もどる
山家集 聞書集
岩波文庫 佐佐木信綱校訂 山家集
聞書集 聞きつけむにしたがひて書くべし
法花經廿八品
序品 曼殊沙華 栴檀香風
001 つぼむよりなべてにも似ぬ花なればこずゑにかねてかをる春風
方便品 諸佛世尊 唯以一大事 因縁故出現於世
002 あまのはら雲ふきはらふ風なくば出でてややまむ山のはの月
譬喩品 今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子
003 乳もなくていはけなき身のあはれみはこの法みてぞ思ひしらるる
信解品 是時窮子 聞父此言 即大歡喜 得末曾有
004 吉野山うれしかりけるしるべかなさらでは奧の花を見ましや
藥草品 我觀一切 普皆平等 無有彼此 愛憎之心
005 ひきひきに苗代みづをわけやらでゆたかに流す末をとほさむ
授記品 於末來世 咸得成佛
006 遲ざくら見るべかりける契あれや花のさかりは過ぎにけれども
化城喩品 願以此功コ 普及於一切 我等與衆生 皆共
成佛道
007 秋の野のくさの葉ごとにおく露をあつめば蓮の池たたふべし
同品文に 第十六我釋迦牟尼佛於娑婆國中成阿耨多羅三
藐三菩提
008 思ひあれやもちにひと夜のかげをそへて鷲のみ山に月の入りける
菩提心論之文心なるべし
弟子品 内祕菩薩行 外現是聲聞
009 岩せきてこけきる水はふかけれど汲まぬ人には知られざりけり
人記品 壽命無有量 以愍衆生故
010 思ひありてつきぬ命のあはれみをよそのことにて過ぎにけるかな
法師品 一念隨喜者 我亦與授 阿耨多羅三藐三菩提記
011 夏草の一葉にすがるしら露も花のうへにはたまらざりけり
寶塔品 是名持戒 行頭陀者 則爲疾得 无上佛道
012 かひなくて浮ぶ世もなき身ならまし月のみ舟ののりなかりせば
提婆品 我獻寶珠 世尊納受
013 いまぞ知るたぶさの珠を得しことは心をみがくたとへなりけり
勸持品 我不愛身命 但惜無上道
014 ねをはなれつながぬ舟を思ひ知ればのりえむ事ぞ嬉しかるべき
安樂行品 深入禪定 見十方佛
015 深き山に心の月しすみぬればかがみに四方のさとりをぞ見る
涌出品 我於伽那城 菩提樹下坐 得成最正覺 轉無上
法輪
016 夏山の木蔭だにこそすずしきを岩のたたみのさとりいかにぞ
壽量品 得入無上道 速成就佛身
017 わけ入りし雪のみ山のつもりにはいちじるかりしありあけの月
分別品 若坐若立 若經行處
018 たちゐにもあゆぐ草葉のつゆばかり心をほかにちらさずもがな
隨喜品 如説而修行 其us可限
019 から國やヘへうれしきつちはしもそのままをこそたがへざりけめ
法師功コ品 唯獨自明了 餘人所不見
020 ましてましてさとる思ひは外ならじわが嘆きをばわれ知るなれば
不輕品 億々萬劫 至不可議 時乃得聞 是法華經
021 よろづ世を衣のいはにたたみあげてありがたくてぞ法は聞きける
~力品 如來一切祕要之藏
022 くらぶ山かこふしば屋のうちまでに心をさめぬところやはある
囑累品 佛師智慧 如來智慧 自然智慧
023 さまざまに木曾のかけ路をつたひ入りて奧を知りつつ歸る山人
藥王品 容顏甚奇妙 光明照十方
024 花をわくる峯の朝日のかげはやがて有明の月をみがくなりけり
妙音品 正使和合百千萬月其面貌端正
025 わが心さやけきかげにすむものをある夜の月をひとつみるだに
普門品 弘誓深如海 歴劫不思議
026 おしてるや深きちかひの大網にひかれむことのたのもしきかな
同品に 能伏災風火 普明照世間
027 深きねのそこにこもれる花ありといひひらかずば知らでやままし
此歌眞言可有見事
陀羅尼品 乃至夢中 亦復莫悩
028 夢の内にさむるさとりのありければ苦しみなしと説きけるものを
嚴王品 又如一眼之龜値浮木孔
029 おなじくは嬉しからまし天の川のりをたづねしうき木なりせば
勸發品 濁惡世中 其有受持 是經典者 我當守護
030 あはれみの名殘をばなほとどめけり濁るおもひの水すまぬ世に
無量義經
031 この法のこころは杣の斧なれやかたきさとりのふしわられけり
普賢經
032 花にのるさとりを四方に散らしてや人の心に香をばしむらむ
心經
033 花のいろに心をそめぬこの春やまことの法の果はむすぶべき
阿彌陀經
034 はちす咲くみぎはの波のうちいでて説くらむ法を心にぞ聽く
末法萬年 餘經悉滅 彌陀一ヘ 利物偏
035 無漏を出でし誓の舟やとどまりてのりなきをりの人を渡さむ
一念彌陀佛 即滅無量罪 現受無比樂 後生C淨土
036 いろくづも網のひとめにかかりてぞ罪もなぎさへみちびかるべき
極重惡人 無他方便 唯稱彌陀 得生極樂
037 波わけてよする小舟しなかりせばいかりかなはぬなごろならまし
若有重業障 無生淨土因 乘彌陀願力 即往安樂界
038 重き罪にふかき底にぞしづまましわたす筏ののりなかりせば
此界一人念佛名 西方便有一蓮生 但此一生成不退 此
華還到此間迎
039 西の池にこころの花をさきだててわすれず法のをしへをぞ待つ
三界唯一心 心外無別法 心佛及衆生 是三無差別
040 ひとつ根に心のたねの生ひいでて花さきみをばむすぶなりけり
若人欲了知 三世一切佛 應當如是觀 心造諸如來
041 知られけり罪を心のつくるにて思ひかへさばさとるべしとは
發心畢竟二無別 如是二心先心難 自未得度先度他 是
故我禮初發心
042 入りそめて悟りひらくる折はまたおなじ門より出づるなりけり
流轉三界中 恩愛不能斷 弃恩人無爲 眞實報恩者
043 捨てがたき思ひなれども捨てていでむまことの道ぞまことなるべき
妻子珍寳及王位 臨命終時不隨者 唯戒及施不放逸 今
世後世爲伴侶
044 そのをりは寶の君もよしなきをたもつといひしことの葉ばかり
雪山の寒苦鳥を
045 よもすがら鳥のねおもふ袖のうへに雪はつもらで雨しをれけり
元日聞鶯
046 注連かけてたてたるやどの松に來て春の戸あくるうぐひすの聲
松上殘雪
047 春になればところどころはみどりにて雪の波こす末の松山
048 箱根山こずゑもまだや冬ならむ二見は松のゆきのむらぎえ
梅薫船中
049 匂ひくる梅の香むかふこち風におしてまた出づる舟とももがな
對梅待客
050 とめこかし梅さかりなるわが宿をうときも人はをりにこそよれ ▲
漸待花
051 雲にまがふ花のさかりを思はせてかつがつかすむみよし野の山
漸欲尋花
052 待たでただ尋ねを入らむ山ざくらさてこそ花に思ひしられめ
花待雨未開
053 春は來て遲くさくらのこずゑかな雨の脚まつ花にやあるらむ
客來勸春興
054 君來ずは霞にけふも暮れなまし花まちかぬるものがたりせで ▲
浮海船尋花
055 こぎいでて高石の山を見わたせばまだ一むらもさかぬ白雲
海波映花色
056 花と見えて風にをられてちる波のさくら貝をばよするなりけり
花下契後曾
057 花を見てなごりくれぬる木のもとは散らぬさきにとたのめてぞたつ
老人翫花
058 山ざくらかしらの花にをりそへてかぎりの春のいへづとにせむ
老人見花
059 ながむながむ散りなむことを君もおもへ黒髪山に花さきにけり
峯花似瀧
060 瀧にまがふ峯のさくらの花ざかりふもとは風になみたたみけり
堺花主不定
061 散りまさむかたをやぬしに定むべきみねをかぎれる花のむらだち
尋花至古寺
062 これや聞く雲の林の寺ならむ花をたづぬるこころやすめむ
尋花欲菩提
063 花のいろの雪のみ山にかよへばや深きよし野の奧へいらるる
寄花述懷
064 花さへに世をうき草になりにけり散るを惜しめばさそふ山水
065 花の色にかしらの髪しさきぬれば身は老木にぞなりはてにける
戀似待花
066 つれなきを花によそへて猶ぞまつさかでしもさてやまじと思へば
霞似煙
067 花の火をさくらの枝にたきつけてけぶりになれるあさがすみかな
花のちりけるを見てよみける
068 命をしむ人やこの世になからまし花にかはりて散る身と思はば
069 山ざくらさけばこそちるものは思へ花なき世にてなどなかりけむ
卯花似雪
070 雪わけて外山をいでしここちして卯の花しげき小野のほそみち
山家夏ふかしと云へることをよみけるに
071 山里は雪ふかかりしをりよりはしげるむぐらぞ道はとめける
水邊柳
072 里にくむふるかはかみのかげになりて柳のえだも水むすびけり
郭公
073 あやめふく軒ににほへる橘にほととぎす鳴くさみだれの空
074 ほととぎす曇りわたれるひさかたの五月のそらに聲のさやけさ
075 むま玉のよる鳴く鳥はなきものをまたたぐひなき山ほととぎす
076 よる鳴くに思ひ知られぬほととぎすかたらひてけり葛城の~
077 待つはなほたのみありけりほととぎす聞くともなしにあくるしののめ
078 鶯の古巣よりたつほととぎす藍よりもこきこゑのいろかな ▲
079 ふゆ聞くはいかにぞいひてほととぎす忌む折の名か死出の田長は
080 こゑたてぬ身をうの花のしのびねはあはれぞふかき山ほととぎす
081 うの花のかげにかくるるねのみかはなみだをしのぶ袖もありけり
082 あはれこもる思ひをかこふ垣根をばすぎてかたらへ山ほととぎす
083 わがおもふ妹がりゆきてほととぎす寢覺のそでのあはれつたへよ
084 つくづくとほととぎすもやものを思ふ鳴くねにはれぬ五月雨の空
月前郭公
085 さみだれの雲かさなれる空はれて山ほととぎす月になくなり
雨中待秋
086 萩が葉につゆのたまもる夕立ははなまつ秋のまうけなりけり
秋の月をよみけるに
087 あしひきのおなじ山よりいづれども秋の名を得てすめる月かな
088 あはれなる心のおくをとめゆけば月ぞおもひのねにはなりける
089 秋の夜の月の光のかげふけてすそ野の原にをじか鳴くなり
090 むぐらしくいほりの庭の夕露をたまにもてなす秋の夜の月
月前述懷
091 うき世とて月すまずなることもあらばいかにかすべき天のu人 ▲
海上明月を伊勢にてよみけるに
092 月やどる波のかひにはよるぞなきあけて二見をみるここちして
秋の歌に
093 秋の野をわくともちらぬ露なれなたまさく萩のえだを折らまし
094 山ざとはあはれなりやと人とはば鹿の鳴くねを聞けとこたへむ
095 ふるさとを誰か尋ねてわけも來む八重のみしげるむぐらならねば
096 都うとくなりにけりとも見ゆるかなむぐらしげれる道のけしきに
老人述懷
097 としたかみかしらに雪を積らせてふりにける身ぞあはれなりける
098 ふけにける我が身のかげを思ふまに遥かに月のかたぶきにける ▲
099 ちる花もねにかへりてぞ又はさく老こそはてはゆくへしられね
古郷歳暮
100 昔おもふにはにうき木をつみおきて見し世にも似ぬ年の暮かな
海邊眺望
101 心やる山なしと見る麻生の浦はかすみばかりぞめにかかりける
かすみを
102 吉野山こずゑのそらのかすむにて櫻のえだも春知りぬらむ
五條三位入道のもとへ、伊勢より濱木綿遣しけるに
103 はまゆふに君がちとせの重なればよに絶ゆまじき和歌の浦波
かへし 尺 阿
104 濱木綿にかさなる年ぞあはれなるわかの浦波よにたえずとも
伊勢にて~主氏良がもとより、二月十五の夜くもりたり
ければ申しおくりける 氏 良
105 こよひしも月のかくるるうき雲やむかしの空のけぶりなるらむ
かへし
106 かすみにし鶴の林はなごりまでかつらのかげもくもるとを知れ
淺からず契りありける人の、みまかりにける跡の、をと
こ心のいろかはりて、昔にも遠ざかるやうに聞えけり。
古クにまかりたりけるに、庭の霜を見て
107 をりにあへば人も心ぞかはりけるかるるは庭のむぐらのみかは
108 あはれみえし袖の露をばむすびかへて霜にしみゆく冬枯の野べ
109 なきあとを誰とふべしと思ひてか人のこころのかはりゆくらむ
墓にまかりて
110 思ひいでし尾上の塚のみちたえて松風かなし秋のゆふやみ
111 あさぢ深くなりゆくあとをわけ入れば袂にぞまづ露はちりける
かへりまうで來て、をとこのもとへ、なきかげにもかく
やと覺え侍りつると申しつかはしける
112 思ひいでてみ山おろしのかなしさを時々だにもとふ人もがな
おなじさまの嘆きしける人とぶらひけるに
113 なきあとの面影をのみ身にそへてさこそは人のこひしかるらめ
東山にC水谷と申す山寺に、世遁れて籠りゐたりける
人の、れいならぬこと大事なりと聞きて、とぶらひにま
かりたりけるに、あとのことなど思ひ捨てぬやうに申し
おきけるを聞きてよみ侍りける
114 いとへただつゆのことをも思ひおかで草の庵のかりそめの世ぞ
かく申したりけるを聞きて、何事も思ひすてて臨
終よく侍りけり。
若菜によせて戀をよみける
115 ななくさに芹ありけりとみるからにぬれけむ袖のつまれぬるかな
忍戀
116 ふかみどり人にしられぬあしひきの山たちばなにしげるわが戀
117 こけふかき岩の下ゆく山水はまくらをつたふなみだなりけり
涙顯戀
118 ふりほして袖のいろにはいでましやくれなゐ深き涙ならずば
船中戀
119 こがれけむ松浦の舟のこころをばそでにかかれる泪にぞしる
雪中戀
120 君すまば甲斐の白嶺のおくなりと雪ふみわけてゆかざらめやは
寄筏
121 はやせ川なみに筏のたたまれてしづむなげきを人しらめやは
熊野御山にて兩人を戀ふと申すことをよみけるに、人に
かはりて
122 流れてはいづれの瀬にかとまるべきなみだをわくるふた川の水
雪紅梅をうづむ
123 いろよりは香はこきものを梅の花かくれむものかうづむしら雪
124 雪の下の梅がさねなる衣の色をやどのつまにもぬはせてぞみる
月
125 あはれいかにゆたかに月をながむらむ八十島めぐるあまの釣舟
126 千鳥なくふけゐのかたを見わたせば月かげさびし難波津のうら
氷、河の水をむすぶといふことを
127 川わたにおのおのつくるふし柴をひとつにくさる朝氷かな ▲
花の歌十首人々よみけるに
128 鶯のなくねに春をつげられてさくらのえだやめぐみそむらむ
129 山人に花さきぬやとたづぬればいさしら雲とこたへてぞゆく
130 かすみしく吉野の里にすむ人はみねの花にやこころかくらむ
131 花よりはいのちをぞ猶をしむべき待ちつくべしと思ひやはせし
132 春ごとの花にこころをなぐさめて六十あまりのとしをへにける
133 ひとときに遲れさきだつこともなく木毎に花のさかりなるかな
134 さかりなるこの山ざくら思ひおきていづち心のまたうかるらむ
135 吉野山雲と見えつる花なればちるも雪にはまがふなりけり
136 よしのやま雲もかからぬ高嶺かなさこそは花のねにかへりなめ
137 水上に花のゆふだちふりにけり吉野の川のなみのまされる
論の三種の菩提心のこころ
勝義心
138 いかでわれ谷の岩根のつゆけきに雲ふむ山のみねにのぼらむ
行願心
139 思はずば信夫のおくへこましやはこえがたかりし白河の關
三摩地
140 をしみおきしかかる御法はきかざりき鷲の高嶺の月はみしかど
論文
八葉白蓮一肘間の心を
141 雲おほふふたかみ山の月かげは心にすむや見るにはあるらむ
若心決定如ヘ修行 不趣于坐三摩地現前
142 わけ入ればやがてさとりぞ現はるる月のかげしく雪のしら山
若人求佛惠文
143 たらちねの乳房をぞ今日おもひ知るかかるみ法をきくにつけても
十樂
聖衆來迎樂
144 ひとすぢにこころのいろを染むるかなたなびきわたる紫の雲
蓮花初開樂
145 うれしさのなほや心にのこらまし程なく花のひらけざりせば
身相~通樂
146 ゆきてゆかず行かでもゆける身になれば外のさとりも外のことかは
五妙境界樂
147 いとひいでて無漏の境に入りしより□□みることはさとりにぞなる
快樂無退樂
148 ゆたかなる法のころもの袖もなほつつみかぬべき我がおもひかな
引接結縁樂
149 すみなれしおぼろのC水せく塵をかきながすにぞすゑはひきける
聖衆倶會樂
150 枝かはし翼ならべしちぎりだに世にありがたくおもひしものを
151 池の上にはちすのいたをしきみててなみゐる袖を風のたためる
152 さまざまにかをれる花のちる庭にめづらしくまたならぶ袖かな
見佛聞法樂
153 九品にかざるすがたを見るのみか妙なる法をきくのしら露
隨心供佛樂
154 花の香をさとりのまへに散らすかなわが心しる風もありけり
攝i佛道樂
155 いろそむる花のえだにもすすまれてこずゑまでさくわが心かな
花
156 誰ならむ吉野の山のはつ花をわがものがほに折りてかへれる
157 山ざくらちらぬまでこそ惜しみつれふもとへ流せたにがはの水
海上月
158 夜もすがら明石の浦のなみのうへにかげたたたみおく秋の夜の月
故ク月
159 いにしへのかたみにならば秋の月さし入るかげを宿にとどめよ
月
160 難波江の岸に磯馴れてはふ松をおとせであらふ月のしら波
冬うたに
161 初雪は冬のしるしにふりにけり秋しの山の杉のこずゑに
162 むぐら枯れて竹の戸あくる山里にまた徑とづる雪つもるめり
我見人不知戀
163 余吾の湖の君をみしまにひく網のめにもかからぬあぢのむらまけ
初めおろかにして末揩キ戀
164 我が戀はほそ谷川の水なれやすゑにいはわるおときこゆなり
嵯峨に棲みけるに、たはぶれ歌とて人々よみけるを
165 うなゐ子がすさみにならす麥笛のこゑにおどろく夏のひるぶし
166 むかしかな炒粉かけとかせしことよあこめの袖にたまだすきして
167 竹馬を杖にも今日はたのむかなわらは遊びをおもひいでつつ
168 昔せしかくれ遊びになりなばやかたすみもとによりふせりつつ
169 篠ためて雀弓はる男のわらはひたひ烏帽子のほしげなるかな
170 我もさぞ庭のいさごの土遊びさて生ひたてる身にこそありけれ
171 高尾寺あはれなりけるつとめかなやすらい花とつづみうつなり
172 いたきかな菖蒲かぶりの茅卷馬はうなゐわらはのしわざと覺えて
173 入相のおとのみならず山でらはふみよむ聲もあはれなりけり
174 戀しきをたはぶれられしそのかみのいはけなかりし折のこころは
175 石なごのたまの落ちくるほどなさに過ぐる月日はかはりやはする
176 いまゆらも小網にかかれるいささめのいさ又しらず戀ざめのよや
177 ぬなははふ池にしづめるたて石のたてたることもなきみぎはかな
花の歌どもよみけるに
178 とき花や人よりさきにたづぬると吉野にゆきて山まつりせむ
179 山ざくら吉野まうでの花しねをたづねむ人のかてにつつまむ
180 谷のまも峯のつづきも吉野山はなゆゑ踏まぬ岩根あらじを
181 山ざくらまた來むとしの春のため枝をることはたれもあなかま
182 いまもなしむかしも聞かずしきしまや吉野の花を雪のうづめる
183 くれなゐの雪はむかしのことと聞くに花のにほひにみつる春かな
184 花ざかり人も漕ぎ來ぬ深きたにに波をぞたつるはるの山かぜ
185 おもひいでに花の波にもながればや峯のしら雲瀧くだすめり
186 ときはなる花もやあると吉野山おくなく入りてなほたづねみむ
187 吉野山おくをもわれぞ知りぬべき花ゆゑふかく入りならひつつ
夏の歌に
188 卯の花を垣根に植ゑてたちばなの花まつものを山ほととぎす
189 さみだれて沼田のあぜにせしかきは水もせかれぬしがらみの柴
190 流れやらでつたのほそ江にまく水は舟をぞむやうさみだれのころ
191 澤水にほたるのかげのかずぞそふ我がたましひやゆきて具すらむ
192 おぼえぬをたがたましひの來たるらむと思へばのきに螢とびかう
193 なかなかにうき草しける夏のいけは月すまねどもかげぞすずしき
194 さえもさえこほるもことに寒からむ氷室の山の冬のけしきは
195 底すみて波こまかなるさざれ水わたりやられぬ山がはのかげ
よろづのこと詠みける歌に
196 逆艫おす立石崎の白波はあしきしほにもかかりけるかな
197 ふりず名を鈴鹿になるる山賊は聞えたかきもとりどころかな
地獄繪を見て
198 見るも憂しいかにかすべき我がこころかかる報いの罪やありける
199 あはれあはれかかる憂き目をみるみるは何とて誰も世にまぎるらむ
200 うかるべきつひのおもひをおきながらかりそめの世に惑ふはかなさ
201 うけがたき人のすがたにうかみいでて懲りずや誰もまたしづむべき ▲
202 好み見し劍のえだにのぼれとてしもとのひしを身にたつるかな
203 くろがねのつめのつるぎのはやきもてかたみに身をもほふるかなしさ
204 重きいはをももひろ千ひろ重ねあげて碎くやなにの報いなるらむ
すなわとまうす物うちて身を割りけるところを
205 つみ人は死出の山邊の杣木かな斧のつるぎに身をわられつつ
206 一つ身をあまたに風の吹ききりてほむらになすもかなしかりけり
207 なによりは舌ぬく苦こそかなしけれ思ふことをも言はせじの刑
黒き炎の中に、をとこ女もえけるところを
208 なべてなきくろきほむらの苦しみはよるのおもひの報いなるべし
209 わきてなほ銅の湯のまうけこそこころに入りて身をあらふらめ
210 塵灰にくだけはてなばさてもあらでよみがへらすることのはぞうき
211 あはれみし乳房のこともわすれけり我がかなしみの苦のみおぼえて
212 たらちをのゆくへを我も知らぬかなおなじほのほにむせぶらめども
こころをおこす縁たらば阿鼻の炎の中にてもと申す事を
思ひいでて
213 ひまもなきほむらのなかのくるしみもこころおこせばさとりにぞなる
阿彌陀の光願にまかせて、重業障のものをきらはず、地
獄をてらしたまふにより、地獄のかなへの湯、C冷の池
になりて、はちすひらけたるところを、かきあらはせる
を見て
214 光させばさめぬかなへの湯なれどもはちすの池となるめるものを
三河の入道、人すすむとてかかれたる所にたとひ心にい
らずともおして信じならふべし この道理を思ひいでて
215 知れよ心思はれねばとおもふべきことはことにてあるべきものを ▲
216 おろかなる心のひくにまかせてもさてさはいかにつひのおもひは ▲
閻魔の廳をいでて、罪人を具して獄卒まかるいぬゐの方
にほむら見ゆ。罪人いかなるほむらぞと獄卒にとふ。汝
がおつべき地獄のほむらなりと獄卒の申すを聞きて、罪
人をののき悲しむと、ちういん僧都と申しし人説法にし
侍りけるを思ひ出でて
217 問ふとかや何ゆゑもゆるほむらぞと君をたき木のつみの火ぞかし
218 ゆくほどは繩のくさりにつながれておもへばかなし手かし首かし
かくて地獄にまかりつきて、地獄の門ひらかむとて、罪
人を前にすゑて、くろがねのしもとを投げやりて、罪人
に對ひて、獄卒爪弾きをしかけて曰く、この地獄いでし
ことは昨日今日のことなり。出でし折に、又歸り來まじ
きよしかへすがへすヘへき。程なく歸り入りぬること人
のするにあらず、汝が心の汝を又歸し入るるなり、人を
怨むべからずと申して、あらき目より涙をこぼして、地
獄の扉をあくる音、百千の雷の音にすぎたり
219 ここぞとてあくるとびらの音ききていかばかりかはをののかるらむ
さて扉ひらくはざまより、けはしきほのほあらく出でて、
罪人の身にあたる音のおびただしさ、申しあらはすべく
もなし。炎にまくられて、罪人地獄へ入りぬ。扉たてて
つよく固めつ。獄卒うちうなだれて歸るけしき、あらき
みめには似ずあはれなり。悲しきかなや、いつ出づべし
ともなくて苦をうけむことは。ただ、地獄菩薩をたのみ
たてまつるべきなり。その御あはれみのみこそ、曉ごと
にほむらの中にわけ入りて、悲しみをばとぶらうたまふ
なれ。地獄菩薩とは地藏の御名なり
220 ほのほわけてとふあはれみの嬉しさをおもひしらるる心ともがな
221 さりともなあかつきごとのあはれみに深き闇をも出でざらめやは
222 くるしみにかはるちぎりのなきままにほのほとともにたち歸るかな
223 すさみすさみ南無ととなへしちぎりこそ奈落が底の苦にかはりけれ
224 あさ日にやむすぶ氷の苦はとけむむつのわをきくあかつきのそら
世のなかに武者おこりて、西東北南いくさならぬとこ
ろなし。うちつづき人の死ぬる數、きくおびただし。ま
こととも覺えぬ程なり。こは何事のあらそひぞや。あは
れなることのさまかなと覺えて
225 死出の山越ゆるたえまはあらじかしなくなる人のかずつづきつつ
武者のかぎり群れて死出の山こゆらむ。山だちと申すお
それはあらじかしと、この世ならば頼もしくもや。宇治
のいくさかとよ、馬いかだとかやにてわたりたりけりと
聞こえしこと思ひいでられて
226 しづむなる死出の山がはみなぎりて馬筏もやかなはざるらむ
木曾と申す武者、死に侍りにけりな
227 木曾人は海のいかりをしづめかねて死出の山にも入りにけるかな
上西門院にて、わかき殿上の人々、兵衞の局にあひ申し
て、武者のことにまぎれて歌おもひいづる人なしとて、
月のころ、歌よみ、連歌つづけなんどせられけるに、武
者のこといで來たりけるつづきの連歌に
228 いくさを照らすゆみはりの月
伊勢に人のまうで來て、「かかる連歌こそ、兵衞殿の局せ
られたりしか。いひすさみて、つくる人なかりき」と語
りけるを聞きて
228 こころきるてなる氷のかげのみか
申すべくもなきことなれども、いくさのをりのつづきな
ればとて、かく申すほどに、兵衞の局、武者のをりふし
うせられにけり。契りたまひしことありしものをとあは
れにおぼえて
229 さきだたばしるべせよとぞ契りしにおくれて思ふあとのあはれさ
佛舎利おはします。「我さきだたば迎へ奉れ」とちぎら
れけり
230 亡き跡のおもきかたみにわかちおきし名殘のすゑを又つたへけり
中有の心を
231 いかばかりあはれなるらむゆふまぐれただ一人ゆく旅のなかぞら
232 みつせ川みつなき人はこころかな沈む瀬にまたわたりかかれる
醍醐に東安寺と申して、理性房の法眼の房にまかりたり
けるに、にはかにれいならぬことありて、大事なりけれ
ば、同行に侍りける上人たちまで來あひたりけるに、雪
のふかく降りたりけるを見て、こころに思ふことありて
よみける
233 たのもしな雪を見るにぞ知られぬるつもる思ひのふりにけりとは
かへし 西住上人
234 さぞな君こころの月をみがくにはかつがつ四方にゆきぞしきける
北山寺にすみ侍りける頃、れいならぬことの侍りけるに、
ほととぎすの鳴きけるを聞きて
235 ほととぎす死出の山路へかへりゆきてわが越えゆかむ友にならなむ
をりにつけたる歌よみけるに
236 とにかくにはかなき世をも思ひ知りてかしこき人のなど無かるらむ
237 よしあしの人のことをばいひながらわが上しらぬ世にこそありけれ
238 さればよとみるみる人のおちぞ入るおほくの穴の世にはありける
239 とまりなきこのごろの世は舟なれや波にもつかず磯もはなれぬ
花の歌どもよみけるに
240 吉野山こぞのしをりの道かへてまだ見ぬかたの花をたづねむ ▲
241 月はみやこ花のにほひは越の山とおもふよ雁のゆきかへりつつ
242 花ちりて雲はれぬれば吉野山こずゑのそらはみどりにぞなる
243 花ちりぬやがてたづねむほととぎす春をかぎらじみ吉野の山
五條三位入道、そのかみ大宮の家にすまれけるをり、
寂然・西住なんどまかりあひて、後世のものがたり申し
けるついでに、向花念淨土と申すことを詠みけるに
244 心をぞやがてはちすにさかせつるいまみる花の散るにたぐへて
かくてものがたり申しつつ連歌しけるに、扇にさくらを
おきてさしやりたるを見て 家主 顯廣
245 あづさ弓はるのまとゐに花ぞみる
とりわきつくべきよしありければ
245 やさしことになほひかれつつ
花雪に似たりといふことを、ある所にてよみけるに
246 比良の山春も消えせぬ雪とてや花をも人のたづねざるらむ
郭公を
247 我ぞまづ初音きかまし時鳥まつこころをも思ひしられば
248 たちばなのさかり知らなむ時鳥ちりなむのちに聲はかるとも
249 よそに聞くはおぼつかなきにほととぎすわが軒にさく橘に鳴け
連夜聞水鷄
250 竹の戸を夜ごとにたたく水鷄かなふしながら聞く人をいさめて
雙輪寺にて、松河に近しといふことを人々のよみけるに
251 衣川みぎはによりてたつ波はきしの松が根あらふなりけり
戀
252 あひそめてうらこき戀になりぬれば思ひかへせどかへされぬかな
253 なげきよりしづる涙のつゆけきにかこめにものを思はずもがな
冬夜戀
254 こぬ夜のみ床にかさねてから衣しもさえあかすひとりねの袖
としたか、よりまさ、勢賀院にて老下女を思ひかくる戀
と申すことをよみけるにまゐりあひて
255 いちごもるうばめ媼のかさねもつこのて柏におもてならべむ
覺雅僧都の六條の房にて、忠季 宮内大輔 登蓮法師なむど
歌よみけるにまかりあひて、里を隔てて雪をみるといふ
ことをよみけるに
256 篠むらや三上が嶽をみわたせばひとよのほどに雪のつもれる
公卿勅使に通親の宰相のたたれけるを、五十鈴の畔にて
みてよみける
257 いかばかり凉しかるらむつかへきて御裳濯河をわたるこころは
258 とくゆきて~風めぐむみ扉ひらけ天のみかげに世をてらしつつ
おなじをりふしの歌に
259 ~風にしきまくしでのなびくかな千木高知りてとりをさむべし
260 宮ばしら下つ岩根にしきたててつゆもくもらぬ日のみかげかな ▲
261 千木たかく~ろぎの宮ふきてけり杉のもと木をいけはぎにして
262 世の中をあめのみかげのうちになせあらしほあみて八百合の~
263 いまもされなむかしのことを問ひてまし豐葦原の岩根このたち
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「注 1」 ▲マークは重出歌
050番は20P、054番は33P、078番は47P、091番は84P、098番は84P
127番は94P、201番は196P、216番は196P、240番は33P、260番は124P
に、それぞれ初出です。
215番歌は▲マークがありますが、重複歌はありません。
「注 2」 山家集のうちに使用されているルビは省略しています。
「注 3」
158 夜もすがら明石の浦のなみのうへにかげたたたみおく秋の夜の月
この歌は「た」が3字並んでいて、明白な校正ミスですが、そのまま掲載
しています。
「注 4」 連歌は上句と下句で一首として計算しています。
「注 4」 漢字はできるだけ忠実に使用していますが、古字の無いものは
現在通用している文字を使用しています。
便、尊 縁、乳、即、曾、平、僧、喩、文、浮、雪、説、累、使、歴、内、
悩、咲、偏、増、終、寒、戸、薫、黒、猶、巣、u、又、郷、麻、冬、賊、
菜、朝、杖、帽、所、摩、扉、扇、消、雙。
上記文字のほかに しんにゅう を部首とする文字は、ほぼ同一文字は
ありません。
蓮、速、逸、連、述、道、遣、遠、遥、迎、通、退、過、隨。
以上の文字が「しんにゅう」の上に、点がひとつしかありません。
赤字は連歌。
「阿部 記」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
底本
■ 著名 新訂 山家集
■ 著者 西行法師
■ 校訂 佐佐木 信綱
■ 発行者 大塚 信一
■ 発行所 株式会社 岩波書店
■ 初版 1928年10月05日 第 1刷発行
■ 発行 1999年07月05日 第62刷発行
底本の親本
著名 聞書集
入力
入力者 阿部 和雄
入力完了日 2002年05月27日
校正
校正者 阿部 和雄
校正者 大山 輝昭 氏
校正完了日 2002年05月31日
以上
ページトップにもどる