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もみの木エッセイ集

 わが青春の城下町

 よくカラオケで歌う歌に、梶光夫の「青春の城下町」が
あります。私が中学生まで過ごした瀬戸内海の川之江と
いう町は、城下町でした。お城の天守閣はもう残っては
いなかったのですが、海に面したところには、小高い丘の
ような城山がありました。

「流れる雲よ城山に登れば見える君の家〜」

と始まる歌は、その頃の思い出につながる歌なのです。
 小学生の頃には、「今日、学校が終ったら、城山へ行こう。」
と皆で呼びかけあって、男子も女子も一緒に遊びに行って
いました。
 城山には、姫が嶽という絶壁があるのですが、昔、お城が
滅んで焼け落ちたとき、白馬に乗ったお姫様がこの崖から
飛び降り、白い蛇になったという言い伝えがありました。
少し横の険しい道を降りて行くと、ひき潮の浜辺には、
その白蛇が奉られているという小さな祠がありました。
こわごわ、その洞穴を覗きに行ったり、岩に座って海を見つめ
たり、子どもの興味に十分付き合ってくれる遊び場でした。
春は、桜祭りがあり、お遍路さんのお接待があり、城山は
行事の広場になっていました。

 「青春の城下町」のこの歌詞のことですが、私の場合は、
詳しく言えば、実際に見えるのは「君の家」ではなく、「私の家」
でした。私が見たかった家は、山の陰になって少しも見えま
せんでした。

「〜灯りが窓にともるまで見つめていたっけ逢いたくて〜」

 故郷を離れてからも幾度かこの城山を訪れましたが、その内、
驚いたことに、映画の撮影場にあるような小さな天守閣が
作られていました。その上、姫が嶽も、もう絶壁ではなくなり、
崖下も埋立地になっていました。
 今もこの歌に惹かれるのは、昔のままの「わが青春の城下町」
が甦ってくるからかもしれません。

 堺を食べて観よう 
     
 私は、堺という町で毎日仕事をし、四季折々の堺の町を見ています。
いつも思っていることですが、魅力ある堺を紹介していくことが大切
だと思います。
 私もそうですが、堺に住んでいる人でも、古き堺の歴史を知らない
ことが多いのです。
 その中の一部の歴史ですが、ご紹介します。
 私の職場の近くに、ちぬが丘保育園があります。この「ちぬ」という
名は、古事記に書かれています。神武東征伝のなかに、手に傷を
負った兵士の血で海の水が赤く染まり、血沼(ちぬ)の海となった
ところから、ちぬの海(大阪湾)、ちぬが丘と呼ばれたようです。

 また、堺と言えば、仁徳天皇陵ですが、この御陵は、百舌鳥耳原
中陵とも呼ばれています。今も耳原という名前が病院の名前で
残っています。昔、狩猟をしているとき、突然に、鹿が走ってきて、
目の前でバタンと倒れてしまったので、どうしたのだろうと見ると、
百舌鳥が鹿の耳の中を食いちぎっていたとのことで、耳原という
地名になったと言われています。今でも百舌鳥がたくさんいます。

 履中天皇陵もあります。履中天皇といえば、桜です。サクラとして
明確に記述されているのが、履中天皇の時代で、履中3年(402年)
11月に、天皇と皇后が磐余の市磯池に舟を浮かべ宴を催されたとき、
その盃の中に、サクラの花びらがはいったと記されていて、サクラの
最古の記述と言われています。(日本書紀)

 記紀に書かれている堺をとりあげても、まだまだありますが、中世、
近世、近代においても、たくさんの歴史が埋もれています。
 また、利休の町、お茶の生まれた町でもあり、美味しい生菓子が
今でもたくさんあります。堺に来られないと食べられない生菓子です。
「堺を食べて観よう」という観光バスなどの企画があれば、地元に
居る私ですが、ぜひ参加したいと考えています。