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「風の森」にて


そこは「風の森」という名で呼ばれていた。

そこに住む森の精霊とでも言うべき無数の物の怪が
目覚めて、まさに動き出そうとしている、陽が落ちて
薄暮の時刻に、風の森を風が吹いていく。
風の名は三郎という。
遠く大台ヶ原山や高見山の山稜に生を受けた三郎
は、阿騎野や明日香の沃野を颯爽と駆け抜けて、
この森にたどりつく。そして三郎もまた、この森に住
みつく者だ。
「風の森」で、吉山たかしが三郎に逢っている。

ここでは(時間)というものは流れ去ることはない。
ただ一点にとどまったままであり、前進するという
運動性を持たない。それは消失している事を意味
しておりながら、逆に光点を鋭く絞って眼を射る輝
きで白光を放っていることでもある。光は混沌であ
る。ゆえに、沈潜してその姿を見せることはない。
もしくは、赤裸になってその核をも見せて止揚する
磁場。永遠と瞬間が同化する位置。風の森では
(時間)についての概念は変容し、吉山たかしは
大いなる混沌に包まれてある。

人はものに名を与えてきた。「はじめにことばあ
りき」というが、それより先にものがあって、人は
ことばでものを定義する。名はただ便宜的につけ
られたが、名づけられたものは名に縛られて萎縮
する。ことばがものを規定し、限定する。
名に縛られず、名を超えて存在しょうとするものが
ある。世俗的な通念に沿った顔をしていながら、
固い殻を内から破って尖りを持とうとするものたち
・・・。時間や三郎や、そして吉山たかしという名の
生きもの。

三郎は時に激しく、時に秘めやかに声放ち、それは
この森に住む木樹や小動物や森の精霊と呼応し、
共鳴して充ち満ちている。系譜を持たずに永遠の
寂寥をただ吹き抜けていく三郎の王国。太古からの
反骨の伝言を今に宿して、三郎の住みつく混沌と
したこの森は「風の森」という名で呼ばれている。
                  (1988/09)   

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