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人物総覧
     女性編  一般男性  僧侶

   数字は岩波山家集の記載ページです。すべてを抜粋していません。

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上西門院 (1126〜1189 64歳 )          27、194、256
 第74代天皇鳥羽天皇と待賢門院璋子の娘。統子(むねこ)内親王。 
 鳥羽天皇の第2皇女。1127年に賀茂斎院にト定されたが、1132年に
 病気のため退下。1145年に母の待賢門院が死亡すると、その所領を伝領
 して、三條高倉(現在の文化博物館のあるあたり)の邸に住む。
 1160年、法金剛院で出家。真如理と称する。
 生涯、独身ですごす。
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兵衛の局                     27、135、194、256、264
 ~祗伯源顕仲の娘。待賢門院堀川の妹。待賢門院崩御後、上西門院に仕える。
 姉の待賢門院堀川と同様に高名な女流歌人。諸勅撰集に入集する。
 西行とも親しかった事が山家集からもわかる。
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六角女房 (未詳)                                  106
 統子内親王の女房。
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江口の君                                  107
 新古今集では「遊女 妙」となっています。
 伝説化されて「撰集抄」にも載り、謡曲の「江口」にもなったものでしょう。
 「江口」は没落した平氏の娘が遊女に身を落したというふうに脚色されています。
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みやだて                                  133
 個人名不詳。はした女。召使の女。
 一説に雑用をする男を指すともいう。
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中納言の局                                135
 待賢門院の女房の一人。藤原俊成の姪の俊子という。権中納言葉室顕頼の娘。
という川田説もあるが、これは誤り。藤原定信の妹説もある。 
待賢門院崩御後、小倉山の麓に住んでいたが、高野山の麓の天野に移る。
 これを見舞った帥の局と共に粉川や吹上に行った事が135Pに記述されている。
 「撰集抄」では小倉山の庵で重病となり、没したと記述されている。
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帥の局                                   135
 備後前司季兼の娘。待賢門院の後、上西門院、次いで建春門院(平滋子)
 に仕える。
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堀川の局                           137、174、201
 ~祗伯源顕仲の娘。初め、前斎院六條と称する。後、待賢門院の女房となり
 「待賢門院堀川」と名乗る。待賢門院が落飾したときに、尼となる。待賢門院崩御後、
 西山、ついで仁和寺あたりに住む。
 兵衛の局は妹。西行より20歳ほど年長(川田説)とあるも、40歳ほど年長(安田説)
 ともある。金葉集以降、諸勅撰集に入集する。家集に「待賢門院堀川集」がある。
 山家集にも西行との贈答歌が多い。
 百人1首第80番
  「長からむ心も知らず黒髪の 乱れて今朝は物をこそ思へ」
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大宮の女房 加賀                               140
 待賢門院の女房の加賀。後、大宮の太上太后多子に仕える。
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八條院の宮                                   170
 鳥羽天皇第3皇女ワ子(あきこ)内親王。母は美福門院。
 後、太秦の源光寺に隠棲する。
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ある所の女房                                  178
 待賢門院堀川のこと。
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院の少納言の局                             180、209
 父は藤原信西、母は紀伊ニ位。建春門院平滋子の女房。阿闍梨覺堅の妹。
 建礼門院に仕えた阿波内侍は姉が妹にあたる。別人説あり。
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讃岐の院の女房                                 183
 讃岐に配流された崇徳天皇の世話をしていた女性。個人名は不明。
 兵衛佐(ひょうえのすけ)という名前もみえる。
 山家集に西行との贈答歌が6首みえる。
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皇太后宮大夫の局                               184
殷冨門院大輔のこと。1200年ころに70歳ほどで没。殷冨門院大輔集がある。
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周防内侍 (?〜1113年頃)                        190
 周防守、平棟仲の娘で母は御朱雀院の女房の小馬内侍。本名は 仲子。
 王朝末期の女流歌人。後冷泉天皇から堀河天皇までの四朝にわたり宮廷に
 仕えた。
 作品は「後拾遺集」「千載集」「新古今集」などに収録。家集に「周防内侍集」
 がある。
 百人1首第67番
  「春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなく立たむ名こそ惜しけれ」
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待賢門院 (1101〜1145)                     194、201
 藤原璋子(たまこ)のこと。 鳥羽天皇の皇后。権大納言藤原公実の娘。母は
藤原隆方の 娘光子。白河法皇の猶子となり、元永元年皇后、。崇徳・後日河天皇、
及び 上西門院の母。
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赤染  (未詳)                                  195
 平安中期の女流歌人。赤染衛門のこと。三十六歌仙の一人。父は赤染時用
 (ときもち)。大江匡衡(まさひら)に嫁し、藤原道長の妻倫子に仕える。
 家集「赤染衛門集」があり「栄花物語」上編の作者ともいわれる。
 百人1首第59番
 「やすらはで寝なましものを小夜更けて かたぶくまでの月を見しかな」
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院の小侍従                                     200
 石清水八幡別当大僧都光清のむすめ。母は花園左大臣家小大進。
 藤原伊実の妻となるが、四十歳前後の時に死別。二条天皇に仕える。
 永万元年(1165)の天皇崩御後、太皇太后多子に仕え、さらに高倉天皇に仕えた。
 「待つ宵に…」の歌は有名で「待宵の小侍従」の異名で呼ばれた。
 家集『小侍従集』がある。
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美福門院 (1117〜1160)                           201
 藤原得子。 鳥羽天皇の皇后。父は藤原長実、母は源俊房の娘方子。近衛天皇
 の母。鳥羽法皇を説いて近衛天皇を即位させ、天皇の死後は崇徳上皇の皇子
 重仁親王を退けて後白河天皇を即位させ、保元の乱の原因を作った。
 高野山の菩提心院に葬られる。その時、大原三寂の寂超の息子も藤原隆信が
 高野山まで供奉していることが、「藤原隆信朝臣集」からわかる。
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三河内侍  (未詳)                                 205
 大原三寂の一人、寂念の娘。千載集以下の勅撰集に入集する。
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院の二位の局( ?〜 1166)                          208
 藤原通憲(信西)の妻。紀伊二位の局のこと。本名、朝子。成範、脩範、
 少納言の局の母親。1127年から後白河天皇の乳母。後白河院にたいしての
 こまやかな愛情が平家物語で描かれている。
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斎王                                        223
 西行の伊勢時代は斎王は不在。
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斎院                                        223
 鳥羽天皇皇女。頌子(うたこ)内親王。1171年6月末から約1ヶ月半、斎院となる。
 当時27歳。五辻の斎院。
 鳥羽天皇の菩提を弔うために、頌子内親王は高野山の蓮華乗院を建立
 したのですが、それに西行が協力しています。その時の書状が今に残って
 います。「円位書状」と呼ばれています。  
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せんじの局                                    223
 五辻の斎院、頌子内親王に仕えていた女房。上西門院、建春門院に仕えた、
 藤原公隆の娘との説あり。
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をはりの尼上(1204〜?)                           266
 未詳。待賢門院に仕えた女房の一人との説あり。(目崎説)
 高階爲遠の娘で琵琶の名手。大原来迎院の良忍上人に帰依して出家。

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