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もみの木エッセイ集 57
◎ 「この子最近よくころぶんです」
〜ギラン・バレー症候群〜
1980年頃、もう今から30年も前のことである。
3歳児クラスのH保育士が、
「最近、Y君がよくころぶんです。毎日、だんだんひどくなってくるように
思います。今日も2、3回はお部屋でころびました。一度、部屋に
見に来てください」
と事務所にいる私に伝えに来た。
3歳児の保育室では、約20人の子どもが、丸く輪になって
オルガンのリズムに合わせて、走ったりスキップしたりしていた。
確かにY君は何度か足がよろよろとなり、前に手をついてころんだ。
H保育士に、
「そうやね。よくころぶね。健康観察をする上では、その子どもの
日常のことをよく知っている人の‘いつもと違う’という直感を大事に
しないといけないというから、先生の観察は、大切やと思うわ。
保育所での最近の様子をお母さんに知らせて、家庭ではどんな
様子なのか、聞いてみましょう。」
ということになった。共働きのお家なので、Y君は家に帰っても、
父方の祖母にみてもらっていることが多いようであった。早速、
この様子を母親に伝えると、
「そうですか?家ではあまり気がつかないんですが、また様子を
みてみます」
ということであった。その2、3日後、Y君が保育所を欠席した。
欠席理由は、やはり、家でもよくころぶようになり、歩かないで
這うようになってきた、とのことであった。そして、近くのかかりつけの
病院に受診したが、明日は、紹介状を書いてもらって、総合病院へ
受診する予定であるとのことであった。
そして、診断された病名は、“ギラン・バレー症候群”であった。
ほとんどの人は、初めて耳にする珍しい病名であった。時々、
美容院で女性週刊誌をまとめて読んでいる私には、聴き覚えのある
病名であった。女優のOさんが闘病されている同じ病気である。
人気女優のOさんが罹った病気ということで、この病名は全国的にも
知られるようになった。保育所の職員に説明をする時、Oさんの
名前を出すと、皆、思い出して頷いた。
Y君は、お家の都合もあって、遠く離れた母親の実家近くの
総合病院に入院することになった。一緒に暮らしている父方の
祖母のお話によれば、下肢からだんだんと上半身の方へ麻痺が移り、
今は、ベットに寝たきりで養生をされているとのことであった。Y君には、
年長児クラスに兄が居たので、送迎時には、祖母からY君の様子を
伺うことができた。
今では、もう入院日数までは覚えていないが、麻痺が治まり、
退院をして、自宅療養を経てから登所するまでには、数ヶ月は
かかったと思う。
‘ギラン・バレー症候群’という病気について、調べてみると、
‘自分の抗体が、誤って自分の末梢神経を攻撃することによって
生じる疾患だそうである。いろいろなことが病気の引き金になって
いるようで、多くの患者は、細菌やウイルス感染症が起こって、
数日から数週間後に発症するとのこと’。症状としては、
‘2−4週以内にピークとなり、その後は改善していくが、症状の
程度はさまざまで、もっとも症状のひどい場合には寝たきりに
なったり、呼吸ができなくなったりすることもある’
とのことである。
Y君の場合は、予後もよかった。
その後、私も転勤し、Y君も保育所を卒園し、お家も引越しされ、
本人には会うことはなかったが、数年後、偶然にY君の母親と駅の
ホームでお会いした。電車を待っている間、その後のY君の様子に
ついて尋ねると、Y君は元気に過ごされているとのことであった。
あれからもう30年、3歳だったY君はもう30歳を過ぎているだろう。
保護者よりも、子どもと長時間共に過ごしている担任保育士の
観察力にはいつも感心する。その子どもの日常をよく知っているから、
「いつもと違う」という鋭い発見がある。
先日、女優のOさんがギラン・バレー症候群を再発し、亡くなられた
ニュースを見て、Y君のことをまた思い出した。
(2009年9月23日)