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もみの木エッセイ集 39
◎ 桜の絵葉書
夕方、帰宅すると、一枚の葉書が届いていた。よく見ると、桜の絵葉書で
あった。差出人は、かつての上司だったMさんからであった。もう十年位前に
退職された方である。懐かしいなあと思いながら読ませていただくと、この3月で
定年退職をする私へのメッセージが書かれてあった。
退職にあたっての労いと、在職時のある出来事を取り上げられ、一緒に
荒波を乗り越えてきたという実感がある、ということが書かれてあった。
そして、これからの人生も、元気で楽しんでくださいという内容である。
文末には、後日、プレゼントの麻のバックが届くということも書かれて
あった。お洒落だったMさんが見立ててくださったのであろう。
思いもかけないお便りだった。夕食の支度をしながら、感慨深い
気持ちになった。
退職を控えた私は、これまで退職された同僚や上司の方々のことを、
よく思い出していた。先人たちは、たくさんの人達の先頭に立って活躍され、
様々な業績を残し、そして、ある時を境として、次の世代へとバトンタッチされ、
職場を去って行かれた。まだまだ、元気で余力を残していても、定年というのは
関門である。近頃、自分自身の気持と重なり、先人の気持を思いやる気持ち
になる。この時期になって初めて、その思いが、少しわかるような気持である。
最近、職場の同僚が、「もう、少しやねえ。どんな気持?」とか、「いいなあ。
嬉しいやろう。うらやましいわ」と言われる。その度に、「そんなことないわ。
若くて、まだ仕事ができる方がいいわ」とか、「年度末の整理と新年度の
準備に忙しいから、感慨に耽っている余裕はないわ」と、応えている。
しかし、正直に言えば、寂しさもないわけではない。退職に対する思いは、
人それぞれに異なるだろうが、いつか皆が通る道である。自分自身が、
そのうち実感することである。
早速に、古い名簿で、Mさんの電話番号を調べて、お礼のお電話を
かけさせていただいた。
「覚えていただいただけでも、嬉しいいです」
と、お礼を申し上げ、しばらく近況を話し合った。
Mさんは、お元気で、現在も出かけることの多い趣味を持っておられる
とのことであった。その後、いただいた絵葉書の桜をよく見ると、関口雄揮画伯の
「花霞」であった。薄暗い水辺の景色の中に、幻想的な桜が明るく感じられる。
4月の桜は、いつも新旧を区切る花でもある。
もう直ぐ、桜が咲く時期である。私も、自分で集めた桜の絵葉書をたくさん
持っている。大切に保管したままである。
Mさんは、確か私と同じ4月生まれであったことを思いだした。楽しみにして
いる麻のバックが届いたら、桜の絵葉書を一枚選んで、礼状を書きたいと
思っている。
(2008年3月20日)
◎ 最後の日
正午前に、退職辞令交付式が終わった。
退職最後の日の残りはもう半日である。私は急いで職場に戻った。
保育所では、明日の入所式を控えて、新年度の準備をしていた。0歳児
保育室では、0歳児クラスを受け持つ保育士さんへの引継ぎが行われていた。
私も加わり、新担任と一緒に、中心温度計も使って、調乳を実践してみた。
昼食は、休憩時間を利用して、事務所の関係者がミニ食事会を開いて
くださった。少し寛いでいると、五歳児クラスの保育士さんがやって来られ、
「朝の集会で、お別れができなかったので、子どもたちがお別れの挨拶を
したいと言っているんです。あとで、二階に上がってきてくださいね」
と声をかけてくださった。
昼食後、五歳児の保育室に行って、お別れの挨拶をした。子どもたちの
背景に見える窓の外には、今年も桜が綺麗に咲いていた。
「今日で、あじさい組のお友達とも、お別れですね。皆は、四月から小学校に
入学しますね。おめでとうございます。皆さんが、0歳の赤ちゃんの時、私も
この保育所に来ました。皆の赤ちゃんの頃も知っていますよ。皆、元気に
大きくなりましたね。学校へ行っても、たくさんのお友達を作って、勉強もして
くださいね。一緒に過ごした六年間、楽しかったです。ありがとう。さようなら。」
と話した。子どもたちも、
「ありがとうー」
と応えた。しばらく保育士さんと話していると、Hちゃんが、近づいてきて、
私に何かを言ってくれた。私は、よく聞こえなかったので、聞き直すと、Hちゃんは、
「いつもやさしくしてくれて、ありがとう」
と、大きな声で言った。
「いいえ、どういたしまして!Hちゃんも、元気でね。小学校に行ったら、
お勉強もして、やさしいおねえちゃんになってね。楽しみにしているからね」
と言うと、少し間を置いて、
「楽しみにしている、と言っても、もう会えないのに、どうしてわかるんよ」
と、少しふくれた顔でつぶやいた。私は、それはそうだと思いながらも、
「会えなくても、きっと、わかると思うわ」
と言い訳のように応えた。他の子ども以上に怪我などをして、関わることの
多かった、思い出深いHちゃんとのやりとりである。
でも、また会えたらいいのになあと思った。
明日来る後任が、少しでもやりやすいようにと、片付けや準備をする。
そんな時に、また保育室からブザーが鳴り、
「すみません。四歳のお部屋に上がってきてくださいませんか」
と言われる。階段を上って行くと、数人の子ども達が代表して、
「Y先生、ありがとう。プレゼントです」
と言って、私の姿らしい絵を描いたものに、チューリップの折り紙等を
たくさんデコレーションした物を渡してくれた。
よく見ると、私の姿らしい絵には、髪にはリボンが飾られ、体型も
それなりに似ていた。
「ありがとう。大事にするからね」
と言うと、横から、「このチューリップは、私が作った」等と、それぞれの
子どもたちが教えてくれた。
夕方のお迎えの時間には、保護者の方々も、挨拶をしてくださった。
ある保護者の方が、
「Y先生、退職とは、知らなかったわ。先生が、いろいろ陰で気を配っていて
くれていたのはわかっていたわ。お世話になりまして、ありがとうございました」
と言われた。お互いにしかわからない会話である。また、いつも朝夕、
立ち止まって話していかれるある保護者は、
「保育所のお母さん。お母さんが居なくなったら、Kは、どうなるんでしょうか?」
と、また大げさに言われるので、
「大丈夫ですよ。しっかりされていますよ。まずは、お母さんが元気でないと、
家庭が回っていかないから、これからも、お母さんもお元気で、
あまり考えすぎないで頑張ってくださいね」と話す。
就業時間が終わっても、まだ仕事が片付かないでいた。
保育所生活では、一つの仕事が終わっても、ほっとする間もなく、皆で次の
シーズンの行事を考え、準備をしてきた。そして、子ども達の成長や発達に
合わせて、いつも一緒に前に向かって歩いてきた。
とうとう、最後の一日は、終わった。
ご挨拶は、またあらためて、と思いながらも、職員の皆さんに、簡単に
ご挨拶をして回った。
玄関の下駄箱を開けた時、明日から上靴が要らなかったことに気がついた。
門の外に出て、鍵を閉めた後、私はほっと、一息ついた。そして、初めて
出勤した日と同じように、建物に一礼し、保育所をあとにした。
(2008年4月16日)