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■■ 西行の京師(さいぎょうのけいし) ■■
vol.18(隔週発行)
2002年12月09日号
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メールマガジン「西行の京師」ご購読ありがとうございます。
いよいよ師走です。師も走るせわしない年の暮れです。忘年会、クリスマス、
年越し準備と、どなたにも日々はあわただしく過ぎていくことと思います。
一年の最後の月の充実をと願い上げます。
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■ 西行の京師 第18回 ■
目次 1 今号の歌と詞書
2 補筆事項
3 所在地情報
4 関連歌のご紹介
5 お勧め情報
6 エピソード
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《 1・今号の歌と詞書 》
《 歌 》
1 五月雨に水まさるらし宇治橋やくもでにかかる波のしら糸
(49P 夏歌)
イ しづむなる死出の山がはみなぎりて馬筏もやかなはざるらむ
(255P 聞書集)
(参考歌)
天の原朝日山より出づればや月の光の昼にまがへる
(80P 秋歌)
《 詞書 》
「武者のかぎり群れて死出の山こゆらむ。山だちと申すおそれは
あらじかしとこの世ならば頼もしくもや。宇治のいくさかとよ、馬
いかだとかやにてわたりたりけりと聞こえしこと思ひいでられて」
255Pのこの詞書の次に イ の歌があります。
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(1)の歌の解釈
新潮版は以下のようになっています。比較のために記述します。
「五月雨に 水まさるらし うち橋や 蜘蛛手にかかる 波の白糸」
「五月雨のために水かさがまさったらしい。うち橋の蜘蛛手に川の水が
当り、白糸をひいたごとくに白波をたてていることである」
うち橋=簡単に板をかけ渡し、取りはずせるようにした橋。宇治橋説もある。
蜘蛛手=蜘蛛の足のように四方八方に分れた橋、橋の梁や桁を受ける
ための交叉した支柱の両説ある。「白糸」は「蜘蛛」の縁語。
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
蜘蛛手のあるような橋であるなら、杭を打ち込んで板を渡した程度の
簡便な「うち橋」というものではなく、したがってここでは「宇治橋」と
解釈したいと思います。
(参考歌)の解釈
朝日山より出る月の光は明るくて、まるで昼の光と思えるほどだ・・・
というほどの意味です。歌は単純なものですが、遊び心を感じさせます。
でも、月の光を陽光と見まがうなどと表現するのは写実的でも実際的でも
なく、表現そのものに無理があると思います。だからこそ遊びともいえます。
朝日山には恵心僧都源信(942〜1017)の建立による恵心院があります。
この恵心院の本尊は弘法大師空海作と言われる大日如来です。
そういう事を考えあわせたら、恵心僧都や弘法大師、そして仏教なりが、
解脱や涅槃に向かって導いてくれる真理の光(月の光)は燦然と輝いていて、
その輝きは昼の光にもおとらないことだよ・・・というふうに解釈できます。
おそらくはこの解釈の方が西行がこの歌を詠んだ時の気持に近いでしょう。
歌自体に非常に重たいものを感じることができます。ですが、無理にこじ
つけたりしないで、歌は歌として自然な味わい方をしたいと思います。
この歌は宇治市にある朝日山と断定できません。羇旅歌ではなく秋歌として
編まれていますし、日本古典全書山家集でも新潮版の山家集でも宇治市の
朝日山の歌と明記されていますので、ここではそれに従います。
天の原=大空の意味。高天が原。広々とした場所をいう。
普通は「富士」「空」などにかかる枕詞。
朝日山=京都府宇治市。平等院の対岸にある山です。
初句が「天の原」歌を列記します。
1 天のはら月たけのぼる雲路をば分けても風の吹きはらはなむ
(78P 秋歌)
2 天の原おなじ岩戸を出づれども光ことなる秋の夜の月
(82P 秋歌)
3 天の原さゆるみそらは晴れながら涙ぞ月のくまになるらむ
(148P 恋歌)
4 あまのはら雲ふきはらふ風なくば出でてややまむ山のはの月
(226P 聞書集)
(イ)の歌と詞書の解釈
この詞書と歌は1180年5月の宇治川の戦いのことに触れてのものです。
後白河院の第二皇子である以仁王と源頼政は平氏に叛旗を翻して挙兵
しましたが、宇治川の戦いで敗死しました。この時の橋合戦については
「平家物語」巻八に詳述されています。
山だち=山賊のこと。
馬筏=馬を組んで筏のようにして、川を渡るという方法。
「武者が戦いのためにたくさん命を落としていきます。あの世で山賊には
ならないでしょうし、この世なら頼もしいばかりなのですが・・・。
宇治に戦があったという事です。馬を筏のように組んで、宇治川の流れを
渡ったということを聞き及んだのですが、そのことを思い出して・・・」
「馬筏を組んで早瀬を渡るという小ざかしいことをしても、死者がおぼれる
という死出の山川の流れの前では、なんの意味もなかろうに・・・」
上が詞書の解釈、下が歌の解釈です。
ここでは西行の痛烈な批判精神が顕在化しています。源頼政とは親しく歌を
詠みあった歌仲間でもあるのですが、頼政の壮絶な死に様については一言も
触れていません。なお、この歌の前後にある戦いに材を採った歌を記します。
いずれも合戦で命を落とすという武士のありざまを、僧というよりも一人の
人間としての立場から、激しいいきどおりに根ざした皮肉の歌として遺して
います。
「死出の山越ゆるたえまはあらじかしなくなる人のかずつづきつつ」
「木曽人は海のいかりをしづめかねて死出の山にも入りけるかな」
この時代は武士たちだけでなく、疫病や飢饉でも沢山の人が死亡しました。
特に1181年は都大路にも餓死者が満ち溢れていました。
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《 2・補筆事項 》
1 宇治橋
宇治川にかかる橋の一つです。宇治橋北詰に「橋寺」があります。
ここには宇治橋が始めて架橋された時のことを記した石碑があります。
1791年に上部三分の一が発見され、後年に下部が補刻されたもので、
「宇治橋断碑」といいます。それによると646年に奈良元興寺の僧の
(道登)が架橋したという事です。
その後、何度も流失して、その都度架けかえられました。現在の宇治橋は
平成八年の完成。長さ155メーター、幅は25メーターあります。
源氏物語宇治十帖は宇治を舞台にしています。また、宇治橋には橋姫伝説
があります。宇治橋の橋合戦、宇治川先陣争いでも有名です。
下は宇治橋の画像です。
http://kazu02aa.hp.infoseek.co.jp/saigyo2/ujisi01.html
2 三室戸寺
山家集には出てきませんが、西行法師も立ち寄った可能性のあるお寺として、
三室戸寺を紹介します。
三室戸寺は第49代光仁天皇(709〜781)の勅命により創建されたという説が
あります。また一説に10世紀頃の創建ともあります。
何度か焼失しています。宇治の橋寺との争闘により焼亡、填島合戦の折にも
織田信長軍により焼かれました。(この合戦をもって室町幕府消滅)
現在の本堂は1814年の再建になります。
源氏物語「浮舟」の古蹟にもなっています。
平安時代作の木造毘沙門天立像などの重要文化財がありますが、毎月17日
のみの公開です。
庭園は広く、ツツジ、アジサイ、蓮などの花が咲き誇ります。
このお寺の東方に喜撰法師の住んだという喜撰山があります。
百人一首第八番
「わが庵は都のたつみしかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり」
(喜撰法師)
「ここも又都のたつみしかぞすむ山こそかはれ名は宇治の里」
(山家集125P 羇旅歌)
三室戸寺の画像は下にあります。
http://kazu02aa.hp.infoseek.co.jp/saigyo2/mimuroto.html
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《 3・所在地情報 》
◎ 三室戸寺(みむろどじ)
所在地 宇治市菟道滋賀谷21
電話 0774−21−2067
交通 京阪電鉄宇治線及びJR奈良線三室戸駅下車、徒歩約15分
拝観料 入山料400円
霊宝殿300円
拝観時間 8:30〜16:30。冬季は16:00まで。
霊宝殿は毎月17日のみ公開。
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《 4・関連歌のご紹介 》
1 宇治橋や夜半の河風更けにけり下行く水のおとばかりして
(藤原家隆 壬ニ集)
2 橋姫のかたしき衣さむしろに待つ夜むなしき宇治のあけぼの
(後鳥羽天皇 新古今集)
3 さむしろに衣かたしくこよひもやわれをまつらんうぢの橋姫
(よみ人しらず 古今集)
4 橋姫のおるや錦とみゆるかな紅葉いざよふうぢの河波
(後宇多院 新千載集)
5 朝日山のどけき春のけしきより八十うぢ人もわかな摘むらし
(藤原為家 風雅集)
6 紅葉散る山は朝日の色ながら時雨てくだるうぢの川波
(西園寺公経 続古今集)
7 ふもとをば宇治の川霧たち籠めて雲居に見ゆる朝日山かな
(藤原公実 新古今集)
8 あさ日山まだ影くらき曙に霧の下行くうぢの柴ふね
(柳原資明 風雅集)
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《 5・お勧め情報 》
源氏物語の作者、紫式部との関連で今回は石山寺のサイトを紹介します。
紫式部が執筆したという部屋もあります。美しいお寺です。
http://www.biwa.ne.jp/~shikibu/
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《 6・エピソード 》
「都名所図会」という本があります。1999年に文庫版が刊行されました。
ちくま学芸文庫発行。市古夏生・鈴木健一氏の校訂。全五冊です。
一年ほど前に、たまたま本屋で見かけて注文したのですが、それ以前は
何度か図書館でお世話になっています。
秋里籬島著、安永九年(1780)に初版が刊行され、次いで天明六年(1786)に
再刻版が刊行されています。不備な点もあるのですが、京師すべての古跡を
網羅し、しかも挿絵も満載されているために当時の寺社の規模や風俗なども
ある程度分かります。このマガジンでも発行のつど参考資料の一つとして
います。各地で刊行された図会はこの「都名所図会」を参考にしたもの
だったと思います。
試みに宇治近辺の一部を抜粋してみます。
木幡の関、木幡神社、巨勢金岡の宅、万福寺、三室戸寺、宇治山、喜撰岳、
頓阿の庵、宇治の里、宇治川、宇治橋、平等院、橋寺、浮舟の嶋、朝日山、
朝日山恵心院などについて記述されています。
よくぞ、こんな書物が刊行されていたものだと、とてもうれしく思います。
これだけのものを書けたという知識と熱意にはただただ驚嘆し、脱帽する
しかありません。
先回の17号でも校正ミスが見つかりました。(1)の歌と(イ)の詞書の解釈の段の
むらまけ=意味不祥は、意味不詳と(祥)を(詳)に訂正します。
師走に入って、京都はどんよりと曇った日々が続いています。落葉樹が葉を
落として、裸の枝が天空を指して尖っています。氷雨の舞い落ちる日もあり
ます。季節はモノクロームの世界に向かって進んでいます。
ただでさえ、仕事に追われて自宅から一歩も出ないことも多い私は、なおさら
出不精になってしまいます。
天気の良い日には、つとめて散歩をしたいと思います。
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