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もみの木エッセイ集 50

 ◎ 「家守綺譚」を読んで
     
 この小説のことも、梨木香歩という作家も私は知らなかったが、ファンタジー
小説が好きなので、読んでみようと思った。なにせ「綺譚」である。
 読んでいるうちに、このような世界があったのだと、新しい発見があった。
主人公・綿貫征四郎は、今から百年前という時代に住んでいる。百年前と
いうのは、読者にとっては確かめようがない少し前の昔である。
「もしかしたら、こんなこともあったのかも知れない」と思わせる時代設定である。
 主人公征四郎に懸想しているかもしれないというサルスベリは、西鶴の
「鯉の散らし紋」を、床の間の掛け軸から出入りする、亡くなったはずの
友人高堂や白鷺は、「応挙の幽霊」を思い起こさせる。そして、迷子になった
秋の神・竜田姫。亡くなってしまったけれど、春の女神になって帰ってくると
いう佐保ちゃん。日本の妖怪・伝説上の動物の河童。古来より伝わる狸霊。
羽衣伝説。そして、「難を転ずる」といわれ、縁起がよいとされる南天の話等など。
日本の古来伝説、信仰、物語等の楽しい再発見がある。

 読んでいる間、ゆったりとした時間の流れの中で、やや不気味な、そして
興味深い時間を過ごした。
 各章が「サルスベリ」「都わすれ」「ホトトギス」「白木蓮」「萩」など、花の名前が
並び、その花の化身のような物語も展開される。未(ひつじ)の刻になると律儀に
花を開き、最近「けけけっ」とたいそうけたたましく鳴くというヒツジグサ(睡蓮)や、
白い花弁の周りに、まるでそれの吐息のような白い糸が絡んでいるカラスウリも
出てくる。

 この「家守綺譚」を読み終わって、著者の梨木香歩という人物に関心をもった。
そして早速、「春になったら苺を摘みに」「西の魔女が死んだ」を読んだ。今は、
「村田エフェンディ滞土録」を読んでいる。家守綺譚には、土耳古(トルコ)に
行っている村田君も登場するし、倫敦(ロンドン)に留学している友人の話も
出てくる。それぞれの物語がどこかで繋がっている。

 家守綺譚の世界の心地よさは、疏水があり、南禅寺山麓にも近いという
長閑な自然に囲まれた環境設定である。それに、登場人物にも好感がもてる。
 征四郎と高堂の淡々としているが、信頼し合った友人関係。犬を飼おうか
どうしようかと迷っている征四郎に、「功徳をお積みなさいまし」と言う少し
世話焼きの隣のおばさん。比叡山の山奥に住む信心深く、征四郎に恩返しも
する健気な狸。何かと面倒をみてくれる山寺の和尚さん。主人・征四郎を
守る犬のゴロー。皆、味があり魅力的である。
そして、何よりも征四郎という人物は、少しのんびりとはしているが、毎日真摯に
生き、友人思いで、人情もあり向学心もある。
 征四郎が、丘の勾配のようなところへ迷い込んだ時、喉が渇いている
彼の目の前に、葡萄が出された。
「さあ、葡萄をどうぞ。おなかは空いておられなくても、喉はお渇きのはず」
と言って勧められた。しかし、それは異界の食べ物であった。征四郎は、
「私は、帰れねばならないのです」
という。
「ここにいればいいではないですか。何も俗世に帰らなくてもいいではないですか」。と、
再度葡萄を勧められた時、彼は言う。
「拝聴するところ、確かに非常に心惹かれるものがある。(略)憂いなくいられる。
それは、理想の生活ではないかと。だが結局、その優雅が私の性分に
合わんのです。私は与えられる理想より、刻苦して自力で掴む理想を求めて
いるのだ。こういう生活は、」
 そして、一瞬躊躇ったが勢いが止まらず、
「私の精神を養わない」
と言い切る。周りはしんとなり、戸惑い、黙ってしまう。
 そして、征四郎は、そういう風に断ったことに対して、相手を傷つけまいと、
「先ほどの件ですが」
と、言葉を付けたし説明する。
「お心遣いは有り難いと思っています。他を否定するつもりは毛頭なかった。
それどころかあなた方に憧れる気持ちさえある。(略)言葉足らずですまなかったと
思っています。私には、まだここに来るわけにはいかない事情が、他にも
あるのです。家を守らねばならない。友人の家なのです」
 と。
 征四郎には、相手を気遣う優しさがある。
 後で、葡萄を勧められた場所は、亡くなった高堂も住んでいる湖底だったと
わかる。そして、征四郎は、「高堂は葡萄を食べてしまったんだ」ということに
気がつく。
 湖でボートを漕いでいて、行方不明になった友人の実家の家守。そして
奇譚ではなく綺譚。作者の巧みに織りなす物語・「綺譚」の世界から、
読み終わった後も、去りがたい気持になった。
                      (2009年2月1日)