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もみの木エッセイ集


「古東先生、ごめんね」       

 古東先生は、私の小学校三、四年生時の担任の先生でした。
古東と書いて「ことう」と読むお父さんのような先生でした。その
古東先生と五年ほど前に約四十年ぶりにお電話でお話すること
ができました。担任していただいた当時の先生のお歳は、五十歳
前後だったと思いますので、もう九十歳前後になっておられたと
思います。


 私も四国から大阪に出てきて数十年、先生も現在は大阪の
息子さんと一緒に住まわれているとのことでした。電話でお話
したとき、私は、心の中では、先生は私のことを絶対に覚えて
くださっているはずだと確信はしていたのですが、

「先生、私のこと覚えていますか?」

と尋ねました。先生は、あたりまえだと言うように、「覚えているよ」
と言ってくださいました。私と同居している私の母も電話で先生と
お話をし、私は、

「先生、年があけて、もう少し暖かくなったら母と一緒に、先生に
会いに行きますからね。」

と話しました。それから約二ケ月後のことでした。先生の息子さん
からお電話がありました。先生は、急に亡くなられ、昨日、もう
お葬式を済まされたとのことでした。

 私は、咄嗟に「しまった」と思いました。電車を乗り継いで先生の
お家へ行く道中、どうしてあの時、すぐに会いに行かなかったの
だろうと後悔の念がこみ上げてきました。先生の御霊前で、息子
さんご夫婦から、亡くなられた時の先生のご様子をうかがいました。
先生はいつものように、起床され、洗面所へ行かれ、食卓に座った
とたんに横に倒れ、そのまま大往生されたとのことでした。
 そういえばその朝、子犬が先生の足元でいつになく吼えていた
とのことでした。

 あれからもう五年経ちますが、先生と四十年ぶりにお話できた
ことを感謝しつつも、すぐに会いに行かなかったことを今でも後悔
しています。先生は、きっと待っていてくださったと思います。

「古東先生、ごめんね」


 
私の通勤経路            

 私の家から最寄りのJR和泉府中駅まで歩いて約二十分かかります。
私は帽子が好きで、春夏秋冬、いつも被っているのですが、途中、
四回、帽子をとります。
 一回目は、橋の袂の大きな桜の木と挨拶を交わす時です。桜は
出会いと別れの時期の花でもあり、人の心の喜びや痛みを理解して
くれている花のように感じます。
 二回目は、六地蔵をお参りする時です。近道をするために通る
農道の途中にあります。六地蔵の顔はそれぞれ皆違っていて家族
にも似ています。この辺りは、桑原という地名ですが、雷で有名な
あの桑原です。雷が鳴ったとき、「くわばら くわばら」というのは、
この辺りは昔、天神様の御領地だったので、

「ここは桑原であるから、落ちるなよ。」

と雷に牽制する言葉だったようです。周りの畑は、花の促成栽培
などもしていますので、お地蔵様はいつもきれいなお花で飾られて
います。お菓子も奉られていますが、火の付いたタバコが六地蔵に、
一本ずつ供えられていたときは驚きました。
 三回目は、浄土宗のお寺の前を通るときです。お寺の前の掲示板に、
毛筆で書かれてある俳句を鑑賞して通ります。有名な俳人の句ばかり
ですが、楽しみにしています。

 昼舟に狂女のせたり春の水  蕪村  

 最近の俳句です。一度だけですが、お寺の前で、ご住職さんに
お会いしたことがありましたので、ご挨拶をさせていただきました。
 四回目は、お寺の横にあるお地蔵様です。近くに住まわれている
方が毎朝、お掃除をされ、お茶をお供えされています。
 時々家人に、車で駅まで乗せていってもらうこともあるのですが、
徒歩での私の通勤経路には、四季それぞれの楽しみがあります。
 もうそろそろ紫外線予防の日傘を用意しなければと思っている
ところです。