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     ■■ 西行の京師(さいぎょうのけいし) ■■    

                      vol.06(隔週発行)
                      2002年6月24日号
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  メールマガジン「西行の京師」ご購読ありがとうございます。
  今号で六号目です。早いもので、創刊以来2ヶ月以上が経過しました。
  私の中で、終刊号までの道筋がまだ見えていないのですが、
  試行錯誤をくり返しながら、なんとか最後まで続けて発行することが
  責務とも思います。勉強しながら続けます。
  今後ともよろしくお願いいたします。 
  
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     ■ 西行の京師  第6回 ■

   目次  1 今号の歌と詞書
        2 補筆事項       
        3 所在地情報
        4 関連歌のご紹介
        5 お勧め情報
        6 エピソード

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   《 1・今号の歌と詞書 》

  《 歌 》

   1  をじか鳴く小倉の山の裾ちかみただひとりすむ我が心かな
                      (68P 秋歌)
   2  をぐら山麓に秋の色はあれや梢のにしき風にたたれて
            (89P 秋歌)

  《詞書》

  ○ 小倉の麓に住み侍りけるに、鹿の鳴きけるを聞きて
                      (68P)
    この詞書の次に(1)の歌が続いています。
  
  ○ 嵯峨に住みける頃、となりの坊に申すべきことありてま
    かりけるに、道もなく葎のしげりければ
                  (190P)
    この詞書の次に以下の歌があります。
   「立ちよりて隣とふべき垣にそひて隙なくはへる八重葎かな」

  ○ 嵯峨に住みけるに、道を隔てて坊の侍りけるより、梅の
    風にちりけるを           (20P)

    この詞書の次に以下の歌があります。
   「ぬしいかに風渡るとていとふらむよそにうれしき梅の匂を」

  (1)の歌の解釈

    鳴く、ひとり、心、という言葉を配することで、山里に住む人の
    寂寥感が伝わってきます。
    (をじか)とは雄の鹿です。わざと(を)をつけて(雄鹿)と限定
    することによって、対になる(雌鹿)を想起させます。
    雌鹿を求めて雄鹿が鳴いている・・・。その声が聞こえる小倉山の
  裾に住んでいるけれど、私の心は普通の家庭を捨てて、男であるという
    ことも捨てて、一人で生きることの覚悟に澄みきっているよ・・・
    ということでしょうか。「すむ」は「住む」と「澄む」を同時に
    表していて、それがこの歌を味わう時に、余情を感じさせます。
    歌に膨らみを持たせています。 

   (2)の歌の解釈 

    この歌は「秋の末に法輪寺にこもりてよめる」という詞書に続く
    六首の歌の中にあります。ということは、法輪寺から対岸の小倉山を
    見て詠った歌であるはずです。法輪寺からは小倉山の裾までは現在は
    見えません。当時も見えなかったはずです。
    単純な叙景歌なのでしょう。法輪寺から見る小倉山の紅葉は強い風に
    打たれて散り始めているが、麓の方はまだ紅葉の盛りだろうか・・・
    というほどの意味だと解釈いたします。
   (1)の歌は小倉に住んで、(2)の歌は法輪寺に住んでのものです。

   ○ 20Pと190Pの詞書について

    この二つの詞書は嵯峨の草庵に住んでいた事を明示しています。
    西行の何歳の頃のことかは推定するしかありません。
    20Pは春歌、190Pは雑歌の中のものですが、両者が同時期に
    詠まれたものかどうかもわかりません。窪田章一郎氏は「西行の研究」
    の中で、出家後間もない頃の歌だろうと推定しています。
    尚、68P詞書の「小倉の麓」と「嵯峨」が同一場所であるかどうかも
    はっきりとわかりません。

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    《 2・補筆事項 》

   1 嵯峨・嵯峨野

    東は太秦、西は小倉山、北は上嵯峨の山麓、南は大井川(桂川)
    を境とする平坦な野。往古は葛野川(現桂川)の溢水による
    沼沢地で、未墾地が大半を占めていたが、秦氏一族が川を改修し、
    罧原堤(ふしはらつつみ)の完成によって田野の開拓が進み、
    肥沃な地となった。「三代実録」882年12月条には平安遷都後は
    禁野とされて、天皇、貴族はここで遊猟し、若菜を摘んで遊楽を
    した、とある。
    嵯峨天皇の嵯峨院(現大覚寺)、後嵯峨上皇の亀山殿(現天竜寺)、
    檀林皇后の檀林寺などをはじめ、兼明親王の雄蔵殿(おぐらどの)や
    歌人藤原定家の山荘など、貴神の邸館や大寺が営まれ、文学の舞台
    ともなった。        
              (以上、平凡社刊「京都市の地名」より引用)
      
   2 小倉山
    
    大井川(桂川)の北岸に位置し、標高283.7メートル。南岸の嵐山
    と相対する。東麓には嵯峨野が広がり、東北麓には化野(あだしの)
    がある。雄蔵、小椋とも記される。樹木の繁茂して暗いことが名の
    起こりという。     
              (以上、平凡社刊「京都市の地名」より引用)

     前回5号の「小倉」の補足としてしたためました。
     尚、嵯峨にある神社・仏閣・名所の一部を記述します。

  ○ 西行以前
    清凉寺(嵯峨釈迦堂)・大覚寺・遍照寺・二尊院・化野念仏寺・
    野宮神社・広沢の池・その他

  ○ 西行以後
    大河内山荘・鹿王院・天竜寺・臨川寺・常寂光寺・祗王寺(往生院跡)・
    寂庵・直指庵・愛宕念仏寺・滝口寺・その他

  ○ 西行と同時期(?)
    車折神社・厭離庵(定家山荘)・西行井戸・歌詰橋(西行関係の史跡)

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  《 3・所在地情報 》

  1 嵯峨・嵯峨野・小倉

     京福電鉄 嵐山線「嵐山」下車すぐ
     JR 山陰本線 「嵯峨嵐山」下車 徒歩約15分
     阪急電車 嵐山線「嵐山」下車 徒歩15分
     市バス 11、28、93系統、「嵐山天竜寺前」下車すぐ
     京都バス 61、62、63、71、72、73系統「嵐山天竜寺前」下車すぐ

  ○ 嵯峨といっても広いので、ここでは天竜寺前といたしました。 

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  《 4・関連歌のご紹介 》

 1  忍ばれんものともなしに小倉山軒端の松ぞ馴れて久しき
                 (藤原定家 拾遺愚草)

 2  夕づくよ小倉の山になく鹿のこゑのうちにや秋はくるらん
                 (紀貫之 古今集)

 3  小倉山みねたちならし鳴く鹿のへにけん秋を知る人ぞなき
                 (紀貫之 古今集)

 4  おぼろけの色とや人の思ふらん小倉の山をてらすもみぢ葉
                 (道命法師 千載集)

  注 3の貫之の歌について

    この歌は万葉集巻八の舒明天皇の歌
   「夕されば小倉の山に鳴く鹿は今夜は鳴かず寝ねにけらしも」
    を参考にして詠まれた歌とのことです。奈良にも小倉山(小椋山)
    があって、3の歌は奈良の歌ですが、後代、しばしば京都の小倉山の
    歌として解釈されたようです。
    尚、2の歌は詞書に「・・・大井にて詠める」とありますので、
    京都の小倉山であることは確実です。
 
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  《 5・お勧め情報 》

  京都観光一日乗車券。何度でも乗降できますので、バス利用の場合は
  お勧めします。詳しくは京都市交通局のページをご覧下さい。

  http://www.city.kyoto.jp/kotsu/ticket/ticket.htm#1-2dayfree
  
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 《 6・エピソード 》

 岩波文庫「定家八代抄」に以下の歌が収められています。
  
  「夜をこめて鳥の空音ははかるともよに逢坂の関は許さじ」

 「源氏物語」とならび称される「枕草子」を著した清少納言の歌です。
 百人一首にも採られていて、第62番です。清少納言は生没年未詳ですが、
 平安の王朝華やかかりし頃の藤原道長の時代の人です。
 965年頃の生まれのようです。 
 この歌をはじめて読んで、とても驚いたことを覚えています。
 というのは、古代中国の「史記」にある孟嘗君の「鷄鳴狗盗(けいめいくとう)」
 のエピソードから材を得た歌であることが明白だったからです。
 ちなみに「四面楚歌」「背水の陣」「鳴かず飛ばず」など、現在も使われている
 言葉は「史記」が原典です。
 
 また、藤原定家の「明月記」の冒頭に以下の言葉があります。
 「世上乱逆追討耳に満つといへども、之を注せず、紅旗征戎
 (こうきせいじゅう)吾が事にあらず」
 上記は「明月記」では定家19歳の時の言葉とあります。
 ドナルド・キーンの「百代の過客」では定家70歳頃に、上の言葉を
 19歳頃のものとして書きこんだことが説明されています。
 そして中国の詩人「白居易」の作品の一行(紅旗征戎吾が事にあらず)
 から引用したものであることも付記されています。「白居易」とは
 「白楽天」のことです。 

 どちらにしても、はるか昔に活躍した人達が、すでにこんな漢籍に
 通暁していたことに驚きます。快いショックです。
 みんな勉強していたのですね。西行も白楽天から影響を受けている
 ようです。「白氏文集」を読んでいたということですね。
 
 私も酒ばかり飲んでいないで、少しは勉強しなくてはならないな、
 と思いはするのですが・・・。
 関係ないですが、杜甫よりも李白が好きなのは、単純に私が呑み助
 だという理由だけからのようです。

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