むこと
 までもあなたは惜しむのですか。ちよっと宿を貸して下さい。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(イの歌の解釈)

 「あなたが出家の方とうかがってお断りしたまでです。現世の
 執着であれ一時の雨宿りであれ、出家のあなたには仮のものなら
 そのまま御放念になるのがよろしいかと思ったまでです。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

この贈答歌は西行上人集・新古今集・西行物語にも採録されて
います。西行がやり込められるという伝説は各地にありますが、
この贈答歌はその原型と見られています。
広く読まれた「撰集抄」にも載り、謡曲の「江口」の元ともなり
ました。

「西行上人集」

  天王寺にまゐりしに雨ふりて江口と申す所にて宿をかり
  侍りしに、かさざりければ

 世の中をいとふまでこそかたからめかりのやどりををしむきみかな
 
 かへし  遊女たへ
 世をいとふ人としきけばかりの宿に心とむなとおもふばかりぞ

 かく申して宿したりけり

「新古今集」

  天王寺へまうでけるに、俄に雨の降りければ、江口に宿を
  借りけるにかし侍らざりければよみ侍りける  西行法師

 世の中を厭ふまでこそ難からめかりのやどりを惜しむ君かな
 
    返し   遊女 妙

 世を厭ふ人とし聞けばかりの宿に心とむなと思ふばかりぞ
 
「西行物語」

  天王寺へ詣でけるに、道にていと雨降りければ、江口の君が
  もとに宿を借れども、聞き入れぬさまにて、
  「さようの人をば、ここにはとどめず」
  と申しければ、西行、かくぞ書き付けて出でける。

 世の中をいとふまでこそ難からめ仮の宿(やどり)を惜しむ君かな
 
 遊君ども、これを見て呼び返して、返事。

 世をいとふ人とし聞けば仮の宿に心とむなと思ふばかりぞ
 
(江口と遊女について)

「遊女」といえば、苦界に身を沈めて女色のみを売り物にした女性
たちと解釈されます。春を売るだけの女性のこと、卑賤な職業に
ついている女性という風に侮蔑的に解釈されているのが通念でしよう。

ところがこの時代の江口の遊女達は、貴族達の宴席に侍り、一夜を
共にもしていたようですが、教養があり技芸に秀でた芸能人という
側面を強く持っています。鼓、琴、琵琶、笛などの管弦にも通じ、
今様を謡い、和歌を詠みする人たちでした。
西行の歌に即興で返歌するだけの素養もあったということです。
彼女達は神社の巫女的な性格を持ち、芸能の継承者であり社会的な
身分も神社の神人などと同様に課役や税を免じられていて、いわば
特権階級にある女性たちだったと言えます。神崎や江口の遊女は
朝廷の雅楽寮内教坊に属していたという説もあります。
遊女達が税を課せられたのは権力が幕府に移り、行政機構に支配
されるようになった鎌倉時代からです。以後の遊女達は時代の変遷
とともに売色だけを強要されるようになります。京都島原の太夫が
売色をしなかったのは特異な例でしよう。

今様狂いと称された後白河院には、青墓の乙前、目井、鏡山のあこ丸、
墨俣の式部、神崎のかね、などの遊女が今様を伝授しました。天皇や
院に直接指導するだけの自由さが当時の彼女達には許されていたと
いうことです。
天皇の寵愛を受ける者も多く、後白河院と江口の遊女丹波の局、
後鳥羽院と白拍子亀菊、などが有名です。後鳥羽院は複数の遊女との
間に10人近い皇子、皇女をもうけています。丹波の局は源頼朝が平身
低頭し、たくさんの貢物を贈るだけの権力者にもなりました。
平清盛と仏御前や祇王、義経と静なども有名ですが、舞うことを
専門とする白拍子も含めて、当時の遊女は上流階級に受け入れられて
いたのです。だから遊女と言ってもその時代背景やそれぞれの土地に
よって意味が違ってきます。

尚、遊女妙が創建したという江口の君堂(寂光寺)が東淀川区南江口
にあります。
 (朝日新聞社 朝日百科 日本の歴史 昭和61年4月27日号を参考)

【絵島の浦】 (山、95)

 淡路の国の歌枕。兵庫県津名郡淡路町岩屋。
 淡路島の北端にあたり、現在は淡路市。兵庫県神戸市や明石市
 とは明石海峡を挟んで隣接しています。

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1 千鳥なく絵嶋の浦にすむ月を波にうつして見る今宵かな
         (岩波文庫山家集95P冬歌・新潮553番・
              西行上人集追而加書・夫木抄)  

○波にうつして 

 「うつす」は「写す」であり、絵嶋の「絵」の縁語です。
 「月が波に写る絵」ということが主題だと思います。

(1番歌の解釈)

 「絵島の浦では千鳥の鳴く声が毎夜寂しく聞えるが、今夜は月が
 澄んで美しいので、波に映った絵のように美しい月光をいつまでも
 見ていた。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

【えだえだごと】

 一門一統のこと。家族をはじめとして親戚縁者の一族門葉のこと。

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   世につかへぬべきやうなるゆかりあまたありける人の、
   さもなかりけることを思ひて、清水に年越に籠りたりけるに
   つかはしける

1 此春はえだえだごとにさかゆべし枯たる木だに花は咲くめり
         (岩波文庫山家集216P釈教歌・新潮1186番)
        
○此春
 
 ここでは新春のこと。新年の11日から地方官の除目(じもく=官を
 任命すること)がありますから、そのことを指して拝命されると
 良いですね、という期待のことば。

○さかゆべし

 栄えること。

○枯たる木

 ある程度の時節、年齢を過ぎて寿命もつきかけていて、もう花も
 つけない木ということ。

 (1番歌の解釈)

 「新春は小さな枝々までも花が咲くように、栄えられることで
 しょう。神仏のお力で枯れた木でさえ花が咲くようですから
 (ましてあなたは)。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 「今年の春の除目ではきっといい仕事が見付かるでしょう。清水
 観音に参籠なさると、枯れた木でさえ花が咲くように見えます。
 まして若いあなたは、枝ごとにいくつも花が咲きあふれて栄える
 ことになりましょう。」
                (和歌文学大系21から抜粋)
 
 この歌を贈った相手は誰か不明です。
 当時、大晦日の夜に清水寺に参籠するのは常識的なことでした。
 観音信仰ゆえにです。

【えぞが千島】 (山、173) 21号参照

 蝦夷の島々のこと。現在でいう北海道だけでなくて東北にある
 島々のことを指していると思われます。

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 いたけもるあまみか時になりにけりえぞが千島を煙こめたり
(岩波文庫山家集173P雑歌・西行法師家集・山家心中集・夫木抄)

○いたけもる
 和歌文学大系21では巫女が奉斎するとしています。260ページに
 ある「いちごもる」と同義であるとみています。

○あまみか時
 不明。「あまみる関」とか「あながみがせき」ともあり、本州
 北端の関なのでしようか・・・?。わかりません。
 「あまみか時」なら「天満(あまみ)が時」として満月の時の
 煌煌とした月の光に満ちている神秘的で崇高な情景の可能性も
 考えます。(阿部考)
 
(歌の解釈)

「巫女が奉祀する神の示現する時が来た。蝦夷の島々に雲煙が
 立ち籠める」
                (和歌文学大系21から抜粋)

個人的にはとても理解できない歌です。誤写の可能性が強いと思い
ます。

【枝かはし・枝ひぢて】

 枝は血統、血筋のこと。交わすで、男女が愛を交わして契りを
 結ぶこと。

 【枝ひぢて】

 枝が水に浸かること。びっしょり濡れること。
 「ひち=漬ち」。室町時代まで(ヒチ)と清音。奈良時代から
 平安時代初期には四段活用。平安時代中頃から上二段活用。
                 (岩波古語辞典から抜粋)
 現在では使われない言葉だと思います。

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1 枝かはし翼ならべしちぎりだに世にありがたくおもひしものを
                (岩波文庫山家集246P聞書集150番)  

2 をみなへし池のさ波に枝ひぢて物思ふ袖のぬるるがほなる
    (岩波文庫山家集59P秋歌・新潮284番・万代集・夫木抄)  

○翼ならべしちぎり

 生まれて、生きて、出会って、そして男女が手を携えて共に
 生きていこうとする約束のこと。男女の契りのこと。

○さ波

 小さな波のこと。細かな波のこと。

○ぬるるがほ

 涙で濡れているような顔のこと。

(1番歌の解釈)

 「枝を交わらせ翼を並べようとした男女の約束でさえ本当に
 めったにないと思ったのに(まして聖衆と共にあるのはまたと
 ないことだ。)」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(2番歌の解釈)

 「女郎花は池のさざ波に枝をひたして、あたかももの思う人の
 袖が涙に濡れているごとき風情である。」        
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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◎ 袖ひつる時をだにこそ嘆きしか身さへ時雨のふりもゆくかな
                   (道綱母 蜻蛉日記)

◎ 袖ひちて結びし水のこほれるを 春立つけふの風やとくらん
                   (紀貫之 古今集2番)

◎ あひにあひて物思ふころの我が袖にやどる月さへぬるるかほなる
                   (伊勢 古今集756番)

【えぶな】 (山、98)

 (江鮒)の文字を当てます。鮒の大きさのことを指し、だいたい
 20センチ弱までの鮒を言います。
 後に関東では簀走(すばしり)と呼ばれたようです。関西は江鮒。
 魚類の場合は同じものでも地域によって呼び方が変わるものが
 多くあります。
                (岩波古語辞典を参考)

 「腹の赤いふな。またはぼらの幼魚。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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1 たねつくるつぼ井の水のひく末にえぶなあつまる落合のはた
          (岩波文庫山家集198P雑歌・新潮1393番)
       
○たねつくる

 ひらがな表記では何のことかわかりにくいです。
 新潮版では「種漬くる」となっています。植物の種を保存の
 ために漬けておくことのようです。何という植物の種なのか
 皆目わかりません。

○つぼい

「壷井」と資料ではありますが、この言葉も今日ではわからない
 言葉ではないかと思います。
 「開口部が狭くて中央部が広く、壷のような形をした井戸」と
 言うことですが、井戸にさえ、わざわざそんな名称をつけていた
 ということだろうと思います。

○落合のはた

 二つの川の合流地点を「落合」といいます。「はた」は水の作用
 によって地形が湾曲した、入江のようになっている部分を指し
 ます。「わだ」と言う呼称が普通のようです。
 
(1番歌の解釈)

 「種を漬ける壷のように、口細の井戸の水を引く末の、江鮒が
 集まっている河水の落ち合う淵よ。」
 ◇種漬くる=「壷」をいうための枕詞のごとき働きをする。
 ◇落合のわだ=「落合」は河川の落ち合う所。「わだ」は「曲」、
        地形の湾曲している所。入江。
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 「植物の種を漬けてある壺井の水が、引かれて川に合流する
 あたりには入江ができて、赤い鮒がたくさん集まっている。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

良く分からない歌ですが、要するに、井戸の水を引いた小さな流れ
と、近くの川が合流する地点に江鮒が集まっている、という情景の
歌です。

【閻魔の庁】

 三途の川を渡った死者が初めに行く冥界の庁舎。閻魔王宮のこと。
 王宮では閻魔大王が死者の存命中の行為を取り調べて地獄に行くか、
 それとも天国に行くかという採決を下します。
 古代において、仏教がこういう思想を持つのも仕方のない面が
 あったものだろうと思います。 
 
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1   閻魔の庁をいでて、罪人を具して獄卒まかるいぬゐの方に
   ほむら見ゆ。罪人いかなるほむらぞと獄卒にとふ。汝がおつ
   べき地獄のほむらなりと獄卒の申すを聞きて、罪人をののき
   悲しむと、ちういん僧都と申しし人説法にし侍りけるを思ひ
   出でて

  問ふとかや何ゆゑもゆるほむらぞと君をたき木のつみの火ぞかし
                (岩波文庫山家集253P聞書集) 

○獄卒まかるいぬゐの方に

 地獄の獄卒の鬼が行く乾の方角ということ。
 「まかる」は「罷り」のことで、行ったり来たりすること。
 出入りすること。
 「乾」は「戌亥」で、北西の方角。

○ちういん僧都

 生没年未詳。1160年少し前の没と見られています。説法の達人の
 ようです。
 仲胤(ちゅういん)僧都の説話が「宇治拾遺物語」などに伝わって
 いるとのことです。

(1番歌の解釈)

 「地獄に連れて行かれる罪人はたずねるとか、(あれは何のため
 に燃える火だ)と。獄卒が答えて言うには(あなたを薪にして
 焚く、あなたが積み重ねた罪の火だよ)」
                (和歌文学大系21から抜粋)

「地獄絵を見て」という詞書のある連作27首の中の歌です。
恵心僧都源信の「往生要集」をふまえて詠まれた歌のはずです。

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