2003年秋のオフ会報告

 月日           11月22日
 待ち合わせ場所    四条大宮
 行き先          太秦の広隆寺・嵯峨のニ尊院
 参加者          7名
 解散           嵐山にて五時過ぎ

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この2003年の秋のオフ会は、WさんとYYさんの属していた「風雅の会」の行事に
急遽、便乗して合同で行われました。合同といっても、我々は風雅の会のH先生の
快い許諾により参加させていただいたということが実態です。
実は翌日の23日に奈良を歩く予定でしたが、この22日には我々の西行MLの方々も
都合がつけやすくて、急に予定変更したものです。そのために、23日を楽しみにされて
いた方に、ご迷惑をおかけしてしまいました。企画・立案した者として、申し訳ないこと
でした。

当日、22日の午前10時に四条大宮の京福電鉄の乗り場前に集合です。
我々のメンバーはほぼ時間内に集合したのですが、出発は10時30分にはなって
いたと思います。
私は9時40分ほどに待ち合わせ場所に行ってみると、すでにTYさんがおられました。
彼はほぼいつも1番に来られる人です。簡単に挨拶。次にNさんが見えられました。
近くの壬生寺に行ってこられたそうです。壬生狂言と新選組で有名な寺です。新選組の
彼らも「壬生浪=みぶろ」として当時は京都の人から嫌われぬいていて鼻つまみ者だったのに、
いつのまにか正義の人達みたいになって、今では人気があります。私には不思議なことです。
物事を考えないで刀にまかす乱暴な人達、今でいうならヤクザそのもののような人達が、
なぜ人気が出たか、不思議ですね。時代の流れはこういう変化を起こさせることもあります。
実態とかけ離れた評価です。まあ、隊士のうちの一部、あるいは隊そのものに滅びの美学を
感じたとしても、そしてそれゆえに人気が出るということも、ありえることでしよう。
次にYYさん、そして颯爽と歩いてくるWさん。私は初めはWさんとは気が付かず、
魅力的な人がいるなーと思っていたら、Wさんでした。なんたる、うかつ。
その内、Tさん、Kさんも見えられたのですが、風雅の会の数人がまだです。



ともかくも、電車で広隆寺に向かいます。広隆寺については詳しく書けばきりが
ありませんので画像で説明します。上は阪急大宮駅です。



広隆寺南大門です。広隆寺自体は秦河勝が603年に建立したもので、聖徳太子
創建七大寺のひとつです。当初は蜂岡寺とか秦寺などと呼ばれていました。
この南大門は1702年に再建された三間一戸の楼門です。均整の美があります。
この門をくぐると講堂があります。講堂には国宝の「阿弥陀如来」が安置されています。
この如来の印相は非常に珍しいもので、胸の前の両手はそれぞれに親指と薬指で
丸を形作っています。如来像の多くは手を合わせていて、これを定印といいます。
そのあわせ方に応じていろいろ呼び方が変わり、それぞれに意味が違うようです。
上宮王院太子殿は1年のうちにこの22日だけ扉が開かれて、聖徳太子の33歳の時
という像がみられます。その像が広隆寺の本尊です。
下は当日の桜と紅葉です。春と違って秋の桜は遠慮がちに咲き、はかなげで、
けなげです。
西行なら「・・・・・・つつしみがほにて咲くさくらかな」というところでしょうか。









広隆寺にて、YTさん撮影の2枚です。朽ち葉、わくら葉、散り敷いて京都の秋。





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