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もみの木エッセイ集

  
運転手は君だ〜

 東京に住んでいる甥がJRに就職が決まったとき、祖母である母も、そして私も
「よかったねえ」
と、喜んだ。六年前のことである。
 彼のような人材の採用は、会社のためにも、賢明な選択であると思った。
「好きこそものの上手なれ」ではないが、積極的な勤務姿勢にも繋がるものである。
 彼は、小学校に入学する前から電車が好きで、電車の時刻表を愛読し、
電車に関連するものは、何でも集めていた。
 その頃、母や私は、駅の構内で、切符が落ちていないか探したり、期限切れの
定期券を集めておいたりして、彼に送っていた。
 大学生になった彼は、卒業前に、学割を利用して計画を立て、東京から日帰りで
名古屋と大阪の我が家へやってきた。父母の両祖父のお墓参りをする目的ででもあった。
 私は、指定された時間に、もよりのJR駅まで迎えに行った。お互いに、十数年近く
会っていなかったが、駅前では、すぐに見つけることが出来た。
 彼は、私と一緒にお墓参りをし、家で待っていた母の顔を見て、また急いで
東京へ帰って行った。
 その彼が、この春、マンションを借りて、家を出て行ったと、妹から聞いていた。
突然のことである。
 やはり結婚の準備だったようで、六月の初めには、家族だけの出席で、北海道で
結婚式を挙げた。
この秋には、親族出席の披露宴が行われる予定になっており、
楽しみにしている。
 先日、早々に、結婚式のスナップ写真が送られてきた。新郎も新婦も緊張した
面持ちで写っていた。同封の妹の手紙には「小柄で、寡黙だがしっかりしている娘さん」と
書かれてあった。
 聞くところによれば、職場結婚で、新婦さんは、電車の運転手さんとのことであった。
彼は地上勤務である。
 昨日、鳥取に住んでいる姪が遊びに来ていて、結婚式のスナップ写真を見ていたとき、
「へえー、女の人やけど、運転手さんなんやねえ。運転手は君だ〜やねえ」
と歌を口ずさんだ。傍で、母も、
「あの子は、小さいときから電車マニアだったけど、お嫁さんも電車の運転手さんを選んだねえ」
とつぶやいていた。
  「新婚さん」といっても、共働きで、今はお互いにすれ違いの生活を送っているとの
ことである。
 母はまだ元気な頃、よく東京の妹の家に遊びに行っていたが、「あの子は、お父さんの
真似ばかりしている」と、帰ってきては彼のことを話していた。
 両親を見習って、堅実な家庭を築いていくことだろうと、期待している。
                          (2006/06/15)


  愛の語源

 放送大学の「自己を見つめる」渡邊次郎著という教科書の中に、「愛」という漢字の
成り立ちが書かれてあった。抜粋すると、
《「愛」という字は、食べ物が喉につかえて、息が詰まることを表す「既」という字に、
「心」という文字が付き、さらにそれに、元気がなく「静かに行く」という
「ふゆがしら・すいにょう」という字が追加されて出来上がった文字であると言われている。
したがって、愛という字は、心が強く打たれて、息が詰まるような思いになり、切ない
気持で行き悩む有様を表すために、造られた文字なのである。》
という説明である。
 私は、二十歳前後の学生の頃、バイブル研究同好会で聖書を学んでいた。
その頃は、
〜愛には、フィロス(知的な愛)、エロス(官能的な愛)、アガペー(無償の愛)があり、
神の愛は、このうちアガペーである。だから、人間の愛なんて、自己愛の上に立って
いる自己本位の愛なのだ。
などと理屈っぽく考えていた。
 しかし、まだ、その頃は「愛」という言葉に、明るい期待や憧れなどを持っていた。
その後、仏教学的な「愛」の複雑な正体にも気づき始めた。仏教用語では、
〜「愛とは、ものごとに執着するという煩悩」であり、「愛別離苦」という苦悩の源泉に
なるものであり、「愛(かな)しい」とも読む。〜
 そして、今回は、漢字の成り立ちの解説から発見した「息の詰まるような元気
のない様〜」という「愛」の姿である。
 「愛ちゃん」「愛(めぐみ)ちゃん」「スナック“愛”」等などと、希望をもって使われている
漢字である。「それなのに、冗談ではない!」という気持ちである。
 ある講演で、講師の方が、愛している人と別れるから愛(かな)しいということです。
とよく語られていた。
 結局、愛は「喜び」よりも「悲しみ」を与えるものであるそうだ。愛の心は必ず
「切なさ」を伴い、そして「切なさ」は、むしろ悲しみに近い。ということである。
 なんだか最近、「愛」という漢字に裏切られたような気持ちである。私は、もう大分
歳を重ねて生きてきたが、出来ればもう少し早めに正体を明かせてもらいたかったと思う。
 そうすれば、もっと冷静に受け止めて、つき合ってこられたのではないかと思う。
 ずりの形の夂をそえた「愛」という字。それは憂(ゆう)の字の場合に、
「心+夂」をそえたのと同じ意味である。「愛」も「優」も、元気がなく、とぼとぼと
歩いていく姿なのである。
 今回、「愛」という漢字の意外な解説に惹かれて、「自己を見つめる」という教科の
単位認定試験を受けることになった。
 冷静に見つめて、学びたいと思っている。
                             (2006/07/12)