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もみの木エッセイ集 40
◎ 吉野の花見
吉野の西行庵へはもう何回訪れたことであろう。近鉄吉野駅から吉野山の
中千本まで歩き、そこからマイクロバスに乗って、奥千本まで行き、金峰神社の
横の山道を登り、そしてまた細い道を下って、西行庵に至る。
静かな窪地の一画にある西行庵には、若い頃の西行像が、いつも穏やかな
表情で座っている。金峰神社近くには、義経の隠れ堂もある。
何となく春になりぬと聞く日より心にかかるみ吉野の山
西行
2008年4月、西行の歌を愛する友人達11人で、吉野を訪れることになった。
数年前には、同じメンバーで秋の吉野を訪れたが、西行と言えば、やはり
桜の吉野である。花の盛りを推定して4月13日(日)と予定した。
一目千本と言われる吉野の桜を見ようと思えば、人や交通機関の
混雑は、覚悟をしておかなければならなかった。中千本から奥千本まで
ピストン運転をしているマイクロバスにも、乗れるかどうかもわからなかった。
最悪条件の場合は、西行庵までは行かずに、西行も眺めたであろう
山肌をピンクに染める、お花見を優先しようと話していた。
出発の一週間前には、用意周到に吉野行電車の特急券を各自で確保した。
そして当日のことである。予測したとおり、大阪阿部野橋からの吉野行き
特急券は売り切れていた。午前10時30分の吉野駅前は、大変な人混みだった。
駅前のお店で、柿の葉寿司のお弁当を買う人々、中千本行きのバスに
乗る人々、ケーブルカーに乗る人々等、順番を待つ人の列が続いていた。
吉野駅前には、天武天皇の歌碑がある。
淑き人の良しと吉く見て好しと言ひし芳野吉く見よ良き人よく見
天武天皇
歌碑の前には、若い女の子が三人、歌碑を背に座っていた。今日は、
ゆっくりと歌碑を鑑賞している人はいない。
私たちは、バスにもケーブルカーにも乗らないで、中千本までは歩く
ことになった。
七曲坂から下千本の桜を眺めながら、金峯山寺の総門である黒門を
通り抜けた。道の両側には、旅館やお店屋さんがたくさん並んでいる。
鮎の塩焼きのおいしそうな匂い。店先の桜色したお酒に惹かれて、少し、
試飲をさせてもらう。昔ながらの葛の精製法を紹介した桶もあり、
中を覗き込むと葛を攪拌している。お店の中では、葛餅を食べている
人もいる。また、帰りにはゆっくりと立ち寄ろうと思いながら、人波の中の、
友人達の背中を確認しながら、黙々と中千本まで登って行った。
中千本には、庭園が拝観できる竹林院がある。竹林院は、聖徳太子縁の
寺院であるが、現在は、宿坊というより観光旅館として有名である。
竹林院から奥千本までを往復しているマイクロバスの待ち時間は、
1時間〜1時間半という。奥千本まで行くのは諦めることになり、後から
やってくる友人たちを待つ間、竹林院の庭園を拝観することになった。
大和三庭園の一つと言われている群芳園は、秀吉の花見の際、
千利休が作庭し、細川幽齋が改修した。何よりも親しみ深いのは、
くぐり戸を通ると、直ぐ左に歌碑がある。安田章生氏自筆の西行の歌である。
吉野山こぞのしをりのみちかへてまだ見ぬかたの花をたづねむ
西行
西行が求める花は、去年の花にも無かった、追いかけても、追いかけても
尽きない、憧れの花であったのだろうか。
庭園の桜の花は、白、ピンク、牡丹色など、色とりどりで演出され、
池に覆いかぶさるように天人の桜が佇んでいた。池の水面は花筏が
漂っている。小高い丘を登って行くと、百人一首九十三番の藤原雅経の
歌碑がある。
み吉野の山の秋風さ夜ふけて故郷さむく衣うつなり
藤原雅経
李白の漢詩の影響かもしれないが、秋の夜に冬支度の衣を打つ
砧の音が、静かな吉野の里に、響き渡るというのである。
竹林院の玄関の戸は大きく開き放たれ、家の中の梁の上のツバメの
巣からは、ツバメが忙しそうに出入りしていた。
友人たちと待ち合わせた後、花矢倉まで登っていった。花矢倉は、
義経千本桜でも有名であるが、佐藤忠信が一人で義経一行を敵の襲撃から
逃すため、次から次へと下に向かって矢を射、義経らを守った場所である。
この時、頼朝から義経追討の書が送られてきたのが、竹林院である。
忠信は、治承4年(1180年)、奥州にいた義経が挙兵した源頼朝の陣に
赴く際、藤原秀衡の命により兄の継信と共に義経に随行してきた。兄の
継信は屋島の戦いで討死している。佐藤兄弟は、俗名が佐藤義清である
西行と同じ佐藤一族である。
花矢倉からは、遠くに金剛、葛城、二上山が見え、眼下には、中千本、
下千本の桜がピンクの雲のように見える。遥か遠くには、尾根に沿って
家々が見え、その真ん中に蔵王堂が聳えている。
吉野山雲と見えつる花なればちるも雪にはまがふなりけり
西行
この景色を見るために、私たちは今日のこの日を選んで、やって来た
のだ。私たちが、吉野の駅から蔵王堂を通り越し、ここまで登ってきた
軌跡を眺める。随分とたくさん、歩いてきたものである。一目千本という
言葉を思い出しながら、吉野の春に浸っていた。
残念なことに、景観のよい花矢倉も人が一杯で、昼食をとる場所はなかった。
少し山を下って、細い道に入ったところにある緩やかな斜面で、皆で
お弁当を食べることになった。熱い味噌汁とお茶が、ことさら美味しかった。
斜面に座って桜を眺めながら食べている人々の後姿を眺めていると、
それぞれが山や桜と一体感になり、満足感しているのではないかと思われた。
体調が悪くて、車で来られたご夫婦とも、会うことができ、桜を背景に
記念撮影をした。
桜を見下ろしながら山道を下って行こうとすると、飛行船が視野に
入ってきた。みるみる内に吉野山に近づいてくる。とうとう私たちの真上まで
やってきた。見上げると、吉野山の木々から数十メートルも離れていない
高さの所に、しばらく停まっている。上からは花見、下からは飛行船の
観察である。
こんなに近くに飛行船を見るのは初めてだった。大きい気球の中に人が
乗っているのかと思っていたが、気球の下にロープウェイのような箱が
くっ付いているのだ。
そうこうしている内に、天気予報どおりに、空模様が怪しくなってきた。
帰りも、大勢の人達が一斉に山を下っていく。私たちも、急ぎ足で、山を
下り始めた。雨がぽつぽつ降り出してきた。傘をさしたり、レインコートを
羽織ったりしながら、それでも、お土産店で、葛餅をお土産に買った。
雨が本格的に降りだした吉野駅では、駅舎から人が溢れていた。
帰りの特急券も予約していたお蔭で、花見の余韻に浸りながら、ゆっくりと
座って帰ることができた。
吉野山梢の花を見し日より心は身にも添はずなりにき
西行
花矢倉辺りから見た吉野の景色は、今でも、脳裏に鮮明に浮かぶ。
吉野山こぞのしをりのみちかへてまだ見ぬかたの花をたづねむ
西行
来年は、吉野から花を訪ねて、宮滝への道もいいかもしれない。
(2008年5月3日)