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もみの木エッセイ集 63
◎ 「心臓の音が聞こえません」
〜横隔膜ヘルニア〜
保育所には、嘱託医による定期内科健診がある。内科健診方法については、
それぞれの医師のやり方があり多少異なる。一般的には、胸と背中の聴診と咽、
そして皮膚の状態や下瞼を裏返して貧血の様子などを診られる。もっと丁寧に
診てくださる医師は、背骨の正中線や2歳以下の男児については停留睾丸の
有無も診てくださる。
私が20数年程前に勤務していたY保育所の嘱託医のE先生も、丁寧に健診を
してくださっていた。中年の女医さんであった。
100名前後の児童の健診であるので、手際よく実施出来るように、毎回
前もって打ち合わせを行っていた。E先生は、
「初めに胸から診ます。次は背中、そして、2歳児の男児は、パンツを下ろしてください」
と言われた。
停留睾丸の診察は、陰嚢にさわり、睾丸が2つあることを確かめる。1才過ぎまで
陰嚢内におりてこないと睾丸の発育が遅れるのだ。睾丸の発育に最も適した
温度は体温より1〜2度低い35〜36度なので、いつまでも温度の高いおなかの
中に止まっていると、発育が遅れてしまう。
Y保育所は2歳からの保育所であったので、入所したばかりの男児については、
診てくださっていた。
2歳児の診察が始まって間もなくのことであった。先生は、女児のHちゃんの胸に
聴診器をあてた後、聴診器を離し、聴診器の具合をみて、また胸を聴診された。
そして、首を傾げては何度も聴診していた。そして、先生は言われた。
「心臓のある位置では、心臓の音が聞こえないんです。この辺りで聴こえるんです」
と左ではなく右側の胸を指差された。
「保護者の方に伝えて、明日にでも、私の診療所に連れて来て下さい。詳しく診てみます」
と言われた。
Hちゃんは、食事の好き嫌いが多く、時間をかけて食べたとしても、その後、
嘔吐することがあった。食が細いせいか体格も小さく、何故かいつも体調が
すぐれなかった。
早速、Hちゃんの母親に連絡をして、翌日、Hちゃん母子と一緒に私もE先生の
診療所を訪れた。
胸のレントゲン撮影をした結果、その原因が判った。Hちゃんには胸腔と腹腔を
区切る横隔膜が無かったのだ。母親のお腹の中で横隔膜が形成されている途中で、
何らかの理由で横隔膜が閉じられなかったために、胃や腸管が胸腔内に陥入して、
心臓が右側に押されてしまっていたのだ。聴こえるはずの定位置では
「心臓の音が聴こえない」という理由が判明した。
Hちゃんは、E先生に紹介状を書いてもらい、K大学付属病院へ受診し、横隔膜
形成術を行い、予後もよく退院した。
Hちゃんは、2歳児になって初めて、E先生に聴診器1本で先天的な疾患を見つけて
もらった。E先生の日頃からの丁寧な健診の様子を見させてもらっていて、
さすがE先生だと思った。
Hちゃんは無事にまた保育所に帰ってきた。消化器官も循環器官も定位置に納まり、
Hちゃんは、‘何故かいつも調子が悪い’という症状も無くなり、その後元気になり
体力もついてきた。
(2009年10月31日)