212  張り詰める氷割りつつ歩く朝 少年の日は遠くなりにき

213  桃のうれほつほつ蕾たくわえて 小鳥さそいし寒の中の日

214  さえざえと夜気とがりある街の上 寒の満月雲間にともる

215  ゆるゆると夜気を開いて歩く夜 寒の満月背にしたがえて

216  白玉は草葉の上に連なりて まろき命に月やどしおり

217  晦日月ありえぬことを重ね来て 今日もまた吹く蒼白の風

218 春立ちてはるけく人を生きている 焔の中の獄卒のごと

219 春を呼ぶ雨はひねもす降り落ちて 咲きける花をただこがれおり

220 終の日を落ちける雨が春を呼ぶ かしらの雪は降り積むけれど

221 木洩れ日を踏みしめ歩くきさらぎの竹叢の上青き空見ゆ

222 なせぬまま置き去りにしたもろもろに謝り今日は弥生となりぬ

223 桃端午祀ることなく走り来て翁の顔にすでになりたる

224 独り居の陋屋寒し啓蟄に花を買い来てこの春飾る

225 残り火のちろちろ細し母は寝て寂しさまさる春の宵かな

226 媼面そのもの着けた母がいて子もまた翁になりゆくばかり

227 久方に逢えば崩れる顔かたち涙ひとすじ頬をぬらして

228 募らせた希望のような形して時のあわいに土筆出で立つ

229 行き違う人の坩堝の駅のなか時は孤独を刻みて過ぎる

230 若狭井の水も汲まれて春来たる梅と桜が入り混じる頃

241 我が部屋を飾る写真に父がいて私の今に寄り添い生きる

242 桜餅桜の花に先駆けて黄泉路の父に捧げ供へむ

243  咲きそめし花の知らせはかけめぐるわが身のうちを乱しみだして

244 ひととせを待たして花は咲きにけりをちこち訪ぬ狂いのままに

245 また会えた思いを重ね花を見る亡きひとそばに同行させて

256 蜜を吸う虫のごとくに訪ねゆく花に酔い痴れこの春もまた

247 この年の桜の花の一枝を手折りて母の花挿しとすらむ

248 降りかくる桜の精に満たされてこの春がある我が春がある

249 ひたすらに噴きあがるのか御柱の花のほむらは私を焼いて 

250  さくらばな一期を咲いて散りゆきぬまた咲く年を待ちこがれおり


251  
三成もタヌキも居れる関が原ぎりぎりと立つそれぞれの生

252  命をばやりとりしたる戦場に立てば我が身のおののき強く

253  味方をば襲う裏切り秀秋の十九の秋が歴史を決めて

254  もののふの想う思いの数々をとどめて今日も松籟渡る

255  戦いに仆れて伏せる亡き骸を越えて移りし時は平成

256  陣の跡見世物になり人々は談笑しつつ巡り経ており

257  夏アザミ戦の跡にひっそりと今年の夏を陽にかがやきて

258  中山道古きをたどる道すがら群れなす青葉古きを覆う

259  清流に浮かぶ梅花藻白い花地蔵川面に漂い咲けり

260  4万歩重ねて歩き我が魂ははてさてどこに漂い行かむ

261  この夏の扉こじあけ都路にエンヤラヤーの掛け声ひびく

262  連なりて枝に玉なすしずくらはあたりをはらむ水の鏡に

263  みなぎれば離れて落つる定めして遁れられなき露の法則

264  ふるふると震えて留まる葉末から落ちなむ時を待ちおりしずく

265  文月になりし今日しも五月雨は天の配剤激しく落つる

266  独り居の古き棲家の窓辺にて落つる五月雨ただ眺めおり
  
267  露の身のわれの旅路も残りなし残った残ったの声もせずして

268  暴風雨の中を駆け抜け我が齢すでに六十路の道たどるらむ 

269  夢色の螺旋の炎噴きたたせモジズリは咲く梅雨のまにまを

270  鉾を曳くますらおたちの額には浮かびて落つる今という汗

271  あて先も乏しくなりしこの夏のはがき書きつつ来る年想う

272  ひなたには日向くささも溶け落ちて朧に乱る夏のまひるま

273  人の世のあわいにのぼる陽炎は逃げ水のごと暑きひととせ

274  庭にあく丸く小さく深い孔セミの産道契りの命

275  鳴き鳴きてただ鳴き鳴きて飛び交いてセミは七日の生を生ききる

276  朝の陽を浴びてエノコロ輝きぬ集い来たりし虫たち乗せて

277  たまものの華厳の光浴びており草虫我のへだてなき朝

278  うす闇を照らして大の字に燃える常世の道のしるべのように

279  去年の日に逝きしあなたの御霊をば在りしかんばせ偲びて送る

280  知らずにも両の手指を合わせおり悲しみまさる送り火の夜

281  眼に宿す空を切り裂き往く弧影航跡遺しかなたに消える

282  焦熱の地獄の中のこの夏もおぼろに過ぎる孤影のように

283  君の居る墓は海原見はるかし海の中道常世をたどる

284  おだやかに広がり渡る海原は碧き色して彼岸の中日

285  潮焼けをしたるかんばせ笑み満ちて海住む人の墓碑銘があり

286  水の原疾り飛び来る秋の日の光は届く水面光らせ

287  花白く陽を浴び今を輝きぬ色を脱ぎ捨て澄んだ姿で
 
288  くれなずむ野道を行けばゆくりなく脳裡を占むる歩き来た道

289  秋の日は釣瓶落としに暮れなずみ走馬のひかりちろちろ灯る

290  夜の闇堕ちゆく刹那渦を巻き沈み浮かびし来し方の影

291  血の中の深みに籠る声がして丹波に行かむ山ひとつ越え

292  老の坂の峠を越えてたどりつく瑞穂の国のなつかしい記憶

293  消え隠る太古とつなぐ細い糸をたぐれば見える稲田ある道

294  秋の日の不定形なシミのように黄金色した稲田拡がり

295  この年の稲田の実り重くたれ黄金の穂末地につくばかり

296  丹波なる国は瑞穂の国にして豊かな実り酒(ささ)傾ける

297  休耕の田にコスモスは乱れ咲く神々たちも休憩したるか

298  八百万(やおよろず)なんの符丁か神々と同じ数だけコスモス植えて

299  捨てられた田はそこここに草満ちて瑞穂の国も変わりはててし 
 
300  食ほそき我の咎にもあるものをさやかな風にコスモス揺れて