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もみの木エッセイ集

◎ 「恋ふ」ということ

 中西進先生の万葉集の講座のとき、「恋ふ」と「愛する」とは、違うという
お話があった。
 あるとき、先生が、「英語で読む万葉集」の著者であるリービ英雄さんに、
「恋ふ」を英語で訳するなら、どういう動詞になるのですかと尋ねられたそうである。
 すると、「beg」に近い言葉だと言われたそうである。先生は、
「begを名詞にするとbeggar。乞食という意味になります。恋ふ人、乞ふ人という
ことになりますね。」というお話をされた。
 「恋ふ」とは、相手の魂を自分のものにと、乞い願うこと、ということである。
そして、恋の歌を詠むのは、叶わぬ恋であるからこそ、歌の力によって相手の
魂を自分のものにと乞い願うということのようである。
 恋歌の達人である和泉式部は、

 君恋ふる心は千々にくだくれどひとつも失せぬものにぞありける(後拾遺801)

と詠んだ。
 恋の元の字は戀。恋とは、まさしく糸が乱れて千々に乱れる、そのような心を
表す言葉のようである。
 式子内親王の歌には、有名な「忍ぶる恋」の歌がある。

 玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする

(命が絶えるなら絶えてもかまわない、長く生きればこの恋する気持が
 弱っていくかもしれない)

 石川啄木には、初恋の歌がある。 

 砂山の砂に腹這ひ初恋のいたみを遠くおもひ出づる日

 恋は相手の魂を乞うということであるなら、恋は成就すれば終わりということになる。
「Beggar」ではなくなる。
 命という意味もある玉緒についてであるが、魂が自分の身から出て行かないように、
つなぎ留めて置くのが玉の緒(魂の緒)ということである。
恋をすれば、相手の魂を乞うと同時に、自分の魂も彷徨い始める。
 西行の歌に、

 吉野山こずえの花を見し日より心は身にも添はずなりにき

(吉野山のこずえの花を見たときから私の心は自分の心でなくなりました)

という歌がある。心(魂)が身に添わない、落ち着かない、ということである。

 花見ればそのいはれとはなけれども心のうちぞ苦しかりける

(桜の花を見るとわけもなく私の心は苦しいのです)

 恋人を花に見立ててしまった西行の恋は、春が来て、桜が咲く毎に乞い続け
なければならない成就しない恋になってしまった。 
                                     (2006.10.12)


 ◎ 
伊予松山へ

 伊予松山に所要があり、いろいろと考えた結果、大阪から高速バスで
往復することになった。JR松山エクスプレス大阪号という高速バスで、
10月15日(日)夜22時50分に大阪駅前を出発した。バスは途中、時間調整を
しながら闇の中を黙々と走り、私たちは翌朝、松山駅のひとつ手前の
大街道で降りた。午前6時前であった。
 あわただし旅ではあるが、道後温泉の朝風呂に入ってから一日の
出発をすることにした。
 道後温泉本館前には、午前六時の営業開始を待って、すでに多くの
人々が並んでいた。そして、六時になると、突然大きな太鼓の音が、
ドンドンドンと三回鳴り響いた。
 何事かと見上げると、本館の一番上にある塔屋で太鼓をたたいて
いる人の姿が見えた。
 この本館は、「千と千尋の神隠し」のモデルになった建物であると
言われているが、確かによく似ている。女風呂の湯船の中央にある
湯釜は、道後温泉の守り神ともいえる大国主命と少彦名命の像が
佇んでいた。聖徳太子も感動をしたというこのお湯は、熟田津の歌を
詠んだ額田王も楽しんだのではないだろうか。
 入浴後、温泉街を散策し、待ち合わせ場所の道後温泉駅前広場へ
行った。広場には、足湯のできる設備や「ぼっちゃんのからくり時計」が
あった。からくり時計は、一時間ごとに時計がせりあがり、平常は
二階建てに見える建物が、四階建てになる。
 約5分間のからくり時計のパレードが終わった直後、遅れてやって
来られたご婦人が、
「もう、終わったんですね。どんな様子でしたか?」
 と聞かれたので、私は、
 「今は二階建ての時計ですが、これが四階建てになります。一番上の
四階の塔屋には太鼓を叩いている人、そして、三階には、夏目漱石の
“ぼっちゃん”のマドンナ、二階には、ぼっちゃんと乳母のキヨさん、
一階には、お風呂に入っている人形が出てきます。」
 と、思い出しながら説明をした。
 市内には、俳句を投じるポストがところどころに置いてあり、温泉街には、
修学旅行生のものと思われる句なども、傍らの旗に書かれて飾られてあった。
 同日、私は本来の目的である用事を済ませて、午後3時30分発の
バスで帰阪した。
 バス停のあるJR松山駅前には、大きな句碑があった。

  春や昔 十五万石の 城下哉   子規
 
 東予で生まれた私は、かつて小学6年生の時の修学旅行でも、
この松山を訪れた。
 当時、城山のヒヨドリという名のケーブルカーの中で、「今から約
350年前に建てられた松山城は〜」というアナウンスを聞いたことを覚えて
いる。つい数年前には築城四百年祭が行われたようである。
 「春や昔〜」である。
 年月を勘定すれば、確かに合っている。
                          (2006.10.19)