もみの木エッセイ集
十市皇女(とをちのひめみこ)のこと
この夏、天智天皇の近江朝廷があった近江の地を
訪ねたとき、弘文天皇陵(大友皇子)へも足をのばせた。
弘文天皇は十市皇女の夫である。
その時、以前何回か訪れた奈良の新薬師寺前にある
比賣神社(ひめかみしゃ)に祭られている十市皇女の
像を思い浮かべた。男女が抱きあって立っている像
(道祖神)である。
十市皇女と大友皇子の像のようである。私はその像を
初めて見たとき、相手の像は高市皇子だと思った。
十市皇女が薨去された時の皇子の歌を思い出したからだ。
山吹の立ち茂みたる山清水汲みに行かめど道の知らなく
(万葉集巻2-158 高市皇子)
<黄色い山吹の花が咲く清水(=黄泉を指す)を汲みに、
あなたを訪ねて行こうと思うが、道が分からない>
その死を惜しみ、恋慕うような歌である。
本当はどうであったのだろう。今回、近江の地を訪れたのを
きっかけに、少し冷静に考えてみた。
壬申の乱の骨肉の争いで夫である大友皇子が敗死し、
息子である葛野王を連れて、父親である天武天皇のもとへ
帰ってきた皇女。その経過などを考えると、十市皇女の
複雑な思いが偲ばれてくる。父のもとに帰ったとはいえ、
もしかすれば、旧近江朝廷に対しての人質の意味もあった
のかもしれない。
高市皇子の思慕は、そんな運命にさらされた異母姉への
同情愛だったのかもしれない。皇女の急死は、何が原因
なのだろう。等等。
私は、山辺の道を歩くとき、歌の雰囲気に合わせて作った
泉ではあるが、高市皇子の歌「山吹の〜」の歌が書かれて
ある小さな泉で、いつも暫く立ち止まる。
これらの古代ロマンを考えていると、何かに問いかけて
みたい思いになり、また山辺の道を歩いてみようと思う
のである。
ほのかのとんとん
ほのかは、生後十一か月になる私の孫である。足を
広げて座り、玩具で遊んでいることが多い。手遊びが
得意である。
両手に同じ種類の玩具を持ち、それをかちかちと
合わせて鳴らすのが好きである。
人見知りをする時期で、一か月前に、数ヶ月ぶりに
顔を会わせたときは、初めは口をへの字にして泣いて
しまったが、しばらく一緒にいると、少し距離を置き
ながら自分のペースで遊び始めた。
お気に入りのマラカスがあったので、そっと側に二つ
置いてやると、表情の変化はあまり見せなかったが、
こちらを見ながら、両手にひとつずつ持ち、かちかちと
鳴らし始めた。かちかちしながらこちらを見ている。
確かに、得意そうな目をして鳴らしていた。
「上手 上手 ほのたん上手やね。」
と手を叩いてほめると、少しにこっとして、いくらでも
鳴らし続けた。
二日後、私が帰ることになり、彼女は車まで抱っこを
されて見送りにきてくれた。その時、何を思ったのか、
仰向けに抱っこされたまま、自分の両手で両足首を持ち、
かちかちと合わせ始めた。自分の足がかちかちになった。
みんなは、笑いながら
「上手やね〜ほのたん」
と手を叩いてほめた。得意そうであった。
それから一か月後に会ったときも、まだかちかちの
時期は続いていた。
そのうち、ふと気がつくと、彼女は、仰向けに寝ながら、
自分の足で床をとんとんとんとんと鳴らしていた。私が
見ると、彼女もこちらを見ている。新しい技である。娘が、
「ほのたん、この頃、足で床をとんとんするんよ。下の
階に響かないか心配やわ。床に布団をしいても、布団を
避けて鳴らすのよ」
とぼやいていた。私は暫く「上手 上手」は、やめて
おこうと思った。