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     ■■ 西行の京師(さいぎょうのけいし) ■■    

                      vol.11(隔週発行)
                      2002年9月02日号
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   メールマガジン「西行の京師」ご購読ありがとうございます。
   前回の10号発行からすでに二週間が経過してしまいました。
   この二週間は少し忙しくて、早く過ぎた感じがします。
   京都は、このところ厳しい残暑の日々が続いています。
  
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     ■ 西行の京師  第11回 ■

   目次  1 今号の歌と詞書
        2 補筆事項       
        3 所在地情報
        4 関連歌のご紹介
        5 お勧め情報
        6 エピソード

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   《 1・今号の歌と詞書 》

   《 歌 》
                         (くイ)
 1 やどしもつ月の光の大澤はいかにいづこもひろ澤の池
                       (72P 秋歌)

 2  廣澤のみぎはにさけるかきつばたいく昔をかへだて來つらむ
             (273P 秋歌)
   《 詞書 》

  1 同じこころを遍照寺にて人々よみけるに
                    (72P 秋歌)
  2 大覚寺の、金岡がたてたる石をみて
                     (195P 雑歌)
    この詞書の次に下の歌があります。

   「庭の岩にめたつる人もなからましかどあるさまにたてしおかねば」

  3 大覺寺の瀧殿の石ども、閑院に移されて跡もなくなりたりと
    聞きて、見にまかりたりけるに、赤染が、今だにかかるとよみ
    けん折おもひ出でられて、あはれとおもほえければよみける
                      (195P 雑歌)

    この詞書の次に下の歌があります。
   「今だにもかかりといひし瀧つせのその折までは昔なりけむ」

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 (1)の歌の解釈
   この歌はいかにも誤植っぽい感じです。3句の「大澤は」という
   句切れ(?)と4句及び5句への関係性が不自然です。こころみに
   「新潮日本古典集成」にある歌を抜粋してみます。

   「宿しもつ 月の光の ををしさは いかにいへども 広沢の池」
   
   となっていて、岩波文庫版にある不自然さはここではありません。
   しかし、月の光がなぜ雄々しいのかという、別の不自然さが起こります。
   新潮版の歌の方がおそらくは間違いなのでしょう。そこで「大澤は」
   について「多さは・・」に掛けていると解釈してみました。すると水面に
   映っている月の光の煌煌とした輝きが浮かび上がってきました。そう解釈
   したら歌の意味が理解できてくるような気がします。
   でもまだ良くわかりません、「いかにいづこも・・」とは何を指している
   のでしょう。なんだか、私には「大澤は」の掛詞(それが事実として)
   もうまく機能していないし、「いかにいづこも」という句も、いかにも推敲
   不足という感じをさせます。なんだか恣意的で、読む人の内部に訴えてくる
   訴求力が弱いですね。新潮版の「いかにいへども・・・」に置き変えても、
   すっきりしないうらみが残ります。山家集を書写してきた人の誤写がある
   のではないかと思います。  

 (2)の歌の解釈 
   言葉通りの単純な解釈でいいと思います。
   広沢の池の水際に咲いている杜若の花は、どれほどの歳月を咲き続け、
   その歴史を見つめて、過ぎてきたのだろうか・・・
   ということなのでしょう。平明さもあり、余情もあり、リズム感もある
   歌ではないかと思います。

(1)の詞書について
   遍照寺にて歌会があったということです。西行は32歳頃に高野山に
   移りました。それまでの、出家してからの10年ほどの京都時代に、頻繁に
   親しい人達と歌会を催していたものと思います。
   遍照寺の場合と同様に、複数人でどこかに出かけて行っての歌会は
   合計30回ほどあります。このうち「人々よみけるに」と同じ詞書のある
   歌会は18回あります。23.28.38.44×2.54.72.90.93.98.103.145×2.
   216.219.248.260.270ページです。
   この歌会の多さからみても、西行は俗世間とは隔絶された位置にはいな
   かったということがいえるでしょう。少なくとも京都時代は「世を捨てる」
   ための過渡期といえそうです。尚、「人々」の個人名は不明です。
  
  (2)の詞書について
   金岡が大覚寺の作庭を担当していたのでしよう。でも「金岡の立てたる石」
   とはわかりません。名古曽の滝の石なのでしようか。
   詞書の次にある歌は、とりたてて言うほどの意味もない凡作と思います。

  (3)の詞書について
   名古曽の滝のことについての詞書です。西行の時代には、すでに名古曽の
   滝は無くなっていたことが分かります。赤染、閑院については補筆事項で
   したためます
   歌は下の「赤染衛門」の歌の本歌取りです。

  「あせにける今だにかかる滝つ瀬の早くぞ人の見るべかりける」 

   水量が少なくなっていることが歌からもわかります。

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   《 2・補筆事項 》

 1 宿しもつ
  字義通りです。内に宿しているということ、内に持っているということ。
  ここでは池の水面が月の光を取り込んで(宿して)輝いているということ。 

 2 大沢池
  大覚寺にある池。人造池。観月の名所として有名。
  詳しくは、お勧め情報をご覧願います。

 3 広沢池 
  大沢池の東方約1.5キロほどの地点にある人造池。池の周囲は約1キロです。
  画像は下にあります。この池は現在は養殖池になっていて、12月に
  水の入れ替えがされます。そのときに養殖していた鯉などを獲ります。
  京都の師走の風物詩となっています。
  池の北西に朝原山(遍照寺山)があって、もともとの遍照寺はその山の
  麓にありました。資料をひもとくと、とても大きなお寺であったことが
  分かります。もちろん西行の時代の遍照寺はこの時のものです。
  下は広沢の池の画像です。何度か池畔を歩いてみましたが、杜若は茂って
  いないようです。

  http://isweb41.infoseek.co.jp/novel/kazu02aa/ara10.html。 

 4 僧正遍照
   遍昭、遍正とも記します。816年生まれ、890年に75歳で没しています。
   俗名は良岑宗貞といいます。父は桓武天皇の子供で臣籍降下した
   良岑安世ですから、遍照にとって桓武天皇は祖父、平城天皇や
   嵯峨天皇は叔父にあたります。遍照寺と関係あるのかどうか、私には
   わかりません。遍照寺ができたのは遍照僧正死後100年も後のことです
   から直接の関係は当然にありません。
   百人一首第12番。

   「天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ」

   百人一首第21番の素性法師の父親です。
 
 5 大覚寺
  真言宗大覚寺派の総本山です。仁和寺と並び第一級の門跡寺院です。
  第50代桓武天皇の子で52代嵯峨天皇の離宮として嵯峨御所ともいわれ
  ました。嵯峨天皇は834年から842年まで、檀林皇后(橘嘉智子)とここで
  過ごしています。後にお寺となり、後宇多法皇はここで院政を行っています。
  また、1392年の南北朝の講和はこの寺で行われました。
  歴史的な意味で、嵯峨のお寺としてお勧めしたい所のひとつです。
  下は大覚寺のホームページ。その下は私の撮影画像です。

   http://www.daikakuji.or.jp/

   http://isweb41.infoseek.co.jp/novel/kazu02aa/ara09.html

 6 金岡
  下のページをご覧ください。
   
   http://isweb41.infoseek.co.jp/novel/kazu02aa/mei2.html

 7 赤染
  下のページをご覧下さい。

   http://isweb41.infoseek.co.jp/novel/kazu02aa/mei03.html

 8 名古曽の瀧
  大覚寺にあった滝。900年代終わり頃にはすでに水は枯渇していたらしい
  ことがわかります。現在は滝跡のみ残っています。

  「滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」
                   (藤原公任 千載集)
  「名こそ」は「名古曽」に掛けています。

 9 閑院
  現在の二条城の東あたりにあった藤原氏北家流の邸宅のこと。もともとは
  藤原冬嗣の私邸。後三条天皇、堀川天皇、高倉天皇などの里内裏として、
  臨時の皇居になっていました。たびたびの火災にあっています。
  1259年に放火のため焼亡してからは、再建されていません。

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  《 3・所在地情報 》

 ◎ 大覚寺(だいかくじ)

 所在地   右京区嵯峨大沢町4
 電話    075-871-0071
 交通    市バス 28.91系統 大覚寺前下車すぐ
       京都バス 61.71.81系統 大覚寺前下車すぐ
       JR嵯峨嵐山駅下車 徒歩15分程度
       京福電鉄嵯峨駅前駅及び嵐山駅下車 徒歩20分程度
       阪急電鉄嵐山駅下車 徒歩30分程度
 拝観料   500円
拝観時間   9:00〜17:00 


 ◎ 遍照寺(へんしょうじ)
  
 所在地  右京区嵯峨広沢西浦町14
 電話   075-861-0413
 交通   市バス11.91.93系統 広沢御所の内町下車5分程度
      京福電鉄嵐山線「車折駅」下車 徒歩約10分
 拝観料  無料
拝観時間  不明
 注意   場所は分かり難いので、必ずあらかじめ確認してから
      訪問してください。小さなお寺です。

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  《 4・関連歌のご紹介 》

 1 ひともとと思ひし花をおほさわの池のそこにもたれかうゑけん
                  (紀友則 古今集) 

 2 大沢の池の水草枯にけり長き夜すがら霜やおくらむ
                  (源実朝 金槐集)

 3 心には見ぬ昔こそうかびけれ月にながむる広沢の池
                 (藤原良経 秋篠月清集)

 4 いにしへの人は汀に影たえて月のみすめる広沢の池
                 (源三位頼政 新千載集)

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  《 5・お勧め情報 》

  大覚寺で仲秋の名月の頃に観月の宴があります。今年は19日から21日まで
  です。雨天中止の日があります。特別券500円が必要です。京都の読者の
  方で行かれるようでしたら、大覚寺にお問い合わせしてください。私も
  行ってみようかと思っています。
  以下、大覚寺の観月のページです。

  http://www.daikakuji.or.jp/gyoji/kangetu.htm

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  《 6・エピソード 》

 9月です。長月です。今年も三分のニが過ぎてしまいました。まさに
 「光陰矢の如し」です。このマガジンを発行してからでも、4箇月半が経過
 しました。月日の過ぎ行く早さには驚くばかりです。

 手探り状態で進めているのは相変わらずですが、このマガジンもこれまでに
 西行の歌22首プラス数首を取り上げてきたという事になります。
 私の知る限り京都市内の歌は71首、京都府下の歌が数首あります。
 一応、ご紹介可能な歌はすべてご紹介させていただきますが、何号までに
 なるのか今のところ分かりません。いずれにしても、後一年ほどかかる
 はずです。

 なんだか今号のエピソードの文章は、なかなか進まず苦慮しています。
 容赦のない暑さの影響が少し涼しくなって出てきたのか、それとも、たしなむ
 というレベルではない長年にわたる深酒の影響なのか、もともと頭の働きが
 にぶいのか。「脳みそ、からっぽ」という言葉を用いたいくらいです。
 ・・・と開き直って、納得できないままに送ってしまいます。

 まだまだ残暑の厳しい日々が続きます。ご自愛を願いあげます。

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