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京都写真集 マガジン54号
比叡山 無動寺大乗院 2001.09.24
(前大僧正慈鎭、無動寺に住み侍りけるに、申し遣しける)
◎ いとどいかに山を出でじとおもふらむ心の月を獨すまして 181ページ
(無動寺へ登りて大乗院のはなち出に湖を見やりて)
◎ 鳰てるやなぎたる朝に見渡せばこぎゆくあとの波だにもなし 278ページ
◎ ほのぼのと近江のうみをこぐ舟のあとなきかたにゆく心かな 「慈鎭」278ページ
慈鎭和尚 (1155〜1225)
慈鎭和尚とは 慈円 の死亡後に追贈された謚号です。
したがって、ここでは 慈円 とします。
慈円は、摂政関白 藤原忠道 を父として生まれました。藤原基房、兼実などは兄に
あたります。11歳で僧籍に入り、後に天台座主となります。相應和尚の建立した無動寺の
大乗院で修行を積んだそうです。1203年に大僧正となりますがすぐに辞退。
1225年、71歳で入寂。1237年に慈鎭和尚と謚名されました。
歴史書に「愚管抄」 家集に「拾玉集」などがあります。
181ページ及び278ページにある「慈鎭」は正確には「道快」だと思います。
また、この歌の当時は、慈円は大僧正とはなっていません。
このことによって、現在の山家集の底本は1237年以降の書写に
よるものと考えられます。
大乗院近くから見た琵琶湖
現在の大津の市街が見えます。天智天皇の大津の京のあったところです。
無動寺説明版
延暦寺から琵琶湖側に向かって急峻な道を下がって行ったところに
無動寺があります。無動寺とは一寺のみを指すのではなくて、多くのお寺を
総称して言います。無動寺明王堂・無動寺大乗院などといいます。
この無動寺は別格で、現在でも大変重要な役割をになっています。
千日回峰はこのお寺を基点としています。
慈鎭の修行したという大乗院で、西行も「はなちで」で、琵琶湖を見ています。
「はなちで」とは今で言うベランダのことです。
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延暦寺 根本中堂
最澄の開いたこの叡山では、これまでも日本を代表する高僧達が
輩出いたしました。この山、なかんずく、この根本中堂が日本の
礎であったと言いきってもいいでしょう。
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