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もみの木エッセイ集 41

◎   ネンネのお地蔵さん
 
 この4月から、百舌鳥八幡宮側にある保育所に、勤めることになった。
17年前にも3年間、勤務したことのある保育所である。百舌鳥八幡宮では、
秋の月見祭りには、布団太鼓が奉納される。
 かつては、神社の敷地だったという保育所は、普段は、市街の喧騒からも
離れていて、また違った別世界の雰囲気があった。4月当初は、新入所児も、
親の後を追って泣いていたが、月末頃には大分落ち着いてきていた。
 5月1日には、3歳、4歳クラスで隣の八幡宮へお散歩に行く予定だった。
私も付き添っていくことになっていた。
 当日、4歳児が3歳児の手をつないで二列になり、職員が列の前後と、
途中に数名、付き添って出かけて行った。総勢約60名である。
 先頭を歩く担任は、
「今日は、寝ているお地蔵さんを見に行くからね」
と子ども達に話していた。
「寝ているお地蔵さん」というのは、私は初耳だったし、八幡宮の
近くにあるのも知らなかった。
 今でも、社域約一万坪あるという境内の西側から入り、そして、
社の正面にある石段を上って行った。
 秋の月見祭りの時には、この石段を、各町の布団太鼓が、若者に
担がれて上ってくる。重さが2.5トンもあるという布団太鼓は、担ぎ手が
気持を一つにさせて、足並みを揃えて担がなければ出来ない技である。
各町の技術の見せ所である。
 お散歩の一行は、本殿や樹齢8百年と言われる楠の前を通り過ぎ、
すぐ横にあるお寺の門まで行って、立ち止まった。よく見ると、光明院と
いうお寺である。お寺の中からは、読経が聞こえてきて、参拝客が
山門を出入りしている。
 本日の保育主担者である先頭の保育士は、中を覗き込んで、一瞬躊躇
していたが、計画通りに、中に入っていくことに決めたようである。
「これから、お寺の中に入って行くけれど、お寺の人に迷惑をかけると
いけないので、ここからは、おしゃべりはだめですよ。静かに行きますからね。」
 と言って、一行は中に入っていった。このお寺に入るのは、私は初めて
であった。
 正面の本堂では、数人の僧が読経し、その後ろには、年配の人達が
十数人、座って手を合わせていた。
 その直ぐ側を、私たち一行は、ぞろぞろと、しかし、静かに通り抜けて
行った。おしゃべりなど出来る雰囲気ではないことは、子どもながら
心得ているのだ。いつもの姿からは、想像ができないくらいであった。
 読経している本堂の壁一枚を境にして、「寝ているお地蔵さん」が
祀られているお堂があった。通称「ネンネのお地蔵さん」である。
お地蔵さんは、一坪位のお堂の中に足を手前にして横になり、身丈に
合う布団が被されてあった。正面からは、盛り上がった布団だけしか
見えない。
 説明書きを見ると、「頭痛や中風にご利益がある」ことが、書かれて
あった。お地蔵さんの頭の方に廻ると、格子越しに、布団から頭が出て
いるのが見える。格子から手を入れて、お地蔵さんの頭を撫でられる
ようになっている。多分、参拝者は撫でてお祈りしているのではないだろうか。
 一行は、帰りも、読経されている本堂の横を、無事に静かに通りぬける
ことが出来た。
 山門を出て、また神社の境内に入り、放生池に架かっている小さな
太鼓橋を渡り、池の中の大きな鯉を眺めて、少し遊んで帰ってきた。
 お寺の中での緊張感から解き放たれた少し疲れ気味の一行は、
「お友達としっかり手をつないでいますか?」
「前の人との間は、空いていませんか?道の真ん中に出たらだめですよ!」
等と、声をかけられながら、保育所に帰ってきた。
 後日、
「ネンネのお地蔵さんって、私知らなかったわ。」
と、先頭にいた保育士さんに話すと、
「そうでしたか。この付近に住んでいる人は、皆よく知っていますよ。」
と言われた。
 この地に、戻ってきたのを機に、少し調べてみると、百舌鳥八幡宮の
略記には、このように書かれてあった。

〜所伝によれば、神功皇后が三韓征討の事終えて難波に御帰りになった時、
この百舌鳥の地に御心を留められ幾万年の後までもこの処に鎮りまして、
天下泰平民万人を守ろうという御誓願を立てられ、八幡大神の宣託をうけて
欽明天皇の時代に、この地を万代(もず)と称し、ここに神社を創建して
お祀りされたと伝えられている。その後社運次第に隆昌に赴き、
朝野の崇敬愈々厚く、王朝時代には社僧四十八ケ寺、社家三百六十人、
神領寺領八百町歩を擁した。(略)〜

 百舌鳥という地は、百舌鳥の鳥が多いから百舌鳥と呼ばれたのかと
思っていたが、万代(もず)の名前の方が先にあったようである。
「幾万代も天下泰平に」というおめでたい万代(もず)である。神社から
6、7百m離れたところには、百舌鳥耳原中陵と呼ばれる仁徳御陵がある。
百舌鳥は由緒ある地名だったのである。また、今でも光明院はじめ
多くのお寺が残っているが、塔頭も多かったとのこと。
 今でも、八幡宮から約6百m離れたJR百舌鳥駅の近くには、大きな鳥居が
ある。昔の百舌鳥八幡宮の大きさを示すものであろう。
 今年の保育所年間行事表を見ると、八幡宮の秋の月見祭りの予定が
書かれてある。9月13日、14日である。お祭りが近づいてくると、保育所の
子ども達も、雲梯などに上って、
「ベーら、べーら、べら しょっしょい!」とよく囃し始めるが、また、布団太鼓の
囃子歌も聞かれることであろう。「ネンネのお地蔵さん」にも会えることが
できたし、また万代(百舌鳥)での生活が楽しみである。
                        (2008年5月11日)

◎ 
気がかりなこと
               
 最近、日に数回、一本のワインのことを考える。二ケ月程前に、わが家に、
送られてきたワインのことである。
 私が生きてきた同じ年月を、熟成してきた還暦を迎えるワインである。
当初は、機会があれば、直ぐにでも飲もうと思っていた。
 送っていただいて三日目に、家族が集まる機会があったので、飲み方を
尋ねると、 
「宅急便で移動させた後だから、最低一週間は静かに置き、ワインの濁りを
沈めてから、その上澄みを飲むのがいいですよ。年月が経っているので、
濁ったまま飲むと、少し苦味があるかもしれない」
とのことであった。
「飲む機会を逃して残念」という気持と、
「六〇年間も熟成させてきたのだから、もう少し置いておこう」という思いが
入り混じってきた。
 今も、そのワインは、わが家の部屋の隅に置いてある。わが家には
ワインセラーはない。
 六月になり、だんだん気温も湿度も高くなってきた。解決方法を、考えてみた。

一 酒屋さんに預かってもらう方法(取引の酒屋さんなどない)
二 適温一三度ということなので、ワインを新聞紙に包んで冷蔵庫の中に
   入れる方法(長期間は持たないだろう)
三 家庭用のワインセラーを買う方法(狭い家の中では、ワインも肩身の
   狭い思いをするだろう)
四 いっそうのこと、飲んでしまう方法(やはりもったいない)

まだ、結論は出ていない。明日もまた暑くなりそうである。
               (2008年06月10日)