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     ■■ 西行の京師(さいぎょうのけいし) ■■    

                          vol.13(隔週発行)
                          2002年9月30日号

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  メールマガジン「西行の京師」ご購読ありがとうございます。
  本日で9月も終わりです。朝晩は肌寒くなりました。
  2002年度も余すところ3ヶ月しかありませんね。残りの3ヶ月を
  みなさん、それぞれに楽しまれていただきいものです。
  
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     ■ 西行の京師  第13回 ■

   目次  1 今号の歌と詞書
        2 補筆事項       
        3 所在地情報
        4 関連歌のご紹介
        5 お勧め情報
        6 エピソード

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   《 1・今号の歌と詞書 》

  《 歌 》

  1 いにしへにかはらぬ君が姿こそ今日はときはの形見なるらめ
                      (176P 雑歌)

  2 しばしこそ人めづつみにせかれけれはては涙やなる瀧の川
                    (151P 恋歌)

  《詞書》

  1 爲なり、ときはに堂供養しけるに、世をのがれて山寺に
    住み侍りける親しき人々まうできたりと聞きて、いひつ
    かわしける            (176P 雑歌)

    この詞書の次に(1)の歌があります。返しとして、爲業の下の
    歌があります。

   「色かへで獨のこれるときは木はいつをまつとか人の見るらむ」
                       (藤原爲業)
    
  2 爲忠がときはに爲業侍りけるに、西住・寂爲まかりて、
    太秦に籠りたりけるに、かくと申したりければ、まかり
    たりけり。有明と申す題をよみけるに
                    (264P 残集)

   この詞書の次に下の歌があります。
   「こよひこそ心のくまは知られぬれ入らで明けぬる月をながめて」


   他には「ときは」という言葉の入った歌は以下の通りです。

 1 雪つみて木も分かず咲く花なればときはの松も見えぬなりけり
                          (112P 旅歌)
  2 ときはなる松の緑も神さびて紅葉ぞ秋はあけの玉垣
                          (130P 旅歌)
  3 松風はいつもときはに身にしめどわきて寂しき夕ぐれの空
                          (170P 雑歌)
  4 ときはなる花もやあると吉野山おくなく入りてなほたづねみむ
                          (249P 聞書集)  
  5 ときはなるみ山に深く入りにしを花さきなばと思ひけるかな
                          (283P 補遺)   

 以上の5首については「ときは」という名詞は、京都の「常磐」という
 固有の土地を指す根拠が発見できません。「いつも緑の場所」という
  意味で「ときは」が用いられていますので、ここでは歌のご紹介だけに
 とどめて、個別の歌の解釈は割愛します。

  「常磐=ときわ」 《とこいわ》の約。
     (1)永久に変わらないこと。
     (2)一年中、葉の色が変わらないこと。
            (講談社 日本語大辞典より引用)
     「(約)は原文のままの表記です。(訳)ではありません。」 

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(1)の歌の解釈

 藤原爲業が常磐に新たに堂を建てたので、その堂の供養の儀式のために
 人々が集まりました。その時に西行は歌を贈ったということです。
 この時には西行は参加せず、歌を贈っただけです。歌の意味は
 「昔と変わらずにずっと常磐の邸にがんばっておられるあなたの
 お姿こそは、常磐の家に受け継がれている血脈をあらわしていて、
 それは、今日集まられた方々にとっても、うれしい形見になることで
 しょう。」というほどの意味です。

(2)の歌の解釈

 「人目がありますから、それが堤になって堰止まってはいます。しかし
 それも少しのことで、人を恋することの苦しさに、やがては鳴滝の川の
 ように涙が止めどなく流れてしまいます。」

(1)の詞書の解釈

 前述したように、爲業がお堂を建てた時に、親しい人達が集まったと
 いう事ですが、今日的な新築祝いの会合とは趣を異にしていると思います。
 年代は確定せず、寂超(1143年頃)、寂然(1155年頃)、寂念(1166年頃)
 の出家年代からみて、1155年から1166年までの間であることは確実でしょう。
 下は爲業の歌の解釈です。

 「常磐木の松のように衣の色も変わることなく、ひとり出家せず残っている
 自分は、一体いつを待って出家することかと、人々は見ていることでしょう。」
         (新潮日本古典集成より引用)
 
(2)の詞書の解釈

 この詞書も(1)と同様に年代が不明です、いずれにしても1166年までの
 ことです。「寂爲」という人物についてはどの資料にも説明がありません。
 書写した人のミスであると思います。窪田章一郎氏・目崎徳衛氏は寂爲を
 寂然としています。余談ですが、岩波文庫山家集には明白な誤りが数ヶ所
 あります。この「寂爲」表記もその一つでしょう。
 太秦に籠りたる・・・は、どのお寺に籠ったのかわかりません。
 当時の太秦には広隆寺及びその支院、安養寺、木島神社がありました。
 下は「こよひこそ・・・」の歌の意味です。

 「下句で題意に叶わせ、ともどもに月を眺めあかし、語りつづける喜びを
 託している。上句の「心のくま」は、山寺に生活している修行者としての人
 しれぬ心の奥という意で、孤独に徹しようとしていながらも、人懐かしい
 思いをいだいていることが、今宵ははっきりと知られるというのである。」
                (窪田章一郎 西行の研究より引用)  

  (参考 新潮日本古典集成 山家集・西行の研究・西行の思想史的研究)
                
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  《 2・補筆事項 》

 1 太秦
   京都市右京区にある地名。渡来系氏族である秦氏の本拠地。
   嵯峨の東南に位置します。

 2 広隆寺
   広隆寺は太秦の中央部に位置します。京都でもっとも古い寺院と言われます。
   古代は蜂岡寺と言って、推古天皇の603年条の日本書紀にこの寺のことが記述
   されています。秦氏の河勝の創建。聖徳太子とはとてもゆかりのあるお寺
   です。奈良の法隆寺、大阪の四天王寺などとともに聖徳太子建立の日本
   七大寺の一つといわれます。広隆寺縁起によれば、当初は現在地よりは少し
   東北よりに建てられていたそうです。
   このお寺の霊宝殿の国宝は一見に値します。ことに飛鳥時代の
   「弥勒菩薩半跏思惟像」は敬虔な気持ちを呼び覚ましてくれます。
   仏像は撮影厳禁です。下は広隆寺の画像です。
   
    http://isweb41.infoseek.co.jp/novel/kazu02aa/saigyo2/koryu1.html
 
 3 なる瀧の川
   右京区鳴滝の街中を流れる川です。御室川といいますが、鳴滝川とも
   いいます。細い川です。江戸時代中ごろの資料に洪水被害が多かった
   ことが記述されています。
   このあたりの特産品として、鳴滝大根と砥石があったそうです。砥石の
   採集権は刀剣を扱っていた本阿弥家に与えられていました。
   鳴滝川から西にかけては古墳の多い所です。

   下は鳴滝川の画像です。

   http://isweb41.infoseek.co.jp/novel/kazu02aa/saigyo2/koryu5.html
   
 4 常磐御所
   前号の補筆事項(8)で触れた八条女院の常磐御所についてですが、
   女院はこの御所を「蓮華心院」と号する寺に改めたという事です。
   藤原定家は「明月記」建永元年7月16日条に蓮華心院に行ったことを
   記述しています。したがって「源光寺」で定家と八条女院が会っていた
   ことは、どうも信用できない気がします。
   蓮華心院は現在はありません。そのかわり「常磐古御所町」の地名が
   残っています。源光寺の近くです。
   この蓮華心院は仁和寺の一支院として記録にあります。仁和寺の寺域は
   常磐にまで及んでいたことが分かります。
          (補筆事項参考 平凡社 京都市の地名)

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  《 3・所在地情報 》

  ◎  広隆寺(こうりゅうじ)

 所在地  右京区太秦蜂岡町32
 電話   075-861-1461
 交通   京福電鉄嵐山線太秦駅下車 徒歩5分程度
      京都市バス11番 右京区総合庁舎前下車すぐ
      京都バス71.72.73.75系統 広隆寺前下車すぐ
拝観料   無料。 ただし霊宝殿は700円
拝観時間  9:00〜17:00  12月から2月まで16:30まで

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  《 4・関連歌のご紹介 》

 1 郭公おのが常磐の森の影同じ五月のころもかはらず
                   (藤原定家 拾遺愚草)

 2 時雨のあめ染めかねてけり山城の常磐の杜の槇の下葉は
                   (能因法師 新古今集)

 3 さほ姫のそめしみどりやふかからむときはの杜は猶もみぢせで
                  (後鳥羽院 後鳥羽院集)

 4 もみぢせぬ常磐の山は吹く風の音にや秋をきき渡るらむ
                    (紀 淑望 古今集)
 
 5 なる滝の岩間の氷いかならむ春の初風よはにふく也
                    (曾禰好忠 曾丹集)

 6 鳴滝や西の河瀬に御契せむ岩こす波も秋や近きと
                   (藤原俊成 長秋詠藻)

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  《 5・お勧め情報 》

  太秦にある映画村のページです。実にさまざまな邦画作品が
  ここで作られました。映画ファン必見のページでしょうか。

   http://www.toei-group.co.jp/eigamura/index.htm

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  《 6・エピソード 》

唐突に変な事を思い出したりします。私の鬢には白いものが混じって
久しく、自然に抜け落ちた一本のそれを見て、そう言えば子供の頃に
生地では二頭のヤギを飼っていて、中学時代のひと頃、ヤギの乳を絞って
沸かして飲んでから登校していたなーなどと、絶えて久しく思い出すこと
さえなかったことが懐かしく脳裏に浮かんできます。白髪とヤギの体毛の
色という共通項によるものでしょう。その後、そのヤギはどうなったのか、
まったく覚えていません。在学中に死んで、その肉を私は食ったのか
どうか・・・記憶が無いのでおそらくは肉は食っていないのでしょうが、
今となってはそれも曖昧模糊としたままです。

折に触れ、こういう風に脈絡も無い事が浮かんできます。いや、まるっきり
脈絡がないとはいいきれないのですが、そういう風に過去の出来事などが
思い出されるのはあるいは危険な兆候なのかもしれません。

「としたかみかしらに雪を積もらせてふりにける身ぞあはれなりける」
                  (239P 聞書集)

この歌にある「あはれ」は今日的な意味合いでの用法ではなくして、むしろ、
自身の来し方を誇るような、自賛するような響きがありますね。
もちろん、残されている時間が短くなったことによる寂寥感も、当然に包摂
されているはずです。

9月21日は大覚寺の月見の宴に行ってみました。たくさんの人達が参集して
いて、その多さには驚きでしたが、目的の月は残念ながら厚い雲の衣を
着ていました。それもまた良しです。「管弦の調べ」になるのでしょうが、
和風の琴などではなくして、フルートとピアノの演奏がありました。
また、嵯峨野芸術短期大学の学生達による屋外展示作品が多く展示されて
いて、それぞれに「月」をモチーフにしていることが感じられて、楽しく
見て回りました。

京都の10月は京都三大祭の一つである時代祭があります。このお祭りに
ついては次回に若干触れる事にします。

次回14号から伏見区に移ります。右京区の詞書はまだたくさんあるの
ですが、歌がありません。詞書だけの号を出すわけにはいきませんので、
迷いながらの選択です。右京区の仁和寺や法金剛院の詞書については
いずれ触れることにします。

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