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■■ 西行の京師(さいぎょうのけいし) ■■
vol.04(隔週発行)
2002年5月27日号
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メールマガジン「 西行の京師」ご購読ありがとうございます。
自信もないままにやり始めたこのマガジンも今号で4号目と
なりました。
3号までに掲載していた挨拶文と西行年表を今号から省略
いたします。短くなった分、何かしら考えて目次に追加したいと
思います。
今後も手抜きをせずに、より充実した密度の濃いものを
目指したいと思います。変わりませず、お付き合いの程、よろしく
お願いいたします。
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■ 西行の京師 第4回 ■
目次 1 今号の歌
2 所在地情報
3 関連歌のご紹介
4 お勧め情報
5 エピソード
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《 1・今号の歌 》
《 歌 》
1 氷わる筏のさをのたゆるればもちやこさましほつの山越
(94P 冬歌)
2 よもすがら嵐の山は風さえて大井のよどに氷をぞしく
(102P 冬歌)
今号も詞書がありません。困りました。仕方がありませんので、
補筆事項で保津川と渡月橋のことを少し記述してみます。
(1)の歌の解釈
筏を下すために、保津川に張りつめた氷を棹で割るのも疲れる
ことであるから、いっそ保津の山越えの道を通って持って
行ったらどうだろうか。
たゆる=おっくうである・・・という意味
もちやこさまし=持って越したらよいであろうか・・・という意味
(新潮日本古典集成より引用)
尚、「氷筏をとづといふことを」という詞書がついています。
(2)の歌の解釈
夜を通して嵐山には冬の冷たい風が吹き荒れている。この風が
大井川の水を凍らせていることだろう。
−−補筆事項ーー
1 ほつ(保津)
現在の自治体名としては、京都府亀岡市保津町
を指します。山陰本線、普通列車で京都駅から
保津峡駅まで約25分、亀岡駅まで約30分です。
2 保津川
丹波高原に源を発して、亀岡市から京都市の西部を
流れる川。この川は大山崎町と八幡市域で宇治川及び
木津川と合流して、淀川と名称を変えて大阪湾に注いで
います。
この内、保津川とは亀岡市から京都市嵐山までの
約16キロメーターを指します。
1606年に角倉了以が幕府の許可を得て開削しました。
大変困難な事業であったということが「都名所図会」に
記述されています。
保津峡は渓谷美で有名です。
3 川の氷結について
現在とは違って西行の時代は水の流れている川も
氷結したのでしようか。信じられない気もしますが、
事実なのでしょう。
そういえば、20年以上も前は、自宅の屋内にある
水道栓が凍り付いて動かなかったことは、一冬に一度は
あったものです。屋外の水道管が破裂しないように、
気を配ったものでした。ところが近年は、そういう配慮は
まったく必要ありません。温暖化のスピードは、近年に
なって加速していることが実感されます。
4 渡月橋について
平安時代初期に法輪寺の道昌僧正が架けたのが最初だ
そうです。法輪寺橋と呼ばれていたとのことです。
亀山上皇が「渡月橋」と命名してからこの橋名になりました。
橋の位置は、今の橋より上流の井堰のあたりだったようですが、
角倉了以が現在地に架け替えたということです。
現在の渡月橋は昭和9年に架けられました。長さ115.5
メートル、幅11メートル。昭和50年に歩道をつけ、
ヒノキ製の欄干にと改修されました。
(京の大橋こはし 京都新聞社刊より引用)
空仁法師との贈答歌にもあるように、西行は筏でこの川を
渡ったようです。洪水などで、たまたま橋が無くなって
いたのでしょうか?
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《 2・所在地情報 》
◎ 嵐山 (あらしやま)
交通 京都駅からJR嵯峨嵐山駅下車。
市バス、京都バス嵐山公園下車。
四条大宮から京福電鉄嵐山駅下車。
阪急、桂駅乗り換え嵐山駅下車。
概要 京都有数の観光地。山の名称としての「嵐山」は大堰川
右岸の山を指し西京区。大堰川にかかる渡月橋は右京区。
古来からたくさんの歌に詠まれてきました。
(この所在地情報は、これまでのすべての号と重複しています)
下は嵐山、嵯峨野の写真です。
http://isweb41.infoseek.co.jp/novel/kazu02aa/ara01.html
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《 3・関連歌のご紹介 》
1 ほづがはにまがふみぎはのあやめぐさ月まつ宵はみじかからなん
(藤原為頼 為頼集)
2 大井河かがりさし行く鵜飼舟いく瀬に夏の夜を明かすらむ
(藤原俊成 新古今集)
3 散りかかる紅葉流れぬ大井河いづれゐぜきの水のしがらみ
(藤原経信 新古今集)
4 みなかみに紅葉流れて大井川むらごに見ゆる滝の白糸
(堀川右大臣「藤原頼宗」 後拾遺集)
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《 4・お勧め情報 》
今回はトロッコ列車です。京都近辺にお住まいの方はぜひ一度、
ご利用してみてください。嵯峨から亀岡までの観光路線です。
片道7.3キロメーターですが、保津峡の渓谷美が楽しめます。
トロッコ列車のページは下にあります。亀岡まではトロッコ列車で
行き、亀岡からは保津川下りを楽しんでいる方が多いようです。
http://www.sagano-kanko.co.jp/
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お知らせ
ホームページに掲示板を設置いたしました。話題はどういうこと
でも結構ですので、書きこんでいただけますとうれしいことです。
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《 5・エピソード 》
今回で一応は西京区の歌を終わります。次号から大井川の左岸に移ります。
右京区です。小倉山から嵯峨野を取り上げます。それがすんだら一転して
南に回って鳥羽、伏見、それから東山を北上してみようと思います。
西京区には大原野に、西行が落飾したお寺であると寺伝でいう「勝持寺」
があります。このお寺に触れないわけにはいかないのですが、このお寺の
名称の詠みこまれた歌はありません。せめて、このお寺のある小塩山の
歌があると取り上げるのですが・・・。小塩山は歌枕です。
戸無瀬の滝もそうですが、小塩山の歌が無いのも西行の不思議です。散逸、
あるいは未発見の西行歌がたくさんあるようですから、戸無瀬の滝も小塩山
も歌われているのかもしれませんね。
私は法輪寺の少し南の「西光院」あたりが西行落飾のお寺として、自然に
思えます。桜元庵と号していたそうです。西行桜がありました。ここには
鎌倉時代の作といわれる横座りの西行像があります。
西光院の画像は二枚だけ下にあります。
http://isweb41.infoseek.co.jp/novel/kazu02aa/ss19.html
「都名所図会」では、南区にあった「西行寺」も西行落飾のお寺であると
寺伝が伝えていると記述しています。この寺は今はありません。でも、
西行が自分の寺を持っていながら、東山や嵯峨あたりに草庵を結ぶのも
なにかしら釈然としませんね。
でもまあ、どこで落飾しようとそんなことは問題ではないはずです。
はるかな昔に一人の歌人がいて、彼の歌が時空を超えて現在の我々に
少なからずの感銘を与えている、その事実だけでいいのでしよう。
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