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     ■■ 西行の京師(さいぎょうのけいし) ■■    

                      vol.40(隔週発行)
                     2003年10月30日号
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  メールマガジン「西行の京師」ご購読ありがとうございます。
  明日で10月も終わりです。今年も余すところ二ヶ月と1日です。
  いよいよ秋も深まり、京都はこれから紅葉シーズンを迎えます。
  できるだけ時間を作って紅葉見物に行きたいと思っています。
  
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     ■ 西行の京師  第40回 ■

   目次  1 今号の歌と詞書
        2 補筆事項       
        3 所在地情報
        4 関連歌のご紹介
        5 お勧め情報
        6 エピソード

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   《 1・今号の歌と詞書 》

  《 歌 》

 1 山がつの住みぬと見ゆるわたりかな冬にあせ行くしづはらの里
                        (172P 雑歌)

2 しぐれそむる花ぞの山に秋くれて錦の色もあらたむるかな

                        (88P 秋歌)

 以下は参考歌です。この詞書と歌は岩波文庫の山家集には採録されて
 いません。松屋本山家集にあります。
 
  (詞書)
 
 「いはくらにまかりてやしほの紅葉見侍りけるに、あやなく河の色に
  染みうつしけるを見て」

  (歌)

 いはくらややしほそめたるくれなゐをながたに川におしひたしつる  
  
                 (日本古典全書山家集 547番 冬歌)

 今号の地名=しづはら・花ぞの山・いはくら・やしほ・ながたに川
  
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 (1)の歌の解釈

○山がつ=山を生業とする樵や木地師を指します。そういう人々は
       当時は身分の低い人たちと見られていました。
○わたり=住んでいる場所。平面的に広がっている空間を指すことば。
○あせ行く=褪せ行く=冬枯れのためにモノトーンの世界に向かうという意味。
○しづはらの里=左京区静原町のことです。後述します。

 「木樵のような身分賤しい者が住んでいたと思われる辺りだよ。冬と
  ともに荒涼とした景色になって行く静原の里は」
              (新潮日本古典集成、山家集より抜粋)

 西行の歌のなかでも有名な歌ではありません。歌自体も、ただ地名を
 詠み込んだ歌というだけで訴求力に乏しく、読む人の心の中にまでひび
 いてくる種類のものではありません。
 しかし、いかにも京の都から取り残された静原という辺鄙な村の冬に
 向かう頃の雰囲気が感じられると思います。

 (2)の歌の解釈

○花ぞの山=左京区岩倉花園町の東北にある瓢箪崩山の別称が花園山
        という説もありますが。確証はありません。京都地図
        にも記載がありません。

 西行の歌に多い初句字あまり歌のひとつです。
 ここでは「にしき」と「しぐれ」が取り合わされています。この事につい
 ては別に記述します。

 「時雨が降りはじめる花園山に秋が暮れて、時雨の雨にそめられた紅葉の
  錦が、色をあらためたようにあざやかに美しくなったことよ。」
             (渡部保氏著「西行山家集全注解」より抜粋)

 (参考歌)の解釈

○いはくら=岩倉=左京区の地名です。国際会議場があります。
○やしほ=岩倉長谷にある地名です。正確には八塩の岡です。
○ながたに川=岩倉長谷川のことです。
○おしひたしつる=押し浸している。紅葉の色が川の水に映っていること。

 岩倉長谷に行って八塩の岡の紅葉を歌ったものです。
 この八塩の岡の紅葉は古代はとても有名だったようですが、現在は楓の
 木は少ないようです。

 「いわくらに来てみると、折角、山で色深く染めている紅葉をながたに川に
  惜しげもなくおしひたしていることよ」
             (渡部保氏著「西行山家集全注解」より抜粋)

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   《 2・補筆事項 》

 1 静原の里

 静原は鞍馬と大原の中間に位置する山の中の町です。現在も京都の街中から
 取り残されたような山あいの町です。ここから大原に向かう道に江文峠が
 あります。この峠を越えて後白河院は寂光院に住む建礼門院を訪ねました。
 大原御行として平家物語の巻末を飾っています。
 このルートとは別に、京都から若狭に抜けるルートがあり、この若狭街道が
 大原に向かう一般的なルートでした。
  
  尚、「山がつ」の名詞の詠み込まれた歌は以下です。

  1 山がつの片岡かけてしむる庵のさかひにたてる玉のを柳

  2 山がつの折かけ垣のひまこえてとなりにも咲く夕がほの花

  3 秋暮るる月なみわかぬ山がつの心うらやむ今日の夕暮

  4 山がつの荒野をしめて住みそむるかた便なる戀もするかな

   私撮影の静原の画像です。

  http://kazu02aa.hp.infoseek.co.jp/saigyo2/kura3.html

 2 花園山
  
  右京区に花園があります。JR花園駅を中心とした一帯です。でも
  ここには花園山はありません。
  この右京区の花園という地名は右大臣清原夏野からきています。清原
  夏野は右京区で別荘を構えていて、そこが花園の地名になりました。後世
  に待賢門院が、この別荘の跡地に法金剛院を建てました。
  他方、左京区岩倉にも花園があります。ここの地名の起こりは比較的
  新しいもののようです。花園左大臣源有仁(1103〜1147)の子孫がこの地
  に移り住んで花園を地名としたという説があります。それ以前には花園
  とは言っていなかったようです。その説を信じるなら、西行存命中に
  今の花園を花園と呼んでいたかどうか、はなはだ疑問です。この地が古い
  資料に花園として始めて出てくるのは1477年とのことですから、西行の
  時代はこの地は花園ではなかったとも考えられます。
  また、花園山とはどこの山を指すのか、私にはわかりません。老齢の
  タクシーの運転手さんにも聞きましたが、分からないそうです。
  能因歌枕では花園山は愛知県の山を指すようですので、あるいは西行の
  花園山も京都ではないのかもしれません。
  ここでは、日本古典全書山家集の伊藤嘉夫氏の岩倉花園説に従います。
  
 3 長谷川(ながたにかわ)

  左京区の瓢箪崩山の西南麓にある岩倉長谷町を流れている小川です。
  この長谷は藤原公任が出家後に隠棲した所です。公任の「和漢朗詠集」
  から取った「朗詠谷」という地名があり、そこが公任の山荘の跡だと
  いわれています。しかしながら、公任はここで「和漢朗詠集」を編んだ
  ものではなく、出家前に完成させています。

  下は長谷川のサイトです。

  http://www80.sakura.ne.jp/~agua/yodo/katura/nagatani.html

 4 やしほ=八塩の岡

  瓢箪崩山の西南麓にある岡と説明されていますが、歩いてみても、
  私にはどこなのか、分かりませんでした。
  八塩とは「八入(やしお)=布を幾度も染め上げるという意味」からきた
  地名です。それほどに紅葉はみごとで「紅を以って染むるに等し」と
  言われたほどに紅葉で知られていたところです。
  ところが現在は紅葉の名所ではありません。

 5 いはくら=岩倉

  左京区にある地名です。
  岩倉の地名は平安京遷都の年にできたようです。平安京造営の時に
  国家鎮護の為に京域の四方の山上に一切経を納めました。そして、東西
  南北の名を冠した四個の岩倉が造られました。その時から岩倉という
  地名で呼ばれ出したそうです。
  磐自体を神の依り代と考えて崇拝の対象とする古代神道による磐座信仰
  も、この地では見られたようです。岩倉では山住神社の巨石がこれに
  あたり、神石として崇拝されたということです。いつごろの時代からの
  信仰なのかよく分かりません。880年には石自体が従五位下の位階を受け
  ているという記録があります。  

 6 錦・紅葉と時雨

 「時雨とは、晩秋から初冬にかけて断続的に降り続く小雨のことで、
  紅葉と取り合わせた歌は(時雨の雨まなくし降れば真木の葉もあらそひ
  かねて色づきにけり)(万葉集巻十)など、万葉集以来数多い。(秋深く
  ようよう時雨ゆくままには、四方の山の梢も深くなりゆき)(古来風体抄)
  とあるように、時雨によって紅葉が染まるというのは、和歌の伝統の
  なかで定着していた発想パターンであった。西行もその発想をふまえ、
  繰り返し紅葉の歌に時雨を詠み込んでいる。」
            (新人物往来社刊「西行のすべて」
             佐藤和彦・樋口州男編、140Pから抜粋)
  
  西行の時雨と、紅葉や錦の取り合わせた歌です。
 
  1 いつよはる紅葉の色は染むべきと時雨にくもる空にとはばや

  2 染めてけりもみぢの色のくれなゐをしぐると見えしみ山べの里

  3 もみぢ葉の散らで時雨の日數へばいかばかりなる色かあらまし

  4 よもすがらをしげなく吹く嵐かなわざと時雨の染むる紅葉を

  5 さまざまに錦ありけるみ山かな花見し嶺を時雨そめつつ

  6 いとと山時雨に色を染めさせてかつがつ織れる錦なりけり 
 
 7 実相院

  この寺院は西行とは関係ないのですが岩倉にある著名な寺院として
  簡単に紹介します。
  
  岩倉にある門跡寺院です。天台寺門宗(園城寺=三井寺)に属していて、
  本尊は不動明王です。
  創建は1229年。ただし創建された場所は紫野今宮であり、次いで今出川
  小川に移りました。そこが応仁の乱で全焼したため、1467年から1469年
  の間に現在地に移りました。1400年代初期には現在地にあったという
  説もあります。
  代々、摂関家の子弟が門主として入寺し、後には足利政権との結びつきも
  できましたが、江戸時代になって世相が安定するまでは何度も火災のため
  に焼失しています。
  江戸時代になってから門跡領も増えて、やっと寺院らしくなったようです
  が、明治政府による上地令や寺禄廃止により、寺院経営が成立たなくなり
  ました。残った土地や寺の什器などを切り売りしてなんとか存続してきた
  といういうことですが、これは実相院だけでなく、どこの寺社でもやって
  きたことです。

  小さくまとまった品の良い寺院だと思いました。
  ここには実相院日記があって実相院の坊官が見た時代の動きが具体的に
  記されています。

  私撮影の実相院です。

 http://kazu02aa.hp.infoseek.co.jp/saigyo2/kura4.html

     (補筆事項は主に平凡社「京都市の地名」を参考にしました。) 
  
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   《 3・所在地情報 》

    ◎ 実相院 (じっそういん)

 所在地    左京区岩倉上蔵町121
 電話      075-781-5464
 交通     京都バス、四条河原町から21番、23番で約45分
          地下鉄「国際会館前」下車、京都バス24番、27番で10分    
 拝観時間   9時から17時まで
 拝観料    500円  
 駐車場    10台程度。公共機関のご利用をお勧めします  

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   《 4・関連歌のご紹介 》

 1 みそめてはとくかへらめやくれなゐのやしほのをかの紅葉ばの色
                       藤原公任 (公任集)
 
 2 花薄誰をとまれといはくらの小野のあきつに人招くらむ
                     藤原為藤 (新後拾遺集)

 3 のりのためいとど深くぞおもほゆる水も心もすめるながたに
                       藤原公任 (公任集)

 4 すみなるるみやこの月のさやけきになにかくらまの山はこひしき
                       斎院中務 (後拾遺集)

 5 覚束なくらまの山のみちしらで霞のうちにまどふけふかな
                       安法法師 (拾遺集)

 6 きぶね川玉ちる瀬々の岩波に氷をくだく秋の夜の月
                       藤原俊成 (千載集)

 7 いく夜われ浪にしをれて貴船川そでに玉ちる物思ふらむ
                       藤原良経 (新古今集)

 静原も花園山も関連の歌がみつかりません。長谷、岩倉の歌も
 乏しいので、先号関連で鞍馬と貴船の歌を少し紹介いたします。

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   《 5・お勧め情報 》

  永観堂の紅葉

 このお寺の紅葉は楽しめます。11月半ば頃がもっとも良いと思います。

 所在地    左京区永観堂町48
 電話      075-761-0007
 交通      京都駅烏丸口から市バス5番で南禅寺永観堂下車徒歩3分
 拝観料     600円
 拝観時間   9時から16時
 駐車場     20台 

    永観堂ホームページ

    http://www.eikando.or.jp/

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   《 6・エピソード 》
 
この40号の発行は遅れに遅れてしまいました。申し訳ございません。
遅れた理由はそれなりにあるとしても、言訳にもなりません。
何度も書きましたが今後も遅れる事はあると思いますので、なにとぞ御了承
願いあげます。 

過日、伏見区の醍醐山に登ってきました。秋の1日を同行者のみなさんと楽し
めました。秋のやわらかな木漏れ日の中を、ひたすら頂上を目指して急坂を登り
ました。標高450メートル。距離にして約二キロです。1時間少しを要しました。
実は春にも登っているのです。その時はあまりにもきつくて、休み休みの道行き
で、同行者をあきれさせました。今回は日差しが弱い分、体力のロスが少なくて
春よりは楽でした。それにしても秋の山を歩く事の爽快感はすばらしいものです。
それでなんと、来春の早い段階での愛宕山登山をもくろんでいます。
醍醐山の倍の距離です。日頃の不摂生が響きますので、今から準備が必要です。
なんとしても上がりたいものです。

その翌日は岩倉・花園・長谷を歩きまわりました。
今回紹介した西行の歌の雰囲気を味わいたかったのです。もちろん彼の生きていた
時代と現在とでは町の様相などは全く違います。
それでも山の姿などは変化がないでしょう。目に見える民家などは消し去って、
西行の観た光景に近い形で、この地を私の心で感じたかったということです。

次回41号からはこれまで紹介できなかった街中の詞書を中心にしてご紹介した
いと思います。
来年の6月までには、このシリーズも終えますので、その次を漠然とながら
考えています。

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