項目 結縁・月食・源氏物語
けこと覚ゆる→「いりとりのあま」43号参照
けさの色→「阿闍梨兼堅」12号参照
【結縁】
「けちえん」と読みます。
仏道との縁をむすぶこと。その機縁のこと。
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01 さだのぶ入道、観音寺に堂つくりに結縁すべきよし
申しつかはすとて 観音寺入道生光
011 寺つくる此我が谷につちうめよ君ばかりこそ山もくずさめ
(観音寺入道生光歌)(岩波文庫山家集215P釈教歌・新潮858番)
012 山くづす其力ねはかたくとも心だくみを添へこそはせめ
(岩波文庫山家集215P釈教歌・新潮859番)
02 阿闍梨勝命、千人あつめて法華経結縁せさせけるに
参りて、又の日つかはしける
つらなりし昔に露もかはらじと思ひしられし法の庭かな
(岩波文庫山家集215P釈教歌・新潮860番・西行上人集)
03 和光同塵は結縁のはじめといふことをよみけるに
いかなれば塵にまじりてます神につかふる人はきよまはるらむ
(岩波文庫山家集220P釈教歌・新潮896番)
04 引接結縁樂
すみなれしおぼろの清水せく塵をかきながすにぞすゑはひきける
(岩波文庫山家集246P聞書集149番)
○さだのぶ入道
藤原定信のこと。官職は宮内大輔。世尊寺定信ともいう。
藤原行成の子孫。能書家で著名。彼の書いたものが現在も 何点
か残っています。
定信入道は1088年生まれですので、西行とは丁度30歳違います。
年齢差はありますが、同じ仏道修行者として親しい関係であった
のかも知れません。
藤原定信は藤原定実の子とあり、待賢門院中納言の局と兄弟と
いいますので、西行とは早くから面識があったことも想像できます。
○観音寺
現在は東山区の泉涌寺の塔頭の一つです。今熊野観音寺といいます。
京都に観音寺は八ヶ所ほどあったようですが、藤原定信の詞書に
あるように「山を崩す・・・」という描写に該当する観音寺は、
多くはなかったはずです。滋賀県の観音寺説もあったようですが、
現在では、「観音寺」はこの「今熊野観音寺」を指すということ
で一応の決着をみているようです。
○心だくみ
心匠=気持ちの上での手助けのこと。
○阿闍梨勝命
俗名、藤原親重。1112年生まれといいますので、西行より年長
です。この時の千僧供養はいつ、どこでしたのか不明のよう
です。
勝命は新古今集に一首撰入していて、67番歌です。
○千人あつめて
千人の僧が合同で行う供養の儀式であり、千僧供養といいます。
清盛は福原でも厳島でも千僧供養を執り行っています。大きな
功徳があると信じられていました。
○つらなりし昔
法華経という教義によって、釈迦がインドの霊鷲山で信者たちに
説法した大昔と連なっている、というように解釈されています。
○法の庭
法華経が語られた霊鷲山の教場と考えられますが、広義には仏教
精神に満ちた世界そのものを表していると思います。
○和光同塵
仏が衆生済度のために、本来の姿を変えて、濁世に出現すること。
○きよまはる
身を清めること。神社やお寺の行事がある時、それに先立って、
斎戒して身を清く保つこと。
○引接結縁樂
仏教用語で「引摂・引接=いんじょう」とは、人間の臨終の時に
阿弥陀仏やその他の菩薩が現れて、念仏を唱える人を浄土に導き
救いとる、ということを意味します。
○おぼろの清水
京都市左京区大原にある清水。
三千院から寂光院に向かう小道の傍らに「おぼろの清水」はあり
ます。歌枕として「八雲御抄」や「五代集歌枕」にもあげられ、
平安時代から多数の歌にも詠まれてきた有名な清水ですが、現在は
小さな水たまりという感じです。
寂光院に隠棲した建礼門院も親しんだ泉のようです。
○ せく塵
(せく)は(堰く・塞く)のことで、流れを堰きとめて塞ぐこと。
流れを塵が堰きとめているという意味。
この歌では「塵」は世の汚濁のこと。また、煩悩のこと。
○すゑはひきける
生存している時に仏道の縁を結んだ人々を導いて浄土の世界に
引き取るということのようです。
死後の行く末は浄土に導いてあげるという意味です。
(011番歌の解釈)
「今、定信入道が観音寺で堂を造っておいでですが、その寺を
造るこのわが谷を土で埋めて下さい。あなたばかりは山をも崩す
念力をお持ちですから。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(012番歌の解釈)
「山を崩すだなんて、そんな腕力は持ち合わせませんが、何とか
工夫して協力いたしましょう。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(02番歌の解釈)
「釈迦が霊鷲山で法華経を説かれ、羅漢・菩薩・高僧たちが列座
して聞法した昔と少しも変わらないと思い知られた尊い説法の
庭でしたよ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(03番歌の解釈)
「神は本来の光を和らげて濁世に現れたのに、その神に仕える
人はどうして神事に際して斎戒するのだろう。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(04番歌の解釈)
「住み馴れた朧の清水の澄んだ水をせきとめている塵を払い流す
ことで、流れの末は引けるのだよ。」
(和歌文学大系21から抜粋)
けんげんあざり→「阿闍梨兼堅」12号参照
【月蝕】
月が地球の影の中に入り、月面の一部または全部が欠けて見える
現象を言います。
月の一部分が入れば部分月蝕、全て入ると皆既月食となります。
これとは別に太陽が月によって隠される現象を日食と言います。
太陽が完全に隠れるのが皆既日食、部分的に隠れるのが部分日食、
太陽の周縁が輪のように残るのが金環日食です。
それにしても月蝕という言葉が当時にあったことに驚きます。
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01 月蝕を題にて歌よみけるに
いむといひて影にあたらぬ今宵しもわれて月みる名や立ちぬらむ
(岩波文庫山家集173P雑歌・新潮1154番・夫木抄)
○影にあたらぬ
月光に当たらないこと。意識的に月光を避け、月を見ないこと。
○われて
「われて=破れて」は、無理に、しいて、の意味です。
(大修館刊行「古語林」を参考)
○名や立ちぬらむ
名前が有名になること。
世間では忌むべき月蝕を見るようなら、すぐに悪い噂となって
名前が出ること。
(01番歌の解釈)
「世間の人々は月蝕は不吉だと言って光にも当たらないように
しているが、私はそういう月であればなおさら、無理をしてでも
見ようとする。奇人変人の悪い評判が立たなければ良いのだが。」
(和歌文学大系21から抜粋)
【源氏物語】
平安時代中期に成立した王朝物語。作者は紫式部。54帖からなり、
全体では恋愛物語というよりも、人生を描いた物語と言えます。
1008年頃にはある程度は成立していて、貴族たちの間で評判に
なっていたようです。
「早蕨」は宇治十帖のうちにあり、第四十八巻にあります。
この巻の中に次の歌があります。
西行歌はこの歌の本歌取りです。
「この春はたれかに見せむ亡き人のかたみにつめる峰の早蕨」
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01 源氏物語の巻々を見るによめる
萠えいづる峯のさ蕨なき人のかたみにつみてみるもはかなし
(岩波文庫山家集282P補遺・夫木抄)
○さ蕨
新芽を出したばかりの蕨のこと。
○かたみ
(形見)と(籠)をかけています。
(01番歌の解釈)
「萌え出し(芽を出して)ている峯のわらびを亡き人の形見に
つんでみるのもはかないことだ。」
(渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)
(わらび)
コバノイシカグマ科のシダ植物。早春に薄茶色の綿毛をかぶり、
拳を握ったような新芽を出します。この萌え出たばかりの新芽を
「さわらび」と呼び、古来から多くの歌に詠まれてきました。
山菜として摘むことを「蕨狩り」と言います。わらびのあくを抜き、
そのぬめりと香りを楽しむ食習慣は日本全国にあったとのことです。
わらびの地下茎を加工したものを「わらび粉」と言い、わらび餅は
これから作られます。
西行の「わらび歌」は、下の歌と合わせて二首しかありません。
なほざりに焼き捨てし野のさ蕨は折る人なくてほどろとやなる
(岩波文庫山家集23P春歌・新潮161番・
西行上人集・山家心中集)
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