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もみの木エッセイ集 43
◎ 小さな出来事の中の大きな悲しみ
小学校六年生の卒業式間近のことであった。
クラスの友人たちの中では、サイン帳を持ってきて、お互いにサインを
し合うことが流行した。
「○○ちゃんに書いてもらったよ」
「△△君にも書いてもらった」
とお互いに、サイン帳を見せ合っていた。
私もサイン帳を用意して、友人達に書いてもらうことにした。一番の目的は、
S君に書いてもらうことであった。
私は、早速、S君にノートを持っていくと、彼は、私にはサインをするのを
断った。他の友人達にはサインをしているにもかかわらず、私には
出来ないと言うことである。
私は、それでも諦めず、私の友人にノートを託して、彼に書いて
もらうことに成功した。
しかし、間もなく彼は、私の所にやってきて、ノートをとりあげ、
自分が書いたページだけを破って、私に返した。
中学生になって、S君は他の学校へ行き、私も転校し、故郷の町を
離れた。破られたサイン帳さえ、今は残っていない。
◎ 小さな秘密の大きな意味
「あんたはもう六年生だし、お母ちゃんがこれから話をすることも、
ちゃんと判ってくれると思うから、話しておこうと思うんやけど」
と前置きをして、母は父の病気のことを打ち明けた。数ヶ月前に手術したにも
関わらず、一向に体調のよくならない父の病状について、納得することができた。
手遅れだったのだ。
「お父ちゃんは、手術したから治ると思っているから、お父ちゃんの前では
つらい顔をしないようにな。これから看病するのが、だんだんと大変になると
思うけど、あんたも手伝ってな」
と、付け加えた。母は、一人では持ちきれない重たい荷物の一部を、長女である
私に分担した。妹たちは小学四年生と一年生だった。
何も食べられなくなり、体力の衰えていく父の姿を、私はただ見つめていた。
私は自分自身を哀れむこともあった。しかし、現実の生活では、そんな甘えは
許されなかった。
末期には、麻薬性鎮痛剤も処方されていた。
小学校の卒業間近の二月、父は四十三歳で亡くなった。当時の私には、
母を助けて妹たちを一人前にしなければという思いがあった。
私の人生に大きな意味を与えた出来事であった。
◎ 人との出会い
同窓会の案内があったのは、昨年の秋のことである。私は、K中学校を途中で
転校したので、卒業名簿には載っておらず、還暦を迎える今日まで、招待された
ことがなかった。ところが、前回の同窓会で、私の消息がわかり、次回は招待
しようということになったようである。
電話をかけてくださった幹事のTさんは、懐かしそうに、私に話しかけて
くださった。しかし、申し訳ないことに、私は彼のことを、全く覚えていなかった。
故郷を離れて、四十五年も経っており、彼とは、小中学校も同じクラスになった
ことがなかったのだ。彼は、懲りずに、私との接点を見付けて、記憶を蘇らせる
努力をしてくれた。幼稚園では、二人ともミドリ組であったこと。お互いの家は、
百メートルくらいしか離れていなかったこと。幼稚園で担任だったT先生の近況や、
同級生のEちゃんやKちゃん、Sちゃんのことなど、共通の話題を選んで話してくれた。
そして、今年のお正月、故郷の同窓会に出席した。幼馴染の友人たちと
昔話をしながら、浦島太郎も、こんな気持ちだったのだろうかと思った。
今回、お世話になった幹事のTさんとも対面したが、やはり思い出すことは
できなかった。
幼稚園の卒業写真を持って行った私は、Tさんに、
「どこに写っているの」
と見せると、私の直ぐ上の男の子を指さした。
(2008年7月9日)