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     ■■ 西行の京師(さいぎょうのけいし) ■■    

                      vol.16(隔週発行)
                      2002年11月11日号
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  メールマガジン「西行の京師」ご購読ありがとうございます。
  暦の上では立冬を過ぎました。京都市内では晩秋という感じですが、
  山間部では11月5日に初雪も降りました。最低気温も2℃ほどに下がった
  日もあります。これから1日ごとに寒さが加わります。ことに寒さ厳しい
  地方にお住まいの方々は、充分な防寒の対策をと、願いあげます。
  
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     ■ 西行の京師  第16回 ■

   目次  1 今号の歌と詞書
        2 補筆事項       
        3 所在地情報
        4 関連歌のご紹介
        5 お勧め情報
        6 エピソード

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  《 1・今号の歌と詞書 》

  《 歌 》

 1 ふしみ過ぎぬをかのやに猶とどまらじ日野まで行きて駒こころみむ
                      (198P 雑歌)

  2  まさきわる飛騨のたくみや出でぬらむ村雨すぎぬかさどりの山
                      (166P 雑歌)

 (イ)分けて入る袖にあはれをかけよとて露けき庭に虫さへぞ鳴く
                      (66P 秋歌)

 (ロ)たのもしな雪を見るにぞ知られぬるつもる思ひのふりにけるとは 
                      (257P 聞書集)

  《 詞書 》

 (イ)「年ごろ申されたる人の、伏見に住むと聞きて尋ねまかりたり
     けるに、庭の道も見えず繁りて虫なきければ」

 (ロ)「醍醐に東安寺と申して、理性坊の法眼の房にまかりたりけるに、
     にはかにれいならぬことありて、大事なりければ、同行に侍り
     ける上人たちまで來あひたりけるに、雪のふかく降りたりける
     を見て、こころに思ふことありてよみける

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 (1)の歌の解釈

   この歌は山家集中でもっとも初期の歌群の中の一首と目されています。
   もちろん西行落飾前の鳥羽院の北面の武士の時代のものであると解釈
   していいでしょう。第14回で触れた「君が住むやどのつぼには・・・」
   の歌と同時代の歌であると思います。歌には技巧もなにもありません。
   ただ自分の行為をそのまま口語体の歌にしてしまったという子供の
   作文の域を出ません。そういう幼さがあります。ですが視点を変えて
   好意的に見るなら、あえて人生の懊悩に触れず、その分だけ若者らしく
   あると思います。粗野でありながら純な歌いぶりが感じられます。
   動的で軽快で純朴です。
   「伏見・をかのや・日野」は地名です。「駒」は馬のこと。
   
  「伏見を過ぎた。をかのやにやってきた。でも、もう少し日野まで馬を
   走らせてみようか・・・」というほどの意味です。

 (2)の歌の解釈

  飛騨のたくみ 
       飛騨地方に住んでいた木工の職人のことです。  
  村雨(むらさめ)
       驟雨のこと。通り雨。にわか雨。
  かさどりの山 
       笠取山のことです。現在は宇治市になっていて、醍醐山東南の
       山をさします。西行の時代は醍醐山一帯を笠取山と呼んで
       いました。上醍醐寺のある醍醐山の別名は笠取山といいます。

  「笠取山で柾木をとる鄙の大工は、村雨に逢ったものの、その村雨も通り
   過ぎ、山の名のごとく笠をとって山を出たことだろうか」
                (新潮古典集成山家集より抜粋)

  この歌も検討するほどのこともない歌かもしれません。西行固有の心象
  風景の投影がありません。歌に感応して読者の精神が立ちあがってくる
  という作用は期待できません。
  距離を置いて、客観的事物として対象を捉えて、それをそのまま歌に
  しています。「出でぬらむ」だけが作者の思いですが、できるだけ作者の
  感覚を出さないように意識した歌でもあるのでしよう。でも、それでは
  単に、現象を記述しただけの記録であって、歌としてはスカスカで読んで
  味わうほどの内実を持ち得ません。多くの雑歌の宿命なのでしょう。と、
  以上のような見方も成立します。
  ここでは山家集にある全首の中で、雑歌の意味や位置などを考えてみる
  ことによって、雑歌のひとつひとつが、また違った表情を見せてくれる
  はずと思います。奥の深さは望めないですが、しかし平明な歌です。
 
 (イ)の歌と詞書の解釈

  詞書は伏見に住んでいた知人を尋ねて行ったという事ですが、ここでは
  知人は誰を指しているかわかりません。繁茂している草、秋の虫、露の庭
  などの情景がくっきりと浮かび、いかにも秋のわびしい住まいを描出して
  います。その絵画的な情景表現があることによって、なんだかやるせない、
  物悲しい、という心象が際立ってきます。その心象表現こそが、この歌の
  本意なのでしょう。
  
  「道も見えぬほど茂っている草を分けつつ入ってゆくと、袖に露がふり
   かかる・・・。その、かかるではないが、あわれをかけよとでもいう
   ように、露がいっぱい置いた庭に虫までもが鳴くことだよ。」
                 (新潮日本古典集成山家集より抜粋)

 (ロ)の歌と詞書の解釈  

  この詞書は醍醐のものですが、東安寺というお寺のことがよくわかりま
  せん。窪田章一郎氏は「西行の研究」の中で、142Pに「醍醐寺の理性院の
  支院である東安寺」と明記しています。醍醐寺には1155年に堂42、塔4、
  鐘楼3、経蔵4、神社10、僧坊183があったという事ですから、東安寺が
  理性院に所属していた僧の支院(住居)であった可能性はあります。
      (上記、堂宇の数字は「京都府の歴史散歩(中)」より引用。)

  れいならぬこと=急病。重篤な病状を指します。
  同行に侍りける上人=西住上人のこと。真言僧として理性院に属して
  いました。 

  「醍醐寺の理性院の法眼の僧坊である東安寺に行っていた時のことです。
   突然に体調が悪くなって、死をも覚悟したものでした。仏法修行の
   同行の僧でもある西住上人もかけつけてくれました。たまたま雪が
   降っていたので、心に思うことを贈答の歌にしました」

  以上は詞書の意味です。下は歌の意味です。

  「臨終を覚悟した西行が、それまで積もっていた雑念が古いものとなり、
   清浄な雪となって降り積もったのだと、雪を見て思い知ったというので
   ある。そしてそれをみずから「たのもしな」と歌っている。」
               (窪田章一郎氏「西行の研究」から引用。)

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  《 2・補筆事項 》

 1 伏見稲荷大社

  この伏見稲荷大社も山家集に記述はありません。しかし西行は当然に
  知っていたはずですので、簡単に紹介しておきます。
  約4万社にものぼるという全国の稲荷社の総本社です。秦氏が711年に創建
  したとも言われますが、稲荷山そのものがご神体として崇敬の対象であり、
  山頂には古墳もありますから、711年より以前のものであるというのが定説
  のようです。秦氏より以前には紀氏がこの地に勢力を誇っていました。
  下は伏見稲荷大社の画像です。

    http://kazu02aa.hp.infoseek.co.jp/saigyo2/fucimi02.html

 2 岡屋

  宇治川東岸にある地名。宇治市木幡岡屋。1949年に架けられた隠元橋の
  東方に位置します。「岡屋の津」があって、賑わっていたそうですが、
  伏見城築城に際して巨椋池に堤防が築かれたため、港としての機能を喪失
  し、次第に衰退したということです。

 3 日野

  醍醐の南にある宇治市に南接する地名です。日野の地名も古く、平安遷都
  直後には皇室の遊猟地とされています。
  藤原北家流の家宗が土地の名を取って、始めて日野氏を称しました。822年の
  ことです。足利義政の正室の日野富子はこの日野氏の出自です。
  日野氏の氏寺の「法界寺」、親鸞の誕生地と言われる「日野誕生院」、
  阿波内侍の創建と伝えられる「一言寺」、方丈記を著した鴨長明の隠棲地
  などが付近にあります。

 4 醍醐寺

  寺伝によると874年に聖宝という僧が笠取山(醍醐山)の山頂に草庵を
  営んだことが起源とあります。当初は山頂にたくさんの堂宇が造られて
  いたそうですが、907年に醍醐天皇の勅願寺となったことから、寺勢は隆盛
  をきわめて、醍醐山の麓の方にもたくさんの伽藍が造られました。山頂を
  上醍醐、麓を下醍醐といいます。
  国宝の五重塔は応仁の兵火も免れて創建当初のままの偉容を誇っています。
  豊臣秀吉の醍醐の花見の場所としても有名です。
  下の画像は醍醐寺です。 

   http://kazu02aa.hp.infoseek.co.jp/saigyo2/yamasina01.htm

 5 まさき    
      
 「柾木=ニシキギ科の常緑低木。海岸地方に生え、庭木や生け垣とする。
  高さ4メートル」(大辞林より引用)
  ことば通りに解釈するなら、この「柾木」のことですが、笠取山は海とは遠く
  隔たっていますので、この「柾木」ではないと思います。柾目ということばが
  ありますし、それを強引にこじつけるなら、まっすぐに立っている木という
  ように解釈できなくもありませんが、しかし、よくわかりません。
  尚、89Pに「松にはふまさきのかづら・・・」という歌があります。これは
  蔓性の植物のテイカカズラのことです。
  この「まさきのかづら」と「まさき」は同一の植物ではないでしょう。
  同一の植物とするなら、どうして「わる」なのか説明がつきません。謎です。
  書写ミスのような気がします。ご存知の方はご教示願いあげます。

 6 飛騨の匠(ひだのたくみ)

  飛騨とは飛騨の国を指します。現在の岐阜県高山市あたりです。
  律令の法制下、公益に従事するために飛騨の国から来た木工の職人を
  いいます。建築の技能集団として有名です。
  いわゆる傭・調という年貢代わりに一年交代で駆り出されていました。平安京の
  内裏も飛騨の匠が中核となって造営されたことが記録されています。

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  《 3・所在地情報 》

 ◎ 伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)

   所在地 伏見区深草藪の内町68
   電話   075−641−7331
   交通   JR奈良線、稲荷駅下車約5分
        近鉄京都線、伏見稲荷駅下車約5分
        市バス南5号系統(京都駅発)伏見大社前下車約5分
  拝観料   自由拝観
  拝観時間  終日

◎ 醍醐寺(だいごじ)

   所在地   伏見区醍醐東大路町22
   電話    075−571−0002
   交通    京都市地下鉄、醍醐駅下車約10分
        市バス22.24.86系統(山科駅発)醍醐三宝院下車すぐ 
  拝観料   山内自由(特別室は600円)
        醍醐寺三宝院は600円
  拝観時間  6:00〜17:00
        醍醐寺三宝院は9:00〜17:00(11月から2月は16:00まで)

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  《 4・関連歌のご紹介 》

 1 むすびおく伏見の里の草枕とけでやみぬる恋にもあるかな
                   (藤原顕仲 千載集)
 
 2 逢ふことをさりともとのみ思ふかな伏見の里の名を頼みつつ
                   (藤原家道 千載集)

 3 明けぬるかころもで寒しすがはらや伏見の里の秋の初風
                  (藤原家隆 新古今集)
 
 4 雁の来る伏見の小田に夢覚めて寝ぬ夜の庵に月を見るかな
                    (慈円 新古今集)
 
 5 雨ふれど露ももらじを笠取の山はいかでかもみじそめけん
                   (在原元方 古今集)

 6 あめふれば笠取山のもみじばは行きかふ人の袖さへぞてる
                   (壬生忠岑 古今集)

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  《 5・お勧め情報 》

  伏見区とは関係ありません。今回は書物です。

  発行所  集英社    著者  三田誠広
   書名  夢将軍頼朝  価格  1900円プラス税

 平易な叙述の物語小説です。それなりに楽しく読むことができます。
 当時の時代を演出した枢要な人物のひとりとして西行も登場します。

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  《 6・エピソード 》

  「染めてけりもみじの色のくれないを
         しぐると見えしみ山べの里」 (88P秋歌)

 いよいよ紅葉のシーズンの到来です。京都市は東、西、北の三方を山に囲まれた
 盆地です。この地理的な条件が、紅葉の美しさを演出します。落葉樹が美しく紅葉
 するためには、適度な湿気、昼夜の寒暖差、充分な日照という三条件があげられる
 ようですが、京都はこの条件を比較的満たしているようです。
 とはいえ、地球の温暖化の影響で紅葉の最盛期は確実にずれ込んでいて、12月に
 入ってからさえも見頃の所があるようです。しかも、年ごとに紅葉の色具合が悪い
 という声もあります。

 西行法師もたくさんの紅葉の歌を残しています。山家集によると「錦・にしき」
 「紅・くれない」「紅葉」「もみじ」のことばのある歌は37首を数えます。

 「わがものと秋の梢を思ふかな小倉の里に家ゐせしより」(89P)

 のように、明らかに紅葉を詠った歌も入れると、もっと多いでしょう。
 まことに、いにしえの人々も紅葉を愛でてきたことがわかります。

 私の若い頃は紅葉などに全く関心はありませんでした。春には職場の人達と共に、
 爛漫の桜の下で一献傾けるということは何度もあったのですが、わざわざ紅葉を
 見に行ったという記憶はありません。今、思うと不思議なことです。
 現在は、春は春で、秋は秋で、その時々の季節の情趣を楽しんでいます。
 狂おしい感情をいやがうえにも高める爛漫の桜、そして、静謐のもとで深い諦念
 とか、ある悟りのようなものを感じさせる紅葉。それらの自然の見せる様相の
 たとえようもない神秘さ、荘厳さを、たまらなく愛しいものと知覚している現在
 の私がいます。
 なにも桜や紅葉に限ったものではなくして、最近は自然の景物にとても近しい
 ものを覚えます。その感覚は年齢を重ねたからなのでしょうか?。
 私はもうすぐ54歳になります。20歳頃には想像だにできなかった高齢です。

 先回15号にはミスがたくさんありました。

 1 (2)と(3)の歌の解釈
  (以上に関連して〜補筆事項で)の間の空き行は不要。
 2 補筆事項 4
   1156年に鳥上天皇が→1156年に鳥羽上皇が。上天を羽上に訂正。
 3 補筆事項 4 岩波文庫→補筆事項 5 岩波文庫。4を5に訂正。
 4 同     伊藤嘉夫 校注→伊藤嘉夫 校註。注を註に訂正。
 5 同    31年に「新訂山集」→31年に「新訂山家集」家の挿入。

 以上、お詫びして訂正します。慢心があったのかも知れません。
 気をつけたいと思います。

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