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もみの木エッセイ集 49

 ◎ 源氏物語著述一千年講演を聴いて

 「白楽天と源氏物語」中西進著は以前図書館から借りて挑戦したことがあるが、
途中でギブアップしてしまった。源氏物語も読破しておらず、白楽天についても
精読していない私であるので、十分に理解ができず、また勉強をしてから
出直そうと思ったからである。
 源氏物語著述1千年の催しが開かれている二〇〇八年の秋、中西進先生も
講師のお一人である「白楽天と紫式部」という講演が京都で開かれた。私は、
「白楽天と源氏物語」を読むとっかかりにでもなればと思って、この講演に
参加した。お話は1時間足らずであった。

 私は、原文より先に「女人源氏物語」瀬戸内寂聴著を読んだ影響であるのか、
女人の思いや哀れさばかりが先に感じられて、主人公の光源氏にはあまり
魅力が感じられなかった。恋愛というものは、相互の通い合う感情であるにも
関わらず、主人公の身勝手さがあまり好きにはなれなかった。
 しかし最近、私の源氏物語観が少し変わってきている。かの藤原俊成は、
六百番歌合の判において、「源氏見ざる歌詠みは遺恨ノ事也」と源氏物語を
絶賛し、歌詠みは必ず源氏物語を読むべきだと書かれている。源氏物語の
中には、源氏物語以前の古今和歌集や風俗歌、その他勅撰集の歌等が
取り入れられている。また、当時既に日本でも読まれていた白楽天の
漢詩等がモチーフにされて、物語を彩っている。歌詠みにとっては、源氏物語を
理解して読むということが、日本古来の歌の理解にも繋がるということであろうか。
現代の私たちも、物語の中に隠された歌や詩を掘り起こそうと思えば、
少しでも紫式部の知識に近づかなければ不可能ということになる。
 そこで今回、読み解く技術を学びたいと思い、中西先生の講演に参加させて
いただいた。中西先生は、約1時間という決められた時間内で、濃縮して
お話された。私の持っている知識では十分に理解できないところもあったが、
次のような内容である。

 白楽天の詩は、白楽天存命中に既に日本に伝来していた。平安文学に
大きな影響を与えた。白楽天の政治や社会の実相を批判・賞賛した詩である
諷喩詩は、詩歌史的に見ても貴重なものであり、中国文学史に於いても
重要視されてきた。
 紫式部は上東門院彰子に教授している。紫式部は、白楽天を教えた。
中宮として諷喩詩を知らなければならなかった。
 貞観の治(じょうがんのち)とは中国唐の第二代皇帝・太宗李世民の治世、
貞観時代の政治を指す。この時代、中国史上最も良く国内が治まった時代と
言われ、後世、政治的な理想時代とされた。中宮は何をお手本にすればいいのか。
白楽天の作った諷喩詩ではなかったか。皇后としての必読書であった。
王道を行うのが天子である。
 紫式部は何かを見つめようとした。愛である。源氏物語は、長恨歌(感傷詩)を
モチーフにした。恨み、怨恨は和歌のテーマである。
和歌の基本的なものは恨み。和歌的な源氏物語。愛欲の批判、愛に対する
告発である。紫式部は、残酷な女性であったと思う。紫式部は愛に対して
絶望している。源氏物語を紫式部は、白楽天を合わせ鏡にして書いた。
「白と紫の決闘」と言いたい。優れた文学の高みを獲得した。白氏文集を
守ることが宮廷の教養であった。清少納言は、簾を挙げて見せたが、
紫式部は、源氏物語の中で、私の方がこれくらい詳しく知っているのよと
言っているように思う。
 
 紫式部は、日本の記紀や和歌をはじめ風俗歌、そして白楽天の詩を消化し、
自分の血肉にした上で、自分自身の人生観を交えて物語を生み出したのだと
思った。
 以前、中西先生の講演の中で、「源氏物語の恋は、それぞれにハンディを
持っている」というお話もあった。仲睦まじかった紫の上との間には子どもがいない。
 今回のお話の中では、「源氏物語は、紫式部の愛欲の批判、愛に対する
告発、愛に対する絶望である」というお話が一番印象に残った。私は物語に
対する絶大な賛美が多い中、このような見方もあるのだという、新鮮な驚きを
感じた。確かに紫式部はハッピーエンドを望んではいない。

 講演後、物語に埋もれている言葉を調べてみると、例えば、「桐壺」の
〜月影ばかりぞ八重葎にも障はらず差し入りたる〜
の「八重葎にも障はらず」は、
「訪ふ人もなき宿なれど来る春は八重葎にもさはらざりけり(古今六帖二-一三〇六 読人しらず)」
から出典されている。また、 
 〜大液芙蓉未央柳も、げに通ひたりし容貌を、唐めいたる装ひはうるはしうこそありけめ〜
 の「大液芙蓉未央柳」は「大液芙蓉未央柳 対此如何不涙垂(白氏文集巻十二 長恨歌)」 
の歌から出典されている。

 これらは序の口である。物語全体のいたるところに、当時の人々が周知して
いる歌や詩が埋まっている。

 この講演を聴かせていただいた直後、偶然ではあるが、京都嵐山にある
小倉百人一首の殿堂・時雨殿を訪れて、「体感かるた五番勝負」に挑戦した。
清少納言、蝉丸、大弐三位、紫式部、藤原定家と「かるた取り」で対戦し、
見事に五人抜きを達成すれば、「名人位認定証」をもらえるゲームである。
一帖位の畳の上に座ると、最初に、大きなデジタルテレビに艶やかな十二単を
つけた等身大の清少納言が現れて対戦してくれる。私は、優しくお手柔らかに
お相手をしてくださった清少納言、蝉丸、大弐三位には勝てたが、四人目の
紫式部には敗れてしまった。紫式部は、歌を読みはじめるやいなや、容赦なく
即座に札を取った。私は全く手が出せなかった。
なぜか紫色の十二単を着た若くて美しい紫式部は、
「おほほほほ」
とにこやかに高笑いをし、
「もう少し、精進して出直していらっしゃい」
というような意味の言葉を発せられた。
私のイメージしていた物静かな紫式部とは大分違っていた。

 遅まきながら、作者の執筆当時の思いや物語構成に参考にされた出典物等に
ついては、見当がつき始めた私ではあるが、これから読み解いていくのには、
やはり根気を要するだろう。興味深く思う反面、手強さを感じはじめた。
                    (2009年1月7日)