221 木洩れ日を踏みしめ歩くきさらぎの竹叢の上青き空見ゆ
222 なせぬまま置き去りにしたもろもろに謝り今日は弥生となりぬ
223 桃端午祀ることなく走り来て翁の顔にすでになりたる
224 独り居の陋屋寒し啓蟄に花を買い来てこの春飾る
225 残り火のちろちろ細し母は寝て寂しさまさる春の宵かな
226 媼面そのもの着けた母がいて子もまた翁になりゆくばかり
227 久方に逢えば崩れる顔かたち涙ひとすじ頬をぬらして
228 募らせた希望のような形して時のあわいに土筆出で立つ
229 行き違う人の坩堝の駅のなか時は孤独を刻みて過ぎる
230 若狭井の水も汲まれて春来たる梅と桜が入り混じる頃
241 我が部屋を飾る写真に父がいて私の今に寄り添い生きる
242 桜餅桜の花に先駆けて黄泉路の父に捧げ供へむ
243 咲きそめし花の知らせはかけめぐるわが身のうちを乱しみだして
244 ひととせを待たして花は咲きにけりをちこち訪ぬ狂いのままに
245 また会えた思いを重ね花を見る亡きひとそばに同行させて
256 蜜を吸う虫のごとくに訪ねゆく花に酔い痴れこの春もまた
247 この年の桜の花の一枝を手折りて母の花挿しとすらむ
248 降りかくる桜の精に満たされてこの春がある我が春がある
249 ひたすらに噴きあがるのか御柱の花のほむらは私を焼いて
250 さくらばな一期を咲いて散りゆきぬまた咲く年を待ちこがれおり
251 三成もタヌキも居れる関が原ぎりぎりと立つそれぞれの生
252 命をばやりとりしたる戦場に立てば我が身のおののき強く
253 味方をば襲う裏切り秀秋の十九の秋が歴史を決めて
254 もののふの想う思いの数々をとどめて今日も松籟渡る
255 戦いに仆れて伏せる亡き骸を越えて移りし時は平成
256 陣の跡見世物になり人々は談笑しつつ巡り経ており
257 夏アザミ戦の跡にひっそりと今年の夏を陽にかがやきて
258 中山道古きをたどる道すがら群れなす青葉古きを覆う
259 清流に浮かぶ梅花藻白い花地蔵川面に漂い咲けり
260 4万歩重ねて歩き我が魂ははてさてどこに漂い行かむ
261 この夏の扉こじあけ都路にエンヤラヤーの掛け声ひびく
262 連なりて枝に玉なすしずくらはあたりをはらむ水の鏡に
263 みなぎれば離れて落つる定めして遁れられなき露の法則
264 ふるふると震えて留まる葉末から落ちなむ時を待ちおりしずく
265 文月になりし今日しも五月雨は天の配剤激しく落つる
266 独り居の古き棲家の窓辺にて落つる五月雨ただ眺めおり
267 露の身のわれの旅路も残りなし残った残ったの声もせずして
268 暴風雨の中を駆け抜け我が齢すでに六十路の道たどるらむ
269 夢色の螺旋の炎噴きたたせモジズリは咲く梅雨のまにまを
270 鉾を曳くますらおたちの額には浮かびて落つる今という汗
271 あて先も乏しくなりしこの夏のはがき書きつつ来る年想う
272 ひなたには日向くささも溶け落ちて朧に乱る夏のまひるま
273 人の世のあわいにのぼる陽炎は逃げ水のごと暑きひととせ
274 庭にあく丸く小さく深い孔セミの産道契りの命
275 鳴き鳴きてただ鳴き鳴きて飛び交いてセミは七日の生を生ききる
276 朝の陽を浴びてエノコロ輝きぬ集い来たりし虫たち乗せて
277 たまものの華厳の光浴びており草虫我のへだてなき朝
278 うす闇を照らして大の字に燃える常世の道のしるべのように
279 去年の日に逝きしあなたの御霊をば在りしかんばせ偲びて送る
280 知らずにも両の手指を合わせおり悲しみまさる送り火の夜
281 眼に宿す空を切り裂き往く弧影航跡遺しかなたに消える
282 焦熱の地獄の中のこの夏もおぼろに過ぎる孤影のように
283 君の居る墓は海原見はるかし海の中道常世をたどる
284 おだやかに広がり渡る海原は碧き色して彼岸の中日
285 潮焼けをしたるかんばせ笑み満ちて海住む人の墓碑銘があり
286 水の原疾り飛び来る秋の日の光は届く水面光らせ
287 花白く陽を浴び今を輝きぬ色を脱ぎ捨て澄んだ姿で
288 くれなずむ野道を行けばゆくりなく脳裡を占むる歩き来た道
289 秋の日は釣瓶落としに暮れなずみ走馬のひかりちろちろ灯る
290 夜の闇堕ちゆく刹那渦を巻き沈み浮かびし来し方の影
291 血の中の深みに籠る声がして丹波に行かむ山ひとつ越え
292 老の坂の峠を越えてたどりつく瑞穂の国のなつかしい記憶
293 消え隠る太古とつなぐ細い糸をたぐれば見える稲田ある道
294 秋の日の不定形なシミのように黄金色した稲田拡がり
295 この年の稲田の実り重くたれ黄金の穂末地につくばかり
296 丹波なる国は瑞穂の国にして豊かな実り酒(ささ)傾ける
297 休耕の田にコスモスは乱れ咲く神々たちも休憩したるか
298 八百万(やおよろず)なんの符丁か神々と同じ数だけコスモス植えて
299 捨てられた田はそこここに草満ちて瑞穂の国も変わりはててし
300 食ほそき我の咎にもあるものをさやかな風にコスモス揺れて