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■■ 西行の京師(さいぎょうのけいし)
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vol.02(隔週発行)
2002年4月29日号
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( はじめに )
メールマガジン「西行の京師」ご購読ありがとうございます。
このメールマガジンは中世の歌人、西行法師の多くの歌の中
から、現在の行政区分の京都市及びその近辺の地名や寺社名の
詠み込まれた歌と詞書を取り上げます。歌数が限られています
ので一年弱の時限発行となる予定です。
なお、このマガジン発行はメールマガジン「西行の生涯とその歌」
及び「西行学習ノート」から触発を受け、それが直接の契機と
なったことを付記します。(この挨拶文は3号までとします)
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■ 西行の京師 第2回 ■
目次 1 西行年譜
2 今号の歌と詞書
3 寺社・所在地情報
4 関連歌のご紹介
5 お勧め情報
6 エピソード
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《 1・ 西行年譜 》
1118 年 西行生まれる
1135 年 18歳 成功(一種の買官)により、兵衛尉となる
1140 年 23歳 10月15日、出家する
1145 年 28歳 このころ、初回の陸奥への旅に出る
1149 年 32歳 このころ、高野山に草庵を結ぶ
1151 年 34歳 詞華和歌集に詠み人知らずとして
「身を捨つる・・・」歌が入集する
1168 年 51歳 このころ、四国・中国への旅をする
1186 年 69歳 二度目の陸奥への旅をする
1187 年 70歳 千載和歌集に18首入集する
1189 年 72歳 (宮川歌合)できる。河内、弘川寺に移る
1190 年 73歳 2月16日、弘川寺にて入寂
◎ 没後、新古今和歌集に歌人中もっとも多くの歌が採録されて
いて、94首を数える。
◎ 藤原定家卿の「小倉百人一首」第86番に下の歌が撰入する。
「歎けとて月やは物を思はするかこち顔なる我が涙かな」
(この年表は3号までとします)
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《 2・今号の歌と詞書 》
《 歌 》
1 大井河をぐらの山の子規ゐせぎに聲のとまらましかば
(45P夏歌)
2 大井河ゐせぎによどむ水の色に秋深くなるほどぞ知らるる
(89P秋歌)
《 詞書 》
○ 忍西入道、西山の麓に住みけるに、秋の花いかにおもしろからんと
ゆかしうと申し遣しける返事に、いろいろの花を折りあつめて
(60P)
○ ある所の女房、世をのがれて西山に住むと聞きて尋ねければ、
住みあらしたるさまして、人の影もせざりけり。あたりの人に
かくと申し置きたりけるを聞きて、いひ送りける (178P)
(1)の歌の解釈
小倉の山で鳴くホトトギスよ。その声が大井川の井堰に
せきとめられて、とどまってくれれば良いのに・・・
(2)の歌の解釈
大井川の井堰によどんでいる水にも、深まりゆくこの秋の
色が濃く映っていることがわかる・・・
−−補筆事項ーー
1 大井河 京都市右京区嵐山を流れる川の名称です。大堰川
とも表記します。昔は葛野川とも戸無瀬川とも
西川とも言われていました。戸無瀬の滝が嵐山に
あって、「戸無瀬」はこの川の歌枕になっています。
渡月橋から下流は桂川といいます。
2 をぐらの山 小倉山。右京区嵯峨にある山です。西行はこの山の麓で
草庵を造って、住んでいたようです。
定家卿の百人一首はここで編まれたそうです。
時雨亭の場所は明確ではありません。
3 子規 「ホトトギス」と読みます。ホトトギスはたくさんの
表記方法があります。岩波文庫の山家集では、以下の
表記がなされています。
「郭公、時鳥、ほととぎす、子規、呼子鳥、よぶこ鳥、
杜鵑、杜宇、死出の田長、蜀魂」
192P「ぬえ」も兼好の「徒然草」などを読むかぎり、
私はホトトギスのことと解釈しています。
4 西山 京都の西山の事です。しかし、ここからここまでの山が
西山であるという、明確な指定はありません。
固有名詞としての「西山」もありません。東の山に対する
西の方の山というほどの意味です。
西行の時代は衣笠山(金閣寺がある)辺りでも西山と
いわれていたようです。普通は嵯峨及び桂川以西の山を
指しますが、現在では大原野から天王山までの丘陵を
特に西山と言うようです。
5 忍西入道 生没年及び伝未詳です。「西行法師家集」には、
西忍入道とあります。また、新潮版山家集では
「西山の麓」ではなくて「吉野山の麓」と表記
されています。
6 ある所の女房 待賢門院堀川のことです。堀川の略歴説明は
下のページにあります。
http://isweb41.infoseek.co.jp/novel/kazu02aa/mei03.html
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お知らせ
このマガジンは岩波書店の文庫版、佐佐木信綱校訂、山家集を基本
テキストとしています。特に別記のない場合はページ数、引用歌、
詞書はすべて岩波書店の山家集に拠っています。
試みに、上記2首を新潮社版山家集から引用します。
1 大堰川 小倉の山の 郭公 井堰に声の とまらましかば
2 おほゐ川 井堰によどむ 水の色に 秋深くなる 程ぞしらるる
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《 3・所在地情報 》
◎ 嵐山 (あらしやま)
交通 京都駅からJR嵯峨嵐山駅下車。
市バス、京都バス嵐山公園下車。
四条大宮から京福電鉄嵐山駅下車。
阪急、桂駅乗り換え嵐山駅下車。
概要 京都有数の観光地。山の名称としての「嵐山」は大堰川
右岸の山を指し西京区。大堰川にかかる渡月橋は右京区。
古来からたくさんの歌に詠まれてきました。
(この所在地情報は、前号と重複しています)
下は嵐山、嵯峨野の写真です。
http://isweb41.infoseek.co.jp/novel/kazu02aa/ara01.html
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《 4・関連歌のご紹介 》
1 けふ見れば嵐の山は大井河もみぢ吹きおろす名にこそありけれ
(俊恵法師 千載集)
2 大井河うかべる舟のかがり火に小倉の山は名のみなりけり
(業平朝臣 後撰集)
3 大井河流れて落つるもみじかなさそふは峯のあらしのみかは
(道因法師 千載集)
4 大井河川辺の松にこととはんかかる御幸やありしむかしも
(紀貫之 拾遺集)
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《 5・お勧め情報 》
今回は書籍です。かなり古いのですが、三島由紀夫の「金閣寺」。
嵐山については少ししか書かれていませんが、おもしろく読んだ
記憶があります。
尚、建物としての金閣寺は室町時代のものですから、西行とは
関係ありません。
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《 6・エピソード 》
「立って半畳、寝て1畳」は、どなたの言葉だったでしょうか。
人間の本質を言い当てて妙だと、感じいったものでした。
人間ってそれ以上でもなく、それ以下でもないのですね。誰だって
人間としては、他の全ての人々と同等なのですね。
西行の歌には「哀れ・・」という言葉の入った歌がたくさんあります。
読むたびに「哀れ・・」とは何だろうと、考え、つまづいたものでした。
西行のいう「あはれ」は結局は一つひとつの事象に対して言ってはいても、
とても包括的な、人間の存在そのものに対しての思いがあるのだろうな、
ということに思い至りました。
でも、それだけでない事は確実なのでしょう。
私は「哀れ・・」という言葉から、むしろ、エネルギーを受ける思いが
するのです。「あなたの能動性とか可能性をためしているのですよ」
というふうに励まされていると、一方的に解釈するのです。変ですね。
もちろん「哀れ」ということばが、現在通用している「哀れ」の意味とは
大きく異なっていることを知った上でですから、そのように思うのかも
しれません。
前号で校正ミスをいくつか犯しました。5箇所ほどあります。
決定的なものをひとつ。
《5・お勧め情報》の「法綸」は「法輪」が正しいです。訂正します。
他に関連歌の「白川天皇」は「白河天皇」が正確です。慣用的に
「白川天皇」と表記しますので、必ずしも間違いではないのですが、
やはり正確な表記をするべきでした。
御指摘いただいた方々、感謝いたします。今後もお気軽にご連絡
していただけると嬉しい事です。