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もみの木エッセイ集 29
◎ ある一日
ある日の朝、出勤して掃除を始めようとすると、
「Aちゃんが、今、泣きながら保育所の近くを歩いていたので、近くの人が
保育所に連れてきてくれたんです。今からお家に電話をして、迎えに来て
もらいますので、ちょっとここでみていただけますか。」
と、早出の保育士が3歳児の男の子を連れて来た。
麦茶を飲ませて、念のために検温をして様子を観た。
誰も居なかった家から一人で出てきたようであった。
一段落して、掃除機をかけようとすると、昨日発熱して降所した子どもの保護者が、
「先生、この子、知恵熱だったわ。」
と、保健室へ来られた。
受診をされたのかと尋ねると、受診はしたが、内服薬はないと言われる。
「お母さん、“知恵熱”っていう言葉、最近でも、お医者さんは使われるんですか?
今朝も元気がないけど、朝ごはんは食べたんですか?」
と、尋ねると、
「起きてすぐ連れてきたから、何も食べてないわ。だって、この子、食べないもん。」
と言われる。
「お母さん、お熱は、朝は下がっても、午後にはまた上がることがありますから、
また、上がったら、連絡させてもらいますね。」
と念を押す。そして、隣に居る元気のない子どもに麦茶を飲ませる。
しばらくすると、ある保育士が私を呼びに来られた。
下痢が続いている子どもを、保護者が預かってほしいとのことであった。夏風邪に
よる下痢だと診断されたそうである。
「お医者さんに下痢が止まったら、登所してもいいと言われたんでしたね。でも、
昨日も、一昨日も、保育所では2、3回下痢があったんですよ。ウィルス性の下痢は、
流行しますので、症状が無くなってから登所して欲しいんです。」
と、話すが、「家では下痢はもう止まっていること」そして、「今日は、保育所に
預かってもらわないと、仕事に行かれないこと」を主張される。
結局、「また下痢があれば、すぐに連絡をする」ということを伝え、預かることになった。
給食の途中、5歳児クラスの子どもが味付け海苔の袋を拾おうとして、机の角に
頬を打ちつけて、少し傷が出来たと言う。消毒してパワーバンドを貼り、その上から
冷罨法(れいあんほう)をして様子を看ることになった。そして、保護者に連絡して、
早めに迎えに来ていただくことになった。
午睡が始まって、しばらく経ったとき、0歳児担当の保育士が子どもを抱えて
保健室へ駆け込んできた。
「見てください。蕁麻疹が出来ているんです。」
見ると、顔全体が発赤し両瞼も腫れている。
蕁麻疹で、今日の午前中にも受診をし、登所してきた子どもである。登所時は、
変わりはなかったと言う。
早速、保護者に電話をして状況を話すと、
「体が温まっているのでそうなるんです。冷やしてやってください。」
と、落ち着いた口調である。処方してもらった内服薬を保育所まで持ってきて
欲しいとお願いすると、
「薬は、まだ出来ていないと思うわ。お医者さんは、冷やしたらいいと言って
いたから、冷やしてやってください。」
と言われる。氷水に浸したタオルで冷やして様子を看た。だんだん赤味が薄らいできた。
夕方、保育士から聞いた話では、今朝、下痢の登所のことで話し合った保護者は、
「今朝は、少し言い過ぎたので、明日は休ませます」
と言って、帰られたそうである。
子どもたちの幸せを考えると、保護者には、もっと厳しく話したいことがたくさん
ある。加減の実践が難しい。
相手の状況も考えながら、子育て親育てである。
大阪市内の保育所で、またO157が発生している。
いろいろなことが起こる毎日ではあるが、今日一日の反省としては、
「下痢・嘔吐の登所基準」についての貼紙を、今までより大きな字で簡潔明瞭に、
そしてカットも入れて、作り直そうと思っている。
(2007.08.13)
◎ 打田・金屋・龍神村・十津川へ
2007年7月下旬、龍神村と十津川を訪れた。泉佐野から西行の
出身地である紀の川沿いにある打田を通って行くことになった。
打田には、片手に本を持っている姿の西行像がある。その台座には、
嘆けとて月やはものを思はする かこち顔なるわが涙かな
百人一首86
の歌が書かれている。
打田へ行くもうひとつの楽しみは、西行像の横にある果物の
産地直売所である。以前訪れたときには、無花果を堪能した。
今回は、予測どおり店頭は桃一色であった。
直売所の前の道を隔てた所にも桃の木があり、桃が実っていた。
「それ一個食べたら、お昼ご飯は食べられませんよ。」
と言われたとおり、贅沢にも桃で満腹感を味わった。これも西行さんの
お陰と感謝し、打田を後にした。
鎌倉初期に活躍した明恵上人の出身地である金屋もこの近くにある。
『阿瑠辺幾夜宇和』(あるべきようわ)という「日常の簡単にして
深奥なる教え」で知られている。
「河合隼雄/明恵夢に生きる」をぜひ読もうと思いながら金屋を過ぎた。
龍神村役場の玄関には、大きな龍が玉を銜えて噴水の中にいた。
龍神村へ行こうと思ったのは、ある方が、「何にもないところですよ」と
言われたことがきっかけになったのかもしれない。
「何もないところもいいなあ」と思った。
龍神村や十津川には、「人生、どこで生きても、不公平なことはない」と
思うほどの、水と空気、河川と森林、温泉があった。
十津川まで行くと、熊野本宮へはもうすぐである。しかし、今回は
本宮までは行かずに、「本宮・道の駅」まで行ってきた。灼熱の熊野
河川敷きを見ながら休息をとった。
道の駅の看板には、よく見ると、昔のお公家さんのような横顔が
描かれてあった。
もしや、と思って見ると、「TEIKA」と書かれてある。
「本宮・道の駅の看板娘はTEIKAなんだ」
と思うと、何故か笑いがこみ上げてきた。
道の駅の中には、定家が上皇の御幸に同行して書いた日記と旅の
経路が書かれてあった。
川を歩いて渡る時に、足を捻挫したり、体調が悪かったりと、
大変だった様子が書かれてあった。
龍神村と十津川の森林と川に囲まれた露天風呂は、人々の心身を癒し、
小説「大菩薩峠」の机龍之介が目の治療をしたという曼荼羅の滝は、
しぶきを上げて落ち、百人一首にも詠まれているネジバナ(ねじり草)も
咲いていた。季節はずれの萩の花も咲いていた。
「何もない」というのは、賛美の言葉だったのかもしれない。
たくさんのお土産をいただいて帰ってきた。
(2007.08.19)