もみの木エッセイ集
◎ 最後の桜
昨年の秋、この三月に開催された「保育所保健セミナー」の講師を
依頼された。「保健指導と保健だより」という分科会である。
三月頃には、娘のお産も終わり、私の生活も、元の平静さに戻って
いるだろうと考えて、引き受けさせていただいた。
保健年間計画や保健指導方法、そして、実際に発行したお便りや
掲示物などを、パワーポイントを使って発表することにした。保健指導を
していくための、情報収集についても入れることにした。情報収集の
中には、「手技が変わった心肺蘇生法」や「キズの湿潤療法」、
「症状が無くなった後でもしばらく排泄されるノロウィルスやロタウィルス」、
「感染症発生時の掲示」、「メディアの影響」なども入れることにした。
セミナーのプログラムを見ると、同時進行で四つの分科会があり、
中でも関心の高いノロウィルスについて話される国立感染症研究
センターのY先生や子どもの皮膚疾患治療の権威であるY先生の
分科会があった。セミナーの企画をされた方は、バランスを考えて、
様々のテーマを選んだのであろう。
私は、私の分科会に、出席してくださる方が少なかったとしても、
「それでもいいんだ」と考えることにした。
当日、会場で、私に講師を依頼してくださった方とフロアーで出会い、
「今日はありがとうございます」と感謝の挨拶をさせていただいた。
午後の分科会が始まる1時間前に、分科会で司会をしてくださる
M保育園の園長先生や保健指導の実演を行ってくださるT市の
看護師さんとお会いし、昼食をとりながら打ち合わせをさせていただいた。
私達の分科会には、総数三百数十名中67名の参加者があった。
主な出席者は、所(園)長、主任保育士、保育士、看護師、保健師
などである。西日本が対象であるので、関西地方をはじめ沖縄、九州、
中国、四国などから出席されている。
遠くから来られた方に、出来るだけたくさんのお土産を持って帰って
もらおうと、お話をさせていただいた。レクチャー後、十グループに
分かれてバズセッションを行った。
私の話は、1時間少しではあったが、皆様、頷きながら熱心に
聴いてくださった。
パワーポイントのスライドは約50枚であるが、実は最後のスライドには、
数年前に撮った目にも鮮やかな桜の写真を1枚入れていた。中世の
歌人西行の終焉の地である弘川寺の満開の桜である。桜の時期も
間近であり、研修の終わりに、皆様に関西の桜を見ていただきたいと
思って用意をしていたのだ。
しかし結局、桜は映さないままに終わった。
静かで真剣な雰囲気になってしまい、桜の出番がなくなってしまった。
研修を終えた満足感とは裏腹に、私は心残りであった。
また機会があれば、最後に桜を映せるような雰囲気で、
研修を終わりたいと思った。
(2007年3月13日)
◎ 美作(みまさか)のこと
歳がわかるが、昔の歌に「湯島通れば思い出す〜」という泉鏡花の
「婦系図」の歌があった。
最近、島根に行く途中、美作という所を通るたびに思い出すことがある。
美作で生まれた法然上人のことである。
法然上人絵伝の一場面で、美作を出て京へ旅立って行く少年時代の
上人の姿を見たことがある。
法然が九歳の時、夜襲で重傷を負った父親が臨終に際して、あだ討ちを
することをいましめ、「仏道を歩み、安らぎの世を求めるように」と遺言された。
時は中世、混乱の世に無常を感じていた父親が、残していく息子を
案じての言葉であったのだろうか。
同じ時代を生きた先輩には、栄枯盛衰の憂き目をみた清盛や、出家を
して歌をつくり旅をした西行がいる。
私は法然上人の教えを基にしている仏教大学で学ばせていただいた
ことがあるが、授業の始まりと終わりを告げるチャイムは、上人の
詠まれた御詠歌であった。
月影のいたらぬ里はなけれどもながむる人の心にぞすむ
月の光はどこをも照らし、至らぬところはないけれども、眺めようと
しなければ、気がつかない。仏教も、自分から求めなければ、
浄土へは行けない。
この歌は続千載集にも収められている。
私が小学校の頃から心に残っていた御詠歌も、最近、法然上人の
歌であることがわかった。
檀家であったお寺の本堂に貼っていた御詠歌である。
さへられぬ光もあるをおしなべて隔てがほなる朝霞かな
「さへらえぬ光」とは、阿弥陀仏の慈悲の大きさの喩えであるらしい。
東大寺指図堂の御詠歌でもあった。
吉田兼好も徒然草の中で、上人の幼少の頃のエピソードを書いている。
栂尾高山寺の明恵は、他力本願の教えであると上人を批判している。
この時代の後輩にも大きな影響を与えた。
これも、最近知ったことであるが、若き日の法然上人は、しばしば
大阪の四天王寺を訪れ、西門にて彼岸の中日に夕陽を拝する
日想観(じっそうかん)を修られたそうである。
私はこれからも、美作という標識を見るたびに、法然上人を、
父親の今際の言葉を、また思い出すだろう。
(2007.04.30)