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もみの木エッセイ集

万葉集講座デー

 最近、私は月に一度の割合で姫路へ行く。中西進先生の万葉集講座を
受講するためである。受講者は約200人、年配のご婦人が多い。講座が
始まる約1時間前から着席し始める。講座会場である姫路文学館は、
傾斜地を利用して建てられているため、緩やかな数十メートルの坂道を
登って行かなければならない。先日も前かがみになって歩いて行かれる
80歳に近いご婦人を見つめながら、“この方も1ヶ月前から、この日を
楽しみに待っておられたのだろうなあ”“先生は、たくさんの人々に
生きがいを与えておられるなあ”と感じた。
 私は以前より、中西先生の講座を聴きたいと思っていた。そして1年前に、
やっとこの講座を見つけることができた。大阪からは遥かに遠い姫路での
講座ではあったが、早速、事務所へ問い合わせた。大げさな言い方では
あるが、学問には壁はなく、よそ者の私の受講を快く受け入れてくださった。
 JR大阪駅から新快速に乗って約1時間で姫路に着く。電車の窓から
眺める明石海峡大橋や播磨灘。かつて万葉の時代以前は、明石の
辺りが畿内と畿外との境であり、古の人は、畿内を振り返りながら、
「明石大門」から旅立って行ったと聞く。広い海が広がる播磨は、昔からの
交通の要衝である。
 姫路へ着くのは正午前である。地下の食堂街には、人気商品である
「明石風たこ焼」や中西先生が、昼食の時間がないときには買ってきて、
控え室で食べておられると話されていた「ござそうろう」のお店もある。
 私は、姫路駅で昼食を摂ってから、姫路城の雄姿を眺めながら大手前
通りを歩き、姫路文学館まで歩いていく。街の風を楽しむ。
 この講座を受講し始めて翌月の講座の時、
「私のこの講座に大阪から来られている方がおられるということを
お聞きしました。私もまだまだ頑張ってお話ししなければと思っています。」
という内容のお話があった。 
 12月の講座では、巻第十四巻の3424の中の、「ま妙(ぐは)し児ろは
誰が笥か持たむ」は、食器は妻が盛るものであるから、「誰の食器を
持つのだろう」ひいては、「どの男に嫁ぐのだろう」という意味であると、
説明してくださった。笥には、そう意味があるので、

家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る   
      巻第二の142  有馬皇子

のよく知られている歌は、「家にあれば、妻がご飯を盛ってくれる」という
意味があり、「妻への思慕が詠まれている」とのことであった。
 直訳すれば、「家にいれば食器に盛る飯であるが、旅の途中で
あれば椎の葉に盛る」というこの歌は、単なる叙景歌ではなく、もっと
もっと深い意味があったのだ。
 一期一会のような講座が終わっての帰り道、私はいつも感慨深い
気持で姫路駅へ向かう。
 私の唯一贅沢な万葉集講座デーである。
                                (2005.12.19)


 雪の西行庵

  数年前の大晦日、夫と二人で奈良県大宇陀町の「かぎろひを観る会」に
参加したが、残念ながら観ることが出来ず、帰りに吉野まで行こうと
いうことになった。
  西行の歌に詠まれている冬の山里、吉野である。
 大宇陀から吉野方面へと車を走らせた。
  冬の吉野は、想像したより穏やかな山里であった。下千本から
中千本へと登り、山の上から見下ろす風景には、想像していた冬の
厳しさはなく、これが「冬麗」というのだろうかと思う程の穏やかな
表情の吉野があった。
 とにかく奥千本の西行庵まで行こうと、車を走らせて行くうち、
上千本辺りから山道の景色が変わってきた。道の両側に白いものが
見え出した。粉雪である。道の白さがだんだんと増していった。

 奥千本に着くと、金峯山寺の屋根や鳥居には真っ白な雪が積もっていた。
すぐ傍の義経の隠れ堂も雪の装いであった。

 いつも西行庵へ行くときは、金峯山寺の境内に車を置き、お寺の横の
細い山道を登り、次に平らな道を少し歩いた後、山の側面の細い道を
下って行く。幅一メートルにも満たない下り道は、片側は絶壁である。
 私たちは、雪の金峯山寺を見たとき、一瞬、前に進むのを躊躇した。
運動靴を履いてきたのだ。雪の道をどこまで行くことが出来るのだろうかと
不安になった。

 しかし、せっかく来たのだから、行ける所まで行こうという結論になった。
 一番難所の下り道の途中では、足がすくんで立ち止まってしまった。でも、
もはや前に進むしかなかった。気を取り直して、一歩、一歩、靴を踏みしめて、
やっと下までたどり着いた
 
 そこには、静かな一角があった。

 今まで見たことがない風情の西行庵があった。雪の西行庵である。
庵の中には、まだ若い頃の西行像が一人で座っていた。庵の周りには、
小さな動物の足跡が残っている。

  さびしさにたへたる人の又もあれな庵ならべん冬の山里  西行

 の歌が思い出された。
 私は、聖域に足を踏み入れたような気持になり、長居をせずに引き返した。
車で山を下りながら、つい先程まで居た世界は、一体何だったのだろうかと思った。

 み吉野の御金(みかね)の岳(たけ)に間無くぞ雨は降るとふ時じくそ
 雪は降るとふ〜   万葉集


 という歌を知ったのは、その後、数年経ってからのことであるが、
御金(みかね)の岳というのは、この金峯山のことだそうである。
 やはりこの歌のように、金峯山あたりでは非時(ときじくそ=時を定めず)
雪は降っているのかもしれない。
 あの雪の西行庵も、きっと別世界に佇んでいたのだ。
                    (2006年2月4日)