もどる
もみの木エッセイ集
垂水神社と志貴皇子
長女が大阪の吹田市に引っ越した際、氏神様にお参りに行って
きたと話していた。
神社の名前を尋ねると、垂水神社という名前で、古い由緒のある
神社だったとのことであった。
「もしかして---」と思って調べると、やはり志貴皇子が歌の中に
詠まれている「垂水」にも関連した神社であった。
その後間もなく、私も長女を訪ねた帰り道にお参りに行った。
夕暮れの闇の中、目を凝らして見ると、神社の縁起が書かれてある横には
志貴皇子のあの歌が書かれてあった。
石走る垂水の上のさわらびの萌え出ずる春になりにけるかも
(万葉集巻8−1422)
春を迎えた喜びの歌である。
志貴皇子といえば、先日散策した明日香の甘樫丘にも
釆女の袖吹きかへす明日香風京を遠みいたずらに吹く
(万葉集巻1−51)
の歌の碑があった。
天智天皇の皇子である志貴皇子は、天智天皇が壬申の乱で敗れた後は、
百パーセント、天皇になる可能性はなかった。しかし、天武系の皇子たちが政争に
巻き込まれて次々と倒れて行くなか、志貴皇子の息子である白壁王が、62歳で
光仁天皇となった。皇統は天武系から天智系に交代した。志貴皇子はその
リングをつなぐ役を果たしたのだ。
平安京は、志貴皇子の孫にあたる桓武天皇から始まったことから、藤原定家は
百人一首の冒頭に天智天皇の歌を持ってきたのだという説もある。
志貴皇子も息子の白壁王も、当時の政争に巻き込まれないようにと、
細心の注意をはらって、感情を抑えて賢く生きてきたのかもしれない。
私は、奈良の白豪寺の萩の花が好きで、何度か訪れたことがある。その白豪寺は、
志貴皇子の離宮跡であったという伝承がある。
境内には、志貴皇子が亡くなったとき、悼んで詠まれたという歌の碑がある。
高円の野辺の秋萩いたずらに咲きか散るらむ見る人なくに
(万葉集巻1─231)笠金村
萩の花は、遠い昔、志貴皇子も眺めていた花なのである。
転勤族の長女一家は、もう垂水神社の近くには住んではいないが、先日、
所用があって出かけたとき、久しぶりにお参りに行ってきた。神社内には、
今も垂水があり、一千数百年の時を越えて垂水の滝として流れ続けていた。
さわらびの萌え出ずる春になりにけるかも
春を迎えた喜びの感情が一気にほとばしるような歌である。
秋にはまた白豪寺へも訪れたいと思っている。白萩や赤萩が乱れ咲いている
風情を楽しみ、高円山の向こうにあるという志貴皇子のお墓(春日宮天皇田原西陵)
にも一度行ってみたいと思う。
(2006/05/26)
二上山のこと
大阪から大和方面を見つめるとき、私は、まず二上山がどこにあるのかを探してしまう。
二上山の雄岳と雌岳が大小の駱駝のこぶのように右下がりに見えているのを見つけると、
次に右横に繋がる葛城山や金剛山を見つめる。
方向音痴の私は、いつも二上山の位置を確認してから山の風景を見ている。
もう十年ほど前になるが、橿原市で万葉フォーラムが開かれたとき、中西進先生が、
「二上山は、ただごとの山ではない」と話された言葉が今も印象深く心に残っている。
お話の内容は、「太陽の道」と呼ばれる同じ緯度(北緯34度32分)に伊勢の斎宮跡や
堺市の大鳥神社があり、その線上に二上山もあるということであった。雌岳山頂には
日時計のモニュメントがある。
二上山へは、今まで二度登ったことがある。一度目は、大和側の当麻寺駅から登り、
二度目は大阪側から登った。大阪側からは登りやすく、堺市の小学校の遠足ででも
よく登るコースである。
雄岳山頂付近には、大津皇子のお墓がある。草壁皇子擁立派による謀略の匂いが
強いとされているが、文武両道に秀でた大津皇子は、大逆罪の罪を得て、自頸を
強いられた。
大津の皇子は亡くなる前、伊勢の斎宮である実の姉である大伯皇女に会いに行った。
これは、大変危険な行動であった。そして一夜姉と語り明かした。
弟の大津皇子を見送った大伯皇女が詠んだ歌がある。
我が背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁露に我が立ち濡れし(万葉集2-105)
二人ゆけど行き過ぎかたき秋山をいかにか君が独り越ゆらむ(万葉集2-106)
大津皇子の辞世の歌は、
ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ (万葉集巻3-416)
大伯皇女は、大津皇子が薨ぜられ、すべてが終わってから大和へ帰ってきた。
大津皇子のお墓は、亡くなってから一年も経たないうちに二上山に奉られた。
本当に謀反を起こした人なら、このようには葬られないはずである。大津皇子は
慕われていたので、人々の気持を鎮めるために作られたのではないかとも言われている。
大伯皇女が、弟の死を悼んで詠んだという歌がある。
うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟背と我が見む(万葉集2-165)
大津皇子のお墓が、大和を背にしているのは、大津皇子の心情を察してのことだろうか。
このような背景を思いながら、いつもはるか遠くの二上山を見つめてしまう。
先日も、友人と二人で、堺市にある高層館十九階の会議室を借りて仕事をしている時、
窓から二上山が真正面に見えていた。日が落ちて、うっすらと姿を消していく二上山を、
私は時々顔を上げて見つめていた。
(2006/05/28)