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 もみの木エッセイ集

 ◎ 
菊花の約(ちぎり)のこと

 大学通信教育で、読書感想文の提出があった時、私が選んだのは
近世文学では上田秋成の「菊花の約」と、近代文学では樋口一葉の
「十三夜」であった。
 不謹慎なことではあるが、「短い物語であった」ということが、選んだ
理由の第一条件であった。どうしても時間がなかった当時の私は、
単行本のページ数を計算して、どれについて書こうかと考えた。
 そして、「菊花の約」も決まった。
 あらすじは、

  〜播磨の国で老母とともに生活する儒学者・丈部左門は、旅先で
病に伏せる出雲の武士・赤穴宗右衛門を助け、ともに過ごすうちに
心を通わせた。二人は、やがて義兄弟の約(ちぎり)を結び、その後、
赤穴は一度、出雲に帰ることになった。そして、赤穴は左門に
「重陽の節句」には必ず帰ると堅く約束して旅立っていく。
 約束の日、左門は酒肴と一枝の菊を用意して赤穴を待つが、なかなか
帰ってこず、節句の日も終わりに近づいた頃、左門の前に赤穴は現れる。〜
 その別れの時の約束の場面である。 
  〜左門いふ。さあらば兄長(このかみ)いつの時にか歸り玉ふべき。
赤穴いふ。月日は逝(ゆき)やすし。おそくとも此秋は過(すぐ)さじ。
左門云。秋はいつの日を定て待べきや。ねがふは約し玉へ。赤穴云。
重陽(こゝぬか)の佳節(かせつ)をもて歸來る日とすべし。左門いふ。
兄長必此日をあやまり玉ふな。一枝の菊花に薄酒(うすきさけ)を備へて
待たてまつらんと。互に情(まこと)をつくして赤穴は西に歸りけり。〜

 そして、約束の日の場面である。もう帰って来ないであろうと思って、
あきらめて家の戸を閉めて中に入ろうとしたとき、ふと見ると、赤穴が
立っている。驚き喜んで左門は駆け寄り、お酒を勧めようとすると、

 〜必しもあやしみ給ひそ。吾は陽世(うつせみ)の人にあらず。
きたなき靈(たま)のかりに形を見えつるなり。左門大に驚きて。兄長
何ゆゑにこのあやしきをかたり出玉ふや。更に夢ともおぼえ侍らず。〜

 今までの出来事を話し、国許で捉えられて左門との約束を果たすことが
できなくなった赤穴は、次のように説明する。
  〜いにしへの人のいふ。人一日に千(ち)里をゆくことあたはず。魂よく
一日に千里をもゆくと。此ことわりを思ひ出て。みづから刄(やいば)に伏。
今夜陰風(こよいかぜ)に乘てはるばる來り菊花の約に赴(つく)。〜

 重陽の節句は菊花の節句とも言うが、二人でむかえようと約束したことを
果たすために、自らの命を絶って、この世の姿ではない魂になって帰ってくる。
 感動する場面である。
 重陽の節句とは、新暦では10月頃の菊の花の咲く頃である。菊花酒を
酌み交わし、延命長寿を願う中国から伝わってきた行事である。
 本来、家族や親しい友人と長寿を願う大切な日に、命を絶って帰ってくる。
儒教の教えなのであろうか。
 この物語の原話は、中国の古今小説の中にあると言われている。
 上田秋成は、歌人、国文学者としても活躍し、中国文学などにも詳しい
博学者であるので、 秋成の文学をどれだけ理解出来るかは、その
試金石になる、と言われている。
 その観点から考えると、私自身は十分には理解できていないが、
この物語に出会えてよかったと思っている。
                         (2007.05.03)

◎  
あけがたにくる人よ

  5月の万葉集講座のとき、永瀬清子氏の詩のお話があった。中西進先生の
講座では、初めて聞かせていただく興味ある情報が多く、いつも楽しみにしている。

 私は、永瀬清子という詩人も、「あけがたにくる人よ」という詩も知らなかった。
読んでいるうちに涙が出てくると、先生が言われた詩である。

 早速、家に帰って、調べてみた。 次の詩である。

あけがたにくる人よ     永瀬清子

ててっぽう()の声のする方から

私の所へしずかにしずかにくる人よ

一生の山坂は蒼(あお)くたとえようもなくきびしく

私はいま老いてしまって

ほかの年よりと同じに

若かった日のことを千万遍恋うている

その時私は家出しようとして

小さなバスケットひとつをさげて

足は宙にふるえていた

どこへいくとも自分でわからず

恋している自分の心だけがたよりで


若さ、それは苦しさだった

その時あなたが来てくれればよかったのに

その時あなたは来てくれなかった

どんなに待っているか


道べりの柳の木に云えばよかったのか

吹く風の小さな渦に頼めばよかったのか


あなたの耳はあまりに遠く

茜色の向うで汽車が汽笛をあげるように

通りすぎていってしまった

もう過ぎてしまった

いま来てもつぐなえぬ

一生は過ぎてしまったのに

あけがたにくる人よ

ててっぽうの声のする方から

私の方へしずかにしずかに来る人よ


足音もなくて何しに来る人よ

涙流させにだけ来る人よ

     ※ててっぽう=キジバト


 明治末に生まれた永瀬さんは、10年前にもう亡くなられている。

 読ませていただくと、悲しいとか、寂しいとか、辛かったなどという言葉は、
一度として出てこない詩であるが、やはり涙が出てくる。老いても克服できない、
心に残る思いがあるからだと思う。

 バスケットは、まだ晩年も置いてあったそうである。
 人が訪れるという夢は、私も見たことがある。
 亡くなった父や友人などであるが、夢から覚めた後も、しばらくは心
に残ってしまう。

 昔は、相手が思っているから夢に出てくるのだと解釈していたそうであるが、
幸せな解釈だと思う。

 「〜雨の夜に、あなたは帰る。そんな気がしてならないの〜」 こんな歌謡曲もあった。
 
 しずかに、しずかに、不意に訪れる懐古や自責の念は、それぞれの人の心の
中に多少ともあるから、読む人の心をうつのかもしれない。 
                    (2007年5月20日)