Iさんから約1ケ月後に控えている保育所保健セミナーの講師依頼の電話が
入った。西日本の保育関係者を対象にして大阪で開かれる研修会である。
Iさん自身が発表をする予定で引き受けていたそうであるが、保育所の大切な
行事と重なったためやむなく私にピンチヒッターを依頼されたのである。
切羽詰まって助けを求めて来られるのは、いつも忙しいIさんらしい
ことだなあと思ったが、ありがたく思いながらも私は断わらせていただいた。
私は、昨年の春には退職し、再任用で務めているとはいえ、もう半分位は
隠居人のような気持ちになっていた。それに、何よりもこれからの保育所
保健を担う若い看護師に発表してもらいたいと思ったからである。
Iさんと相談して、後輩数名の人に勧めてもらうようにお願いした。
翌日、またIさんから電話があった。早速依頼したTさんは、息子さんの
結婚式を控えているので、できないとのこと。Sさんはお祝い事があって、
その頃は家族で田舎に帰るからできないとのこと。もう一人、頼みたいと
思っていたNさんは、乳児がいない保育所に勤務しているので、今回の
「3歳未満児の感染症対応と登園を考える」というテーマでは実践を語って
もらえないとのことであった。
2月末の土日で開かれる研修プログラムを見ると、パネルディスカッション
「3歳未満の感染症対応と登園を考える」は、初日の午後、約2時間で
行われる予定になっていた。司会は大阪小児科医会のO先生、そして
保育園嘱託医の立場からN先生が発表される予定になっている。そして、
保育園から看護師が発表するのであるが、そこには、まだ名前が書かれて
いなくて、「交渉中」と書かれていた。聞くところによれば、すでに研修参加
申し込み人数は、定員の300名に達したということであった。
感染症の登園基準に関するテーマや、その他、平成21年4月から告示される
「保育指針」についての講演もあり、受講希望者が多いようである。
保育所の行事と重ならなければ、Iさんはきっと持ち前の真面目さと熱心さで、
立派に講師を務めたに違いないが、今回はやむを得ないことであった。
そのIさんから頼まれたことでもあり、また、今まで保育所保健を引っぱって
こられた多くの先輩たちを思い浮かべると、今回は私が引き受けさせて
いただこうと考えた。気持ちを奮い起こして、承諾した。
数日後、講師依頼書が届き、承諾書を返送した。講師料礼金○万円と
書かれていたが、上司と相談の結果、「講師料は辞退し、交通費だけ
いただきます」と記入した。
私はIさんに、今回の感染症の対応については、S市の毎年出している
保健統計を表にして、「3歳未満児の感染症発生率が高い」ことを示し、
「主治医によって異なる登園基準の難しさ」について、現場状況を伝えたい
ことなどを話した。そして、主治医が書かれる「感染症の登園に関する意見書」は、
学校保健に準じるということだけではなく、「乳幼児は感染症罹患に対する
リスクが高い」ということや、「保育所での生活形態は長時間、密接に
共同生活をしている場である」ということ等も、配慮していただきたいこと等も
伝えたいと思っていた。
今回の講師を引き受けるにあたって、一番心配だったのは、私自身の
「やる気」であった。毎回、このセミナーには、遠くからは沖縄や九州、山陰、
四国方面からの参加者が集われる。そんな熱心な参加者を前にして、
積極的な実のある内容の話をしなければ失礼にあたると思った。私はその
準備の一つとして、行く予定にしていなかった研修に急遽参加することにした。
東京で開催される感染症に関するシンポジウムである。国立感染症情報
センターのY先生のお話は、今まで数回聞かせていただいたことはあったが、
大阪のセミナーを控えて、もう一度聴かせていただこうと思ったからである。
1月末の土曜日午後の講演を受講するために、早朝、大阪を出発し東京へ
向かった。日帰りなので、往きに富士山を見ておきたかったが、澄みきった
群青色の中腹が、雲の合間から少し見えただけであった。
一番関心のあった「感染性胃腸炎の登園基準」については、「休む勇気・
休ませる勇気」が必要であると、Y先生は話された。熱もなく機嫌がよければ、
仕事を持っている保護者は嘔吐・下痢などの症状があっても登園させ、
周りの乳幼児に感染させてしまう。なかなか現実は、登園基準判断が難しい。
油断をすれば、乳児保育所では30〜40名位の流行は珍しくはない。
「休む勇気・休ませる勇気」を求めるだけでは解決が出来ないことは、
皆承知しているのだ。
Y先生は、感染性胃腸炎について、「集団感染させないためには、保育所で
吐かせないことです」と言われた。すると、皆どーっと笑った。「ひと吐き10人と
言いますから」と付け加えられた。予知することは難しく、それは無理である。
嘔吐や下痢でウィルスがエアゾルとなって、空中に浮かび他人に感染して
いくためである。
夕方6時過ぎの新幹線に乗り、大阪へ帰ってきた。
数日後に、とりあえず研修冊子に載せるレジメを、数枚書いて郵送した。
発表原稿は、当日間際までに書けばよかった。パワーポイントのスライドも
必要である。
時間を見つけて、少しずつ作ることにした。保育所の子ども達や保育士の
写真、保育施設、保健関係の掲示、そして、説明文書等は、箇条書きに
整理してスライドに載せることにした。パネルディスカッション形式なので、
質問などにも備えて、関係資料をファイルに閉じて持って行くことにした。
嘱託医の立場で発表されるN先生の研修も、3ケ月前に聞かせていただいたので、
その資料も用意した。
セミナー開催1週間前には、再度研修依頼先から、打ち合わせの時間と
場所の案内の封書が届いた。研修開始30分前に集って、3名で打ち合わせを
することになっていた。司会のO先生にも発表されるN先生にも、直接お話を
させていただいたことは無かった。
当日は、指定された時間より早く着くように出かけた。1時間前には控え室に
着き、研修担当のスタッフの方に、研修で使用するパワーポイントのUSBを預けて、
パソコンにアップして確かめていただいた。しばらくすると、司会のO先生が来られ、
ご挨拶をさせていただいた。少し雑談していると、N先生が、ご自分のパソコンや
たくさんの荷物を持って、控え室に入って来られた。早速、N先生にもご挨拶させ
ていただき、3ケ月前に、N先生の研修を受講したことがあることをお伝えした。
O先生は、
「N先生、先生は、このテーマで最近何回くらい研修して回られたんですか?」
と、笑いながら問いかけられた。
「そうですね。大分話しましたよ」
と言われ、
「今日の研修も、すでに聞いた人達が多いかもしれないので、スライドは50枚
くらいはあるんですが、大分枚数を飛ばそうと思っているんです」
と言われた。
「先生、大阪府下では、話されたかもしれませんが、今ここに来られている方は、
遠くは、沖縄や九州など、地方から来られている方が多いので、皆さんに関心の
ある事柄を出来るだけ詳しく、お話していただいた方がいいと思います」
と私は詳しく話していただくことを勧めさせていただいた。
「私のスライドは、30枚少しですから、30分くらいで終わると思います」
と、私の予定を話した。
打ち合わせの結果、私が先に「保育所における感染症の状況」と
「登園基準に関する意見や今後の課題」を話し、その後、N先生が感染症に
ついての法的な取り決めや府医師会で検討された意見書についてお話して
くださることになった。N先生には、時間のある限りお話していただくことになった。
私は、この発表をするにあたっての私自身の姿勢としては、「現場から面と
向かって、主治医へ要求ばかりを言うのではなく、一緒に考える姿勢で
発表したい」と考えていた。
そこで、この発表に当たって、あらかじめ、お二人の先生に尋ねておきたい
ことがあったので、質問をさせていただいた。
「今まで、大阪府医師会からは、登園基準の判断が難しい感染症については、
例えば、手足口病、りんご病、溶連菌感染症、とびひ等については、医師会長から、
登園に関する見解という文書を、保育園施設長宛に出されていますが、
何故、感染性胃腸炎については出していただけないのでしょうか?これからも、
見解の文書は出していただくご予定は無いのでしょうか?」
と聞かせていただいた。すると、O先生とN先生は、
「下痢・嘔吐と一口で言っても範囲が広いんです。例えば、細菌性胃腸炎の
場合もあるからです。全てがウィルス性の胃腸炎であるとは限らないからですよ」
と言われた。
「ああ、そうですね。細菌性のO157やサルモネラなども入りますからね。
全てがウィルス性とは限らないですね」
と私は、あらためて納得した。しかし、理解はできたが、それだけに、感染性
胃腸炎の登園基準の問題は、難しいと思った。
13時から14時30分までの講演Tが終わり、14時45分からパネルディスカッションが
行われた。30分と言っていた私の発表は40分かかり、N先生は1時間余り話された。
質問や討論の時間は少なくなったが、フロアーからの質問や意見も活発に出され、
司会のO先生も上手くまとめられ、予定の2時間で終了した。
終了後、N先生とO先生に
「今日は、勉強させていただきまして、ありがとうございました」
とお礼を言い、壇上を降りた。研修後、数人の方が、私の所に来られて質問をされた。
「今日、N先生がお話された登園に関する意見書については、大阪府医師会の
ホームページにも書かれていますよ」
と、説明させていただいた。
会場を出ようとすると、保育所保健連絡協議会の会長をされているOさんや
研修事務局の方たちが
「お疲れ様でした」
と労ってくださった。私も、とにかく終わったことにホッとし、笑顔で、
「ありがとうございました」
と挨拶し、研修場所である大阪国際交流センターを後にした。
会場から遠ざかるほど、軽やかな足取りになってきた。開放感があった。
帰途、Iさんに、無事に終わったという報告と、眠っていたやる気が少し元気に
なったことも付け加えて、感謝のメールを送った。
(2009年03月13日)