もどる
もみの木エッセイ集
君いつ帰る
先日の中西進先生の万葉集講座で、
竹敷(たかしき)の玉藻なびかしこぎ出でなむ君が御船を何時とかまたむ
巻第十五 3705
という歌の解説をしてくださった。
この歌は、当時、新羅へいく大使一行を迎え、そして船出に際して、
対馬出身の娘子(おとめ)名は玉槻(たまつき)という遊女が餞(はなむけ)に
詠んだ歌である。この「何時」というのは、「何時か、早くと」という意味があって、
「いつと思ってお待ちしましょう。早くお帰えりください」という意味になるそうである。
この言葉の説明の中で、中西先生は、
「皆さんも『今日のお帰りは何時頃ですか』とよく聞かれるでしょう。それは、
何時何分に帰ってくるのを知りたいのではなく、『早く帰ってきてください』と
言っているのですね」と、お話くださった。
私は、その説明を聞かせていただいたとき、「ああ、そうだったんだ」
と、納得したような気持ちになった。
そして、「君いつ帰る」に関連した言葉をいくつか思い浮かべた。
万葉集の歌とは、全く関係がないが、二葉あき子の「夜のプラットホーム」である。
星はまたたき 夜はふかく なりわたる なりわたる プラットホームの 別れのベルよ
さよなら さよなら 君いつ帰る
この最後の、「君いつ帰る」は、心に残るフレーズである。「早く帰ってきてくださいね」と
歌っていたのだ。
そして、さだまさしの「案山子」である。
元気でいるか 街には馴れたか 友達出来たか 寂しかないか お金はあるか
今度いつ帰る
この歌を聞くと、息子が学生時代に下宿していた頃のことを思い出す。
「今度いつ帰る」。親心の歌だと思う。
万葉集の相聞歌では、恋人である宅守と引き裂かれて詠んだ狭野弟上娘子の
歌がある。
君が行く道の長手を繰りたたね焼き滅ぼさむ天の火もがも
味真野にやどれる君がかえりこむ時の迎えをいつとかまたむ
この二つの歌は、狭野弟上娘子の歌である。道というカーペットは、天の火でなければ
焼けない。「天火ヲ災ト日フ」ということを
知って詠まれた歌だろうとお話しくださった。それほどに「いつとかまたむ」気持で
あったのだ。
話が変わるが、以前、単身赴任されていた方が、あまりお家に帰らないので、
「今度は、何時帰られるのですか」ではなく、「今度は、何時おいでになるのですか」と
奥様に言われた、と愚痴っておられたことがあったが、
「何時」の意味を考えれば、早くと、待ってくださっていたのだ。
(2006.02.15)
老子のパラドックス
国別野球対抗試合で王ジャパンが世界一になったとき、ヤクルトの古田監督が
そのインタビューで、「柔よく剛を制すと言いますけど〜」と答えられていた。
老子の「柔弱謙下」である。老子の面白さは、逆説的なことを簡単に断言的な
口調で語られていることにあるが、「負けて勝つ」というような何か強かな
感じも受ける。「曲なれば全し」という言葉も、「自分を曲げて世に順応する
ことにより、わが身の安全を保つ」という保身の道であろうか。
また、老子の有名な「無為にして、而も為さざるは無し」というのも
逆説的な意表をつく表現である。「わざとらしい行為をしないことに
よって万事うまくいく」ということであるが、「無為」も処世の道の
ように思われる。老子のいう「道」は、「無為」であり「自ら然る」
という営みから、今日では英語のネイチャーに相当するように使われる
ことが多いようであるが、老子の「自然」は、あくまでも「自ら然る」
という意味であるようだ。作為を持たず、自然に任せることをいい、
決して「無為=何もしない」という意味ではなく、手順を踏んで無理無く
着実に事を進めることのように思う。
「無為」といえば、日本最古の漢詩集「懐風藻」序の中に「旒\無為」と
いう言葉が出てくる。この解説も面白かった。「旒\」は、天子や王侯の
着用する冕を指し、旒は本来、冕の前後に垂れた玉飾りで、主君があまり
目が利くと臣下の欠点が目に付いて寛大さを失うので、適度に目を覆う
ためのものだといい、また、\は冕の両脇に付いている綿製の耳当てで、
これは讒言に耳を貸さぬことを示す意味があったという。そして、
ここではこの「旒\」は、天子が政治を視ず聴かずという、「無為」の
あり方を強調した言葉だそうである。天子が何もしなくても、文化の力に
よって自然と国が治まるというのが、儒教の究極的な理想とする政治の
あり方だったのである。この場合も、文化の力があってのことである。
また先日、伊賀上野市へと、芭蕉の足跡を訪ねたが、『老荘思想』は、
芭蕉の自然観全体にも影響を与え、自然観照の念を至上とし、俳諧改革を
促し、大詩人芭蕉の誕生へと繋がっていったということを学んだ。芭蕉の
句にも、老荘思想の人生哲学が含まれているのだ。
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る 芭蕉
二千数百年前の謎の人老子は、わずか五千数百字の小冊子に、さまざまな
思想・教訓をこめている。中国の戦国時代にも、現代と同じような危機感や
苦悩があり、その手引書のようなものが作られていたことに親近感を覚え、
現在も参考にされていることに気づく。
禍は福のよる所、福は禍の伏す所
善人は不善の師、不善人は善人の師 等等
現代社会の生き方、人間関係のあり方、心の持ち方を教えてくれる
パラドックスである。
(2006.3.27)