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もみの木エッセイ集 32
◎ 阿太の大野の萩
秋萩の季節になると、
ま葛原なびく秋風吹くごとに阿太(あた)の大野の萩の花散る
万葉集(巻10−2096)
の歌が思い出される。
秋になったらハイキングに行こうと、職場の友人と約束していた。
9月23日、「阿太の大野」へ萩を見に行くことになった。
近鉄あみま倶楽部から出ているハイキングコースにも載ってはいなかった。
近鉄阿部野橋から吉野行きに乗り、「福神」という駅で降りて吉野川方面に
歩くコースである。
この朝、友人との集合場所に向かう電車の中で、本当に奇遇であるが、
座席を譲った老婦人から「根付」をいただいた。一度は辞退したが、
是非にと言われる。
「これはお多福ですか。」と尋ねると、「福の神ですよ。」と言われた。電車の
人混みの中であったので、「今から福神へ行くところです。」とは、
説明できなかったが、こんなこともあるのだと思った。
福神の駅を降りると、まだ自然が残っている駅前には、建売住宅が
次々と建っていた。
駅前の風景を見ながら、阿太の大野も変わってきているのだろうなあと
予測させられた。
ネットから印刷した古い地図を見ながら、万葉の里である阿太の大野へ
向かった。
途中、道を尋ねようとしても、道を歩いている人がいない。ちょうど、
梨の出荷時期で、梨の産地直売店を見つけたので、道を尋ねた。
万葉歌碑があるという阿太峰神社は、もうすぐそこだと教えてくださった。
産地直売の梨に引かれて、梨をいただき、道草をしたあと、阿太峰神社を訪れた。
神社の木陰にその歌碑があった。
〜ま葛原なびく秋風吹くごとに〜
の歌碑である。よく見ると、歌碑の横には、萩の花が植えられ、暑い日々では
あったが、萩はまだ咲いていた。小さな神社であった。
神社を出ると、すぐ横に、「今昔の里」という看板を見つけた。入っていくと、
大きな丸太木を切っているお爺さんが居て、「勝手に見学して行ったらいい。」と
言われる。芸術品だと思われるような手作りの家具等をたくさん見せていただいた。
阿太の大野を吉野川に向かって下りて行くと、舗装された車道の横には、
草むらが広がっていた。昔は、このような風景が続いていたのかな、と
想像してみる。しばらく行くと、稲田や畑、民家の風景が見えてきた。畦には
彼岸花も咲いている。暑い日差しの中にも、川の方から時折涼しい風が吹き上げてくる。
「阿太の大野の秋風だ!」と嬉しくなった。
国道370号線に出ると、酒店があり、そこで一時間に一本もないバスの時間を
教えてもらって、下市駅まで行くことが出来た。
帰りの特急電車の中で、やっとおにぎりを食べながら、今日一日の出会い
と出来事を思い出し、福の神のお陰かもしれないと思った。
(2007年09月24日)
◎ 神在月の松江にて
神無月に唯一神在月である出雲の国、島根県へ行った。転勤族である
娘一家を訪ねたのである。孫娘はこの月に三歳のお誕生日を迎えた。
最近の孫の口癖は、
「お父ちゃんにまた買ってもらう」
である。娘は、買い物に出かけた時、
「お父ちゃんにまた買ってもらおうね」
と、言い聞かせているらしい。
娘婿は相変わらず仕事で忙しいので、初日、娘と三歳、八カ月の孫と私の四人で、
娘の運転する車で八雲温泉に行った。
その時も孫は、自動販売機の前を、
「ジュース。お父ちゃんにまた買ってもらう」
とつぶやきながら通り過ぎた。
現在、松江は開府四百年歳のイベントで賑わっていた。松江の町は、今も、
松江城をはじめ、城を囲む堀川、武家屋敷、塩見縄手など江戸情緒を
随所に残している。
松江城の堀川めぐりは、年間を通して四季折々の風情があり、いつも観光客を
乗せた遊覧船がゆったりと巡っているが、この神在月の二日間限は邦楽船が
運航されていた。
私は、いつか堀川巡りをしてみたいと思っていたので、この機会にと思って、
孫娘と二人で邦楽船に乗ることにした。遊覧時間は約五十分である。娘と
八ヶ月の孫は、近くの県立図書館の中で待ってくれることになった。
私たちが乗った邦楽船には、お神楽の太鼓と笛の演奏があった。乗客は、
大人が五人と孫娘である。両船縁に顔を合わせるように皆が座った。
私の膝の上で伏目がちに、おとなしく座っている孫娘は。時々上目づかいで
周りの様子を見ていたが、口元は嬉しそうであった。演奏する人の前に置いて
ある太鼓や笛にも興味がある様子であった。
私と同年輩の女船頭さんの案内で、船は大手前から出発し、武家屋敷や
小泉八雲旧居前を通り、四季の自然がいっぱいの川岸を見ながら進んだ。
お神楽の演奏も聞きながら、「出雲の阿国のお神楽も、このような演奏で
あったのかな」と、ふと思ったりした。
橋をいくつも潜り、橋桁の低い橋を潜る時は、船の屋根が低く下がってきて、
皆で体を伏せて珍しい体験を楽しんだ。
途中、観光案内をされていた船頭さんが、孫娘に、
「おじょうちゃん、もうすぐ、岸の方を見ると、何かいいものが見えますよ。
さてなんでしょうね? 」
と、言われた。そして、しばらく行くと、川縁にある家の窓ガラスの中には、
ずらりと、大きな熊のぷーさんの縫いぐるみや、アンパンマンや白雪姫の
七人の小人たちの人形がたくさん並んでいるのが見えた。
「わー、見てごらん。かわいいね。アンパンマンもいるよ」
と私が言うと、孫娘は、
「お父ちゃんにまた買ってもらう」
と、大きな声で言った。
「なんて言ったんですか?」
と船頭さんが言われたので、
「お父ちゃんにまた買ってもらう、と言ったんです」
と、言うと、周りの大人たちは、孫に注目してどっと笑った。私もまた笑った。
すると、船頭さんが急に、
「あまり、おじょうちゃんに注目していたら、おじょうちゃんに悪いので、
もうこのお話はやめましょうね」
と言われたので、不思議に思って孫の顔を覗き込むと、今にも泣きそうな顔を
して口元をゆがめていた。いつ堰を切って泣くかもしれないという状況であった。
私は、孫を抱き直し、バックからアンパンマンの絵がついたボーロのお菓子を出して、
「これを持っときなさい」
と渡すと、孫の口元の歪みも少し緩み、
「持っとくだけよ。持っとくだけよ。お家に帰ってから食べる」
と言った。
これも、普段から娘に言われている言葉らしい。
船は、また内堀に入り、松江城の天守閣が松の木の間から聳えて見えた。
水景めぐりは終わった。
船から下りて、二人でお堀沿いに歩いて行く途中、手に持っていたアンパンマンの
菓子袋を開けてやると、孫は、「いいの? 」というような嬉しそうな顔をした。
お堀の中の大きな亀にも、ボーロを投げ与えながら、娘の待つ図書館まで
戻って行った。
神在月の松江の邦楽船は、今年の誕生日のイベントになった。
(2007.10.09)