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もみの木エッセイ集


 万葉フォーラム


「万葉集と政治」梅原猛氏   


 2004.9.20の万葉フォーラムは、「水底の歌−柿本人麿」
を書かれた梅原猛氏でした。

 まず初めに「柿本知事のもとで万葉文化館が建てられ、
柿本知事は、人麻呂の親戚ではなかろうか。」と、笑顔で
話されました。


 ご自身の生い立ちの中では、川端康成の17歳の日記の
影響で、文学生になり、戦争へは、「万葉集」を持って
いった。また京大を選んだ一つの理由は、奈良に恋人が
いたこと。恋文で文章がうまくなった。橿原神宮で一度
だけ
30分位のデートをした。2、3言しか言葉は交わさ
なかったが、目を見合わせたとき、一瞬ではあるが、
永遠を感じた。等など、普段には聞けないお話もありました。

 西洋の哲学ばかりか仏教について関心が深かった梅原氏の
著書には、「仏像―心とかたち」や「隠された十字架―
法隆寺論」があります。


 万葉集についてのお話の中で印象に残ったのは、
「万葉集」は、人麻呂という藤原氏の権力によって刑死
した人間の歌を主としたものである。橘諸兄と結びつき、
反藤原をねらった大伴家持の政治的意思が反映している。
その人麻呂の鎮魂を考えたのは家持ではないか。人麻呂や
家持は政治的には藤原氏に惨敗したが、歌は永遠に残って
いる。古今集は続万葉集とも言われるが、紀氏(紀貫之)
は藤原氏には負けたけれど、文学では功績を残した。
「文学こそ、永遠の栄光ではないか」という考えがある。
とのことでした。
 
 人麻呂にも聖徳太子にも、乗り移って本を書かれたと
いう梅原氏は、日本においては、第一級の文化人の聖徳太子、
柿本人麿、菅原道真、千利休などはすべてそれぞれ仏教、
文学、学問、茶道の神怨霊になった人である。怨霊こそ
日本の文化であるといえるが、残念なことに私は、怨霊には
なれない。それが私の限界ではないかと思う。

 という締め括りで、明日香の万葉フォーラムは終りました。


  ジョーンズ骨折(下駄骨折)

 災害は、思わぬときにやって来る。「不意に」である。

 9月上旬の夕方、娘の住んでいる松江に着き、車の
後部座席から荷物を取り出そうとした時、サンダルを
履いていた右足が外側に捻じれた。坂道だった。
今までに味わったことのない痛みが走った。とにかく
今夜は、
応急処置の基本のRICE処置法をしようと考えた。

RRest…安静)・IIce…アイシング)− 患部の
冷却・
CCompression…圧迫)・EElevation…挙上)
である。薬局で、便利なワンタッチ即冷パックを買って
来てもらった。


 そして翌日、松江を出発して大阪まで帰り、救急病院で
診てもらった。右足第5中足骨骨折である。昔は、
下駄を履いている人がよく起こした骨折であるので、
「下駄骨折」と呼ばれている。横文字では、
「ジョーンズ骨折(ジョーンズ医師が骨折のメカニズム
を解明した)」と呼ばれている。


 救急医は、安静にするようにとシーネ固定をしてくだ
さった。しかし、翌日診てくださった整形外科医は
「包帯固定で治ります。」と言われ、シーネを外された。


 でも、歩くと痛い。私は「例えば、あおり運動などで
患部が動いても、回復には影響はないのですか?」
と再度確認したところ、「何度も言いますが、大丈夫です。
みんな治っています。」と言われた。

 二、三日後、痛みが変わらないので、考えた末、近くの
クリニックに転医した。すると、骨折の部分がずれてきて
いるとのことで、ギプス固定・松葉杖使用となり、約3週間の
自宅療養となった。セカンドオピニオンはやはり必要である。

 年毎に、勤務条件が厳しくなり、来年からは10年毎に
あったリフレッシュ休暇も廃止になる。今まで、お産の
時以外は長期休暇をとったことがない私であるが、結果と
して、自分でリフレッシュ休暇をつくってしまった。