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    ■■ 西行の京師(さいぎょうのけいし) ■■    

                            vol.09(隔週発行)
                            2002年8月05日号
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  メールマガジン「西行の京師」ご購読ありがとうございます。
  暑さの盛りです。このマガジンを読んでいただいている皆様に、
  暑中お見舞いのご挨拶を申し上げます。
  一年に一度の夏ですし、それなりに楽しんでいただきたいという
  思いもあります。しかし私自身がこの暑さに閉口しているのも事実です。

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     ■ 西行の京師  第9回 ■

   目次  1 今号の歌と詞書
        2 補筆事項
        3 所在地情報
        4 関連歌のご紹介
        5 お勧め情報
        6 エピソード

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 《 1・今号の歌 》

  《 歌 》

 1 おぼつかな春の日數のふるままに嵯峨野の雪は消えやしぬらむ
                    (15P 春歌)
 
 2 誰とてもとまるべきかはあだし野の草の葉ごとにすがる白露
                    (213P 哀傷歌) 

  《 詞書 》

 ○ 嵯峨にまかりたるけるに、雪ふかかりけるを見おきて出
   でしことなど申し遣はすとて    (14P 春歌)

 この詞書の次に(1)の歌が続いています。

 「(1)の歌の解釈」及び詞書について
  
  この歌は一読して、わかり難さがありました。紹介した詞書に続く歌です。
  詞書とともに何度も読んでみると理解できてきたのですが、嵯峨野に住んで
  詠った歌ではありません。他の場所から嵯峨野に出かけて行って、雪が
  とても積もっている状態を見て、そして帰って来たというのが詞書の
  意味するところでしょう。静忍法師を訪ねて行ったけど、不在で逢えなかった
  のでしょう。

  (1)の歌は詞書にある嵯峨野に行った当日からある程度の時間的な経過を
  経て、他の場所で詠われたものであると思います。そうでないと「おぼつかな」
  という言葉は出てきません。「おぼつかな」という言葉は明白でない、
  はっきりしないというほどの意味ですから、ここでは以前に行った時の
  嵯峨野には雪が深かったけれども、春の日の日数を経て、あの嵯峨野の雪は
  消えてしまっただろうか・・・気になることだ・・・。
  そういう意味の問いかけを静忍法師にしている歌であると思います。

  「ふるままに」は「春の日數」にかかっています。雪が降る・・・にかけるのは、
  この歌の場合は少しく説得力がないような気がします。ただし「降る」は「雪」
  の縁語です。
  「しぬらむ」は初句の「おぼつかな」に照応していて、どうかなー、
  わからないなー、という、明確に事物の様子がわからない事を表しています。

  尚、この歌は詞書に「・・・申し遣はすとて」とあるように、静忍法師に
  贈った歌です。返しとして下の歌があります。

  「立ち歸り君やとひくと待つほどにまだ消えやらず野邊のあわ雪」
                     「16P 静忍法師」

  西行と静忍法師との、なごやかな関係性がしのばれます。
  

 「(2)の歌の解釈」 

 この歌は異本山家集にある歌です。続古今集にも採録されています。
 人生の無常を詠みこんだ歌です。歌の意味は「誰であっても生命持つ存在で
 あり、生命というのはあまりにも短く、それゆえにこそ、むなしく、はかなく、
 悲しいものなのだ。まるで、化野の野辺にひっそりと生えている草の葉に、
 一瞬だけとどまっている水滴のように・・・」ということでしょうか。
 当然に違った解釈も成立するはずです。

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   《 2・補筆事項 》

 1 静忍法師
    生没年、伝未詳です。嵯峨野に庵を構えていたのでしょう。
    西行との親密な交流がうかがえます。

 2 化野(あだしの)
    化野の「あだし」とは、人生の無常をさし(はかないなぁ・かなしいなぁ・
    せつないなぁ)というほどの意味のようです。そういう意味を含んだ「野」
    と言う事で、「あだしの」という固有の土地をさす名詞になったようです。
    小倉山の北麓にあります。
    京都の西の葬送地です。東には鳥辺野、中ほどには蓮台野が京都の古来
    からの葬送地として著名です。
    この地は主に風葬された死者達で満ちていたようです。手厚く弔われた
    わけではなくて、多くは野ざらしの無縁仏としてのもののようです。
    いうなれば、死体置き場として機能していたのでしょう。近くの瀬戸川にも
    遺体は無造作に投げ捨てられていたものと思います。
    ですが風葬から土葬にと、次第にその形態を変えてきたということです。
  
 3 化野念仏寺
    寺伝では弘法大師(921年、醍醐天皇が空海に贈った諡号)が、化野の
    死者達の菩提を弔うために建立したもののようです。五智山如来寺と
    称していました。次いで法然が念仏道場として発展させて、寺の名も
    化野念仏寺と改称したと説明されています。
    1900年初頭に付近に散らばって埋まっていた小さな石塔や石仏を集めて、
    境内に並べたとのことです。石塔、石仏は合計8000体ほどの数になるそう
    です。室町時代に作られたものが大半を占めます。
    昭和30年代初め頃まで、それらは化野念仏寺の境内に雑然と置かれて
    いただけのようですが、現在は整然と並べられていて、
    「西院(さい)の河原」という名前が付けられています。

    現在8月23日と24日に石塔、石仏にローソクの火を灯す千灯供養が
    行われています。幻想的な光景だとは思いますが、私は行って見た
    ことがありません。行く場合は事前に申し込みが必要です。
        (2と3は主に化野念仏寺発行の説明パンフを参考にしました)

 4 露と煙
    人生の無常をいう時に「化野の露、鳥辺野の煙」とは、よく言われて
    いたようです。煙とはもちろん遺体焼却の時の煙です。

    兼好法師の「徒然草」第7段にも以下の記述があります。

    「あだし野の露きゆる時なく、鳥部山の烟立ちさらでのみ住みはつる
     ならひならば、いかに物のあはれもなからむ。世は、定めなきこそ
     いみじけれ。」

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  《 3・所在地情報 》

  ◎ 化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)

  所在地   右京区嵯峨鳥居本化野町17
  電話    075-861-2221 075-881-2022
  交通    京都バス62.72.90系統 鳥居本下車 徒歩約5分
        市バスはありません。電車、バスなどで嵐山まで行って、それから
        歩いて行かれたら良いと思います。天竜寺から徒歩約20分程度です。
  概要    補筆事項を参照してください。
  拝観料   500円
  拝観時間  9:00〜16:30(3月から11月まで)
        9:00〜15:30(1月、2月、12月)
        9:00〜17:00(4・5・10・11月の土曜及び休日)
 千灯供養の
 予約方法   化野念仏寺にお問い合わせ願います。

   下のページに化野念仏寺の画像があります。ただし、「西院の河原」
   は写真撮影禁止ですので、参道の石段の画像一枚だけです。

    http://isweb41.infoseek.co.jp/novel/kazu02aa/ara07.html 

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  《 4・関連歌のご紹介 》

 1 いつまでと待つをばながき心とも嵯峨野の花のおくれぬるかな
                 (和泉式部 和泉式部集)
 
 2 嵯峨の山みゆき絶えにし芹川の千代の古道跡はありけり
                  (中納言行平 後撰集)

 3 くるるまも待つべき世かは仇し野の末葉の露に嵐たつ也
                 (式子内親王 新古今集)

 4 人の世は思へばなべてあだしののよもぎがもとのひとつ白露
                  (藤原良経 秋篠月清集)

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 作者紹介

 ○ 和泉式部(いずみしきぶ)
   生没年未詳。985年ほどの生まれ、1035年ほどの没年であるらしい。
   小式部内侍の母親。小式部内侍は産褥?のために若年で他界。
   和泉式部の情熱的で自由奔放な生き方は当然に波瀾に富んでいたが、
   女性の一つの生き様を体現していて見事と思います。
   家集に「和泉式部集」。日記に「和泉式部日記」があります。
   百人一首第56番に
   「あらざらむこの世のほかの思ひ出にいまひとたびの逢うこともがな」
   の歌があります。

 ○ 中納言行平
   在原行平(ありはらのゆきひら)のことです。
   生年818年、没年893年。平城天皇の皇子、阿保親王の子で在原業平の
   異母兄にあたります。百人一首第16番に
   「立ち分れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む」
   の歌があります。

 ○ 式子内親王(しょくしないしんのう・しきしないしんのう)
   1150年頃の生まれ。1201年没。後白河天皇の第三皇女。高倉天皇は異母兄。
   賀茂斎院となる。生涯独身。藤原定家とも親しく、謡曲「定家葛」は
   式子内親王と藤原定家との関係性を描いています。
   「定家葛」はまた、植物の名前にもあります。
   家集に「式子内親王集」。百人一首第89番に
   「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする」
   の歌があります。

 ○ 藤原良経(ふじわらのよしつね)
   1169年生。1206年没。藤原兼実の次男。慈円僧正は叔父。
   摂政太政大臣でしたが、病気にて38歳で急死しています。
   家集に「秋篠月清集」。百人一首第91番に「後京極摂政太政大臣」の名前で
   「きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣片敷きひとりかも寝む」
   の歌があります。
      
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  《 5・お勧め情報 》

 今回も右京区ではありませんが、京都を代表するイベント、五山の送り火の
 紹介です。下のページで詳しく説明されています。

 http://www.kyoto.isp.ntt-west.co.jp/wnn/kanko/okuribi/okuribi.html

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《 6・エピソード 》

のっけから変な書き出しですが、私には数々の失敗談があります。それを
語らせれば、いくらでも無尽蔵に・・・という感じです。
私の失敗談の多くは、ある特殊な事情が起因しているのですが、しかし、頭の
中のネジが一本抜けているのかもしれません。それなりの注意力は備わって
いるはずですが、それでもとんでもない勘違いなどをします。あるいは思いこみが
常軌を逸しているのかもしれません。

校正のミスもいつも犯します。
創刊号に校正ミスが多くて、それで、これはアカンと思って第2号からある方に
校正をお願いしています。今号の場合は、その方は屋久島登山中ですので、私の
一人での校正となります。おそらくは校正もれがあるはずですので、校正ミスに
ついてお気付きの方はご遠慮なくお知らせ下さいね。

さて京都。8月のイベントはなんといっても五山の送り火です。
精霊の送り火ですから、「大文字焼き」とは言いません。
ご紹介した上のサイトをご覧いただいてもご理解願えますが、この行事は
7月に行われる祇園祭とともに京都を代表するイベントです。
私はほぼ毎夏、愛媛県西宇和郡の生地に帰省していますので、送り火を見ることも
この10年ほどはありませんでした。今年は帰省せずに、送り火と大井川の灯篭流しを
見てみようと計画しています。

今号は試験的に《関連歌のご紹介》に記述した歌に合わせて、作者を簡単に紹介
いたしました。今後も続けるかどうかは未定です。
もともとマニアックなマガジンですので、歌の作者紹介などをしたらなおさら
マニアックになるのではないか・・・と危惧する気持ちもあります。
まあ、たかがマガジン、あんまり深く考えないで、発行を続けることを第一義に
したいと思います。

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