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もみの木エッセイ集 37
◎ 支笏湖・札幌・旭川の旅
「この連休は、沖縄旅行へ行くんでしたね」
と、職場の保育士さんが私に言われたので、
「沖縄ではなくて、北海道になったんです」
と言った。
「えっ、なんでですか?」
「沖縄ツアーがとれなかったんです」
と応えると、
「沖縄と北海道では、全然ちがうじゃないですか。もう、寛ぐわ〜」
と笑った。
急遽、北海道の北湯沢温泉・札幌の雪祭り・旭山動物園の2泊3日の
コースになった。
2月9日、出発前の大阪伊丹空港も雪景色。伊丹空港から仙台空港
経由で新千歳空港に着いた。添乗員さんは、「私に歳だけは聞かないで
ください」と言われる中年の女性Mさん。新千歳空港からのバンケイ
観光バスの乗務員のMさんとガイドのKさんも、中堅の方たちであった。
天気予報では、ここ数日は快晴に恵まれるとのことであった。
例によって、バスガイドさんの説明が始まると、私は、バックから
メモ帳を出して、メモを始める。研修旅行ではないんだから、と自分
自身に言い聞かせても、またついついメモをとってしまった。別に
レポートを書くつもりではなかったが、今回もガイドさんの説明がとても
勉強になった。メモの内容他をまとめた。
○ 雪の道で滑って怪我をしないように、簡単な滑り止めスパイクを
皆に配っていただいた。靴の先から踵に引っ掛けるように装着する。
○ 新千歳空港からまず初めに向かう支笏湖氷濤まつりは、
今年は30回を迎える
○ 北海道は7万8512平方kmで九州の約2倍の広さである
○ 支笏湖は、北海道では一番深い湖である。最大深度360.1mで
深さでは田沢湖(岩手県)についで2位。日本最北の不凍湖。
洞爺湖と支笏湖は凍らない。
○ 支笏湖から見える恵庭岳は、札幌オリンピックの時の滑降の
コースが作られたところである。自然破壊であるとして批判された。
現在も植生は完全に回復したとはいえない。
○ 1泊目の宿泊場所の北湯沢温泉は、日本最大級の150坪ある
という大露天風呂。保育所の運動場位の広さの大浴場。
(日本最大ということであったが、薄明かりの中、湯煙の中に
ぼんやりとした景色しか見えなかった。露天風呂へ歩いて行く
までの数十歩は、零下の気温である。足元の人口芝生は凍って
いる。まずは内風呂でよく温まってから、気合を入れて露天風呂へ
行く。帰りも、また寒い。
○ 蝦夷(えぞ)松と椴(とど)松がある。木の枝が下に向いているのは
蝦夷松。上に向いているのは椴松。「北海道の木」は蝦夷松。
○ 北海道の花はハマナス。ハマナスは雅子様のお印の花。
○ 北海道のシンボルの木は蝦夷松、花はハマナス、鳥はタンチョウ。
○ 2日目(10日)に訪れた旭山動物園は、旭川の旭山にあるので、
旭山動物園という。
○ 支笏湖には、ベニマスが海へ降らずに成熟する。陸封と言って、
湖の中で一生を終える。ヒメマス(ベニマスの陸封型)。
ヒメマスは、カパチップとも呼ぶ。
○ 北海道の地名の「別=川」。「内=沢」
○ 青森、能登という地名もアイヌ語である。
○ 札幌は、S46年頃は100万人の都市であった。現在は189万人。
内、女が100万人。男が89万人と言われる。男性は道外へ出て
行く人が多い(大学も道外へ)。
○ 札幌雪祭りへは、200万人参加するといわれる。経済効果は大きい。
○ 大通り公園の雪像は、大きいものだと雪を運ぶ費用や骨組みや足
場を組む費用、人件費等がかかり、住宅を約1軒建てる位の
費用がかかる。
○ 氷の像は、ススキノの調理人さん達が造っている。
○ 札幌には、JRタワーがあり、160mの展望台から景色が望める。
(JRタワーに昇って360度の展望)
○ 北海道のお米であるキララ397は、牛丼の吉野家も松屋も使っている。
○ ジャガイモにも金時という名前のものがある。ジャガイモは
250万トン採れるが、その半分は、でんぷんに加工している。
女性のおしろい(白粉)も、ジャガイモの澱粉で出来ている。
ちなみに女性のファンデーションも粘土で出来ている。
○ 北海道の碁盤の目の街の一条は、100mである。
○ 美唄炭鉱や夕張炭鉱は、石炭が無くなったから掘らなくなった
のではない。掘るのにはコストがかかる。中国では露天掘りで、
1トンが5000〜6000円のところ、北海道の石炭の値段は約2万円
になる。
○ 夕張には、まだ60億トンの石炭が眠っている。夕張の石炭は
よい品質でガスの発生が多かった。炭鉱事故で93人亡くなった
事故もあった。事故はその後もあった。
○ 夕張は、何故破綻したか?無駄遣いをしたというだけではない。
当時は、国が石炭を掘れ掘れと言っていたから、赤字になっても
掘っていた。しかし、それを国が補償をしてくれなかった。事故が
起きても、見舞金も無かった。遺体は出せないで、上から水を
入れて火を消した事故もあった。その保証金の支払いも大きかった。
その後、炭鉱に関する博物館も作ったが、赤字になった。
無駄遣いばかりではなかった。
○ 国道12号は、北海道札幌市から北海道 旭川市へ至る国道である。
美唄市から滝川市まで29.2kmの日本一長い直線道路がある。
工事には、囚人が駆り出された。
○ 160km以上に及ぶ北見道路を、8ヶ月で突貫工事で完成させた。
わかっているだけで200名前後の収容者が死亡。1000名以上の
囚人が道路建設に関わりながら、その後行方不明になっている。
道路沿いの畑から、手鎖、足鎖を付けた状態で白骨化された
遺体が出土したり、荼毘に付されることもなく道ばたに埋められ
土饅頭として残る墓など、厳しい労働条件を示す痕跡が現在も残る。
○ 当時囚人は、炭鉱、トンネル工事、ダム工事など、労働が苛酷であった。
○ 中国や朝鮮の人達もたくさん亡くなった。
○ 旭山動物園の中には、美味しいメロンパンを売っているところが
ある。(買いに行ったが1時間待ちで手に入らなかった)
○ 旭川では、この冬は零下33度の最低気温を記録した。
○ 旭山動物園では、施設に見せ方の工夫がある。
○ 当日の気温は零下5.5度。11時からのペンギンの散歩を見る
ことが出来た。ただし、沢山の人々の垣根越しに、数十秒間。
○ 北海道旭川市旭山動物園は、上野動物園よりも多い年間入場者数を
記録したことで有名になった。
○ 大雪山が見える。大雪山の下に層雲峡がある。大雪山の
旭岳は2290mある。北海道の最高峰。高山植物など自然が多い。
世界遺産候補である。
○ 夕張メロンの初競りでは、昨年は、百貨店丸井今井が最高級品を
2個200万円で落札した。
○ ケイジは鮭児と書く。1万〜2万に1匹とれる、幻の魚。脂がのって
いて、全身トロ状態である。高級寿司ネタに使われる。 主に知床
から網走付近でとれる脂のった若いシロザケ。
○ 田助スイカも有名。昨年のせりでは50万円で落とされた。安い
ときでもひと玉4000〜5000円する。
○ 創成川(そうせいがわ)は、北海道札幌市の中心を流れる川で、
札幌市を東西に画する。
○ 北海道大学は、日本の大学の中では、一番大きいキャンバスで
ある。学生の数は12000人。その半数以上が本州出身である。
○ 「日本の三大がっかり名所」は、高知のはりまや橋・沖縄の守礼の門・
札幌の時計台、と言われている。
○ 明治11年に札幌の時計台完成。昭和8年より、狸小路にある時計屋
さんが、3日おきに通ってきて、ネジを巻く奉仕をしている。
○ 旭山動物園では、バイオトイレが使われていた。おがくずの様な
ものが便器の中に入っていて攪拌されている。匂いも無い。
トイレの待ち時間は長い時で約30分。トイレから出てくる人は、
「変わったトイレですよ」と首を傾げている。零下の気温では水も
凍ってしまうだろう。
○ 札幌は189万人の政令都市。札幌は冬季オリンピックを成功させた。
○ 昭和35年、人口50万人になった時、市民の投票で札幌の
「木・花・鳥」を決めた。「ライラック・スズラン・カッコウ」に決まった。
○ 今は、栽培しているスズランは、ドイツスズランである。北海道の
スズランは少ない。
○ 5月はライラック祭り。6月はよさこいソーラン祭り。
○ よさこいソーラン祭りは、北大の学生が土佐へ行って見てきて提案した。
○ ナナカマドの赤い実がまだ木に残っていた。ナナカマドの木は燃えにくい。
○ 娘3人いればかまどをかえす。(破産するという)
○ かまどを変えるというのも縁起が悪い。
○ かまどを作るというのは縁起がいい。
○ 「白い恋人」の石屋製菓の敷地内に、コンサドーレ札幌の
練習場を提供している。
○ 銭函というのは、昔、ニシンの千石場所として栄え、銭函が山と
詰まれたというのが地名の起こりである。
○ 松前のニシン漁は300年前から、小樽のニシン漁は、200年前から
受け継がれてきた。春告げ魚=ニシン
○ 黄色いダイヤ=数の子
○ 黒いダイヤ=石炭
○ 小樽市高島岬、鰊御殿や灯台と共に追分節歌碑がたっている。
昔、積丹半島北端神威岬より奥地は女人禁制だった。
「忍路 高島およびもないが せめて歌棄 磯谷まで」 と歌った。
○ 小樽の石原裕次郎記念館は平成3年に出来た。初めの頃は、
1500円の入場料で年間100万人の入場があった。1〜2年で
元が取れていると思われる。
○ 札幌の回り寿司は、やはり新鮮だし安い。
○ 北菓楼小樽本店では、「お好みのシュークリーム+冷菓子
(アイスクリーム等)+飲み物のセット」500円。食べきれない量。
チョコレートサンド「ハマナスの恋」、「バームクーフェン妖精の森」を
お土産にする。
店隅で連れて行ってとささやいたダウン装い雪祭りへ行く
覚悟を決めて厚着で出かけたが、帰ってきた関西では暑すぎた。
関西空港ではなく、あいにく遠い神戸空港に着き、飛行機と同じ
くらいの時間をかけて自宅まで帰ってきた。
(2008年2月23日)