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もみの木エッセイ集
かぎろひを観る会
「かぎろひを観る会」が、毎年、大宇陀町で開催されていることを
知ったのは、2003年頃です。旧暦の11月17日に行なわれるのですが、
その年は12月30日でした。
かぎろひというのは、柿本人麻呂が阿騎野で詠んだ歌のあの
「かぎろひ」です。
ひんがしの野にかぎろひの立つみえてかえりみすれば月かたぶきぬ
この歌の情景は、東方の野のかなたに、太陽が昇ろうとする
曙光が見える。ああ、もう夜明けだと気がついて、ふとふりむくと、
西の方には月が入ろうと傾いている。これは、草壁皇子が亡くなり、
その息子である軽皇子(持統天皇の孫)が後継者であることを
詠んでいる歌だといわれています。沈む月は持統天皇、昇る朝日は
軽皇子です。
かぎろひとは、「厳冬のよく晴れた夜明け、日の出の1時間ほど
前に現われる最初の陽光」とのことですが、気象条件が揃わなけ
ればなかなか見えない現象のようです。
私が参加した当日のプログラムは、早朝4時からコンサートや
講演が始まり、パンフルートの演奏もありました。そして、いよいよ
AM5時50分の「かぎろひ立つ」という時が来ました。みんな東を
向いて、今か今かと待っていました。かぎろひの丘の早朝気温は
零下です。じっと待つ沈黙の時間が過ぎ、「えっ?」と思っていると、
アナウンスが流れました。
「残念ですが、がぎろひは見えませんでした。」
後で聞いたことですが、昨年も、その前の年も見えなかったそうです。
かぎろひの丘では、竹の杯でお酒や、熱いお汁をいただき、大きな
焚き火にあたりながら古代のロマンを楽しみました。期待した
「かぎろひ」は観えませんでしたが、西の山の端を見ると、歌と同じ
月が、傾いていくのが見えました。
古の秋の香
数年前の新聞に、あるお寺のご住職が境内にいろいろな
お花を育てられているご様子が載っていました。その中で、
「若い頃は花の形や色の美しさに魅せられていましたが、
年をとってからは花の香に魅せられるようになりました。」
と語っておられたのが印象に残っています。
現在、私も同じ思いになってきたなあと感じます。
昨年(二〇〇四年)経験したのは「古の秋の香」です。
十一月の初めに一日だけですが奥州平泉へ行くことが
できました。西行法師の歌が好きな私は、中世の昔に二度、
平泉を訪れた西行法師の足跡を訪ねてみたいと思っていた
のです。その日は、あいにく小雨が降っており、中尊寺、
毛越寺は雨に濡れた紅葉が鮮やかで秋の真っ只中にあり
ました。池の周りの木々は言うまでもなく、水面に映った影さえ
燃え立っていました。古戦場である衣川や
ききもせず束稲山の桜花吉野の外にかかるべしとは
と西行法師が詠んだ束稲山(たばしねやま)も見えました。
山には山の、紅葉には紅葉の香がありました。
この時思い出したのは額田王の「秋山ぞわれは」という
万葉集の歌です。
天智天皇が春山のすべての花が咲き乱れるあでやかさと、
秋のさまざまな葉の紅葉の美しさを争わせなさった時、額田王が
「秋の山である、私は」と判定しました。
この雨で洗われた鮮明な色の紅葉や、木々の根元から白い
霧が立ち昇る風景の中に立っていると、春には花見のはしごを
している私ですが、なるほどと、心の中でうなずいてしまいました。
あれから約1年、現在NHKの大河ドラマで放映されている義経
縁の古の黄金郷・平泉ですが、「古の秋の香」は残っていました。