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■■ 西行の京師(さいぎょうのけいし) ■■
vol.46(隔週発行)
2004年2月17日号
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メールマガジン「西行の京師」ご購読ありがとうございます。
立春はとうに過ぎました。少しずつ暖かくなっています、やがて来る
春の気配が、そこここに感じられる昨今です。
でも、まだまだ寒さの強い日々もあります。「三寒四温」は週のうちに
三日間は寒い日が連続して続き、あとの四日間は暖かい日が続くということ
なのですが、日本の事象を指す言葉ではないと知りつつも、この言葉が
妙にふさわしいと思える季節です。南からは桜便りももうすぐ聞かれます。
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■ 西行の京師 第46回 ■
目次 1 今号の歌と詞書
2 補筆事項
3 所在地情報
4 関連歌のご紹介
5 お勧め情報
6 エピソード
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《 1・今号の歌と詞書 》
《 歌 》
1 ちりそむる花の初雪ふりぬればふみ分けまうき志賀の山越
(38P 春歌)
《 詞書 》
1 水邊納凉といふことを、北白河にてよみける
(53P 夏歌)
この詞書の次に下の歌があります。
水の音にあつさ忘るるまとゐかな梢のせみの聲もまぎれて
2 八月、月の頃夜ふけて北白河へまかりける、よしある様なる家の侍り
けるに、琴の音のしければ、立ちとまりてききけり。折あはれに
秋風楽と申す楽なりけり。庭を見入れければ、浅茅の露に月のやど
れるけしき、あはれなり。垣にそひたる荻の風身にしむらんとおぼ
えて、申し入れて通りけり
(85P 秋歌)
この詞書の次に下の歌があります。
秋風のことに身にしむ今宵かな月さへすめる宿のけしきに
今号の地名=北白河・志賀の山越
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(1)の歌の解釈
○花の初雪=桜の花が雪のように散り始めた情景を指します。
○分けまうき=散り敷いている花弁を分けて歩くことの憂いの感情です。後述。
○志賀の山越=京都から滋賀に抜けるルートのひとつ。後述。
一斉に散り始めた山桜の白い花びらが、まるで雪のように舞い散っています。
桜の名所である志賀の山越の道を、散り敷いている花弁を踏み分けて進んで
行くことは気持の沈む、つらいものを感じます。
この歌では「ふみ分けまうき」という言葉が決定的な役割をになっていると
思います。現在の我々には理解しがたい言葉であり感情です。
花弁が雪のように散り敷く中を歩いていく、散った花を踏まないように避けて
進んで行く。でも、散り敷いた花弁を全く踏まないということはありえない。
花の散るのが、そして散り敷いた花弁を踏むということが憂いの感情を起こ
させる。
いかにも桜花を愛した西行らしい感情だと解釈するべきなのでしょうけど、
何かしら、「おおげさだなー、説得力がないなー、作為的だなあー」という
思いも起こさせます。
(1)の詞書と歌の解釈
○まとゐ=(円居・団居)一家の者が楽しく集まること。だんらん。
車座になること。(講談社「日本語大辞典」より抜粋)
○北白河=現在の白川通り以東、今出川通り以北の一帯を指す地名。
(詞書)
水辺で暑さを避けて涼を得るということを、北白川にて詠みあいました。
(歌)
北白川の水辺での車座になっての集いは楽しいものです。梢での蝉時雨も、
流れる水の音にまぎれて、暑さを忘れてしまいます。
山家集には、北白河での歌会で人々と詠みあったということが三度(53.54.270P)
記述されています。実際には三度以上出席したものでしょう。270ページの基家の
三位の家以外は場所も主催者も不明です。
(2)の詞書と歌の解釈
○よしある様=由緒のありそうな感じの家。
○秋風楽(しゅうふうらく)
=雅楽の曲名。雅楽とは中国伝来の音楽で鉦、笛、ひちりき、和琴などで
演奏するもの。千秋楽、太平楽などがある。
秋風楽は曲に合わせての舞があり、これを舞楽といいます。
(主に講談社の「国語大辞典」を参考)
(詞書)
『「秋風」には秋風楽をかけている。「ことに」は「殊に」と「琴」に、
「すめる」は「澄める」と「住める」をかけている。秋風楽は雅楽の曲名。
詞書のなかに「垣にそひたる荻の風身にしむらん」うんぬんとあるが、秋風に
荻の葉を配するのは白楽天の琵琶行などから早く流行したようである。(中略)
この配合は「更級日記」にも「かたはらなる所に先おふ車とまりて荻の葉
荻の葉とよばすれど答へざるなり。呼びわづらひて笛をいとをかしく吹きすま
して、過ぎぬなり。
<笛のねのただ秋風と聞ゆるになど荻の葉のそよと答へぬ>
といひたれば、げにとて
<おぎの葉の答ふるまでも吹きよらでただに過ぎぬる笛の音ぞ憂き>・・・」
などとあって知られる。ここの荻の葉は女、外から呼んだが返事がなかったと
いうのである。つまり、秋風が吹けば荻の葉はそよぐものと決められていた。
そして靡(なび)かない、返事がないということにもなる。
「こむとたのめて侍りける友だちの待てど来ざりければ秋風の涼しかりける夜
ひとりうちいて侍りける
<荻の葉に人だのめなる風の音をわが身にしめて明かしつるかな>
後拾遺集巻四・僧都実誓」(中略)
<荻の葉にそそや秋風吹きぬなりこぼれもしぬる露の白玉>
(詞花集巻三・和泉式部)
など無数にある。つまり一種の固定化した伝統発想であってこの詞書の西行の
行動は当時の風流であり、この場面に来合っては黙して通り過ぎてはならない。
家の主人に歌を詠んで挨拶を入れたというわけである。』
(歌)
『「秋風が今夜は格別身にしむことだ。それは琴の秋風楽のせいなのだが、
また月までが澄んで照らすような住み方の庭を見たゆえに。」』
(『』内は宮柊二氏著「西行の歌」から引用)
この詞書と歌については「西行の研究(窪田章一郎氏著)」でも「西行の思想史
的研究(目崎徳衛氏著)」でも触れていません。
北白川のこの家は西行の知人が住んでいたものではないと思います。ひょっと
したら琴の名手といわれる院の小侍従(200Pに初出)の可能性を考えましたが、
この詞書と歌からでは、人物を特定できません。
秋風と荻の組み合わせは形式化されたもののようですが、しっくりとなじむ
ものを覚えます。これが荻でなくて萩であるとしたら、色彩が勝ちすぎて、
しっくりした感覚を味わいにくいものと思います。
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《 2・補筆事項 》
1 踏み分けまうき
○ 踏み分けまうき=踏み分けま憂き=踏み分けることが憂く思われる。
「ま憂き」は「まく憂き」の約。
(新潮日本古典集成から抜粋)
○ 踏み分けまうき=踏み分けむあくうき=踏み分け(動詞の未然形)む
(助動詞連体形朧化用法)あく(古代の名詞)うき(形容詞連体形)のつづ
めた形。また「ふみわけまくうき」の略された形で、「く」が上の動詞を
体言化する接尾辞で、それが省略されたと考えてもよい。
(渡部保著「西行山家集全注解」から抜粋)
○ まく=(推量の助動詞ムのク語法)・・しょうとすること。・・だろうこと。
「梅の花散ら(まく)惜しみわが園の竹の林に鶯鳴くも」(万葉824)
「見渡せば春日の野辺に立つ霞見(まく)のほしき君が姿か」(万葉1913)
(岩波古語辞典から抜粋)
2 北白河
「北白河」という地名の入った歌は発見できませんでした。なぜ北白河や
南白河の地名入りの歌がないかというと、たとえば北白河の地域を詠んだ歌
であっても「白河」として詠んだからだろうと思います。北白河という
六音の名詞を用いるのは歌の言葉として少し重たい感じ、無骨な感じがします。
下の中務の歌も白河とありますが、実際には北白河のものです。
「白川の滝のいとみまほしけれどみだりに人をよせじものとや」
中務 (後撰集)
27号で紹介した27Pの西行の下の歌も、北白川でのものと断定してもよいかと
思います。
「風あらみこずゑの花のながれきて庭に波立つしら川の里」
北白河での歌会については次号で記述予定です。
3 北白川天神宮
北白川天神宮の創建については詳らかではありませんが、第50代桓武天皇が、
平安遷都した794年以前からの古刹であることは確実のようです。
もともとは白川通り以西の北白川久保田町にありましたが、1400年間に
室町幕府八代将軍の足利義政の要請により現在地に移築されたということです。
北白川の産土神(うぶすながみ)で祭神は少彦名命(すくなびこなのかみ)。
付近住民に厚く崇敬されてきて、現在も体育の日の前日の秋季大祭には神輿
巡行をしています。
尚、この辺りの白川の扇状地一帯は縄文時代の人々の住んでいた所であり、
「北白川遺跡」として考古学では著名です。
下は北白川天神宮の画像です。
http://kazu02aa.hp.infoseek.co.jp/kitasi.html
(この項は西行歌碑の関係で第27号に記述しています。27号から転載しました。)
ここには「風あらみ梢の花のながれきて・・・」の歌碑があります。
4 志賀の山越
『北白河は銀閣寺の北なり。里の名にして、川は民家の中を西へ流れる。これなん
名所三白川のその一なり。(中略)
この里は洛(みやこ)より近江の志賀坂本への往還なり。志賀の山越えといふ。
素性法師が「君が代までの名こそありけれ」とつらねし白川の滝は道の傍らに
ありて日陰を晒し、川の半ばに橋ありて、はじめは右手(めて)に見し流れも
いつとなく弓手(ゆんで)になりて、谷の水音浙瀝(せつれき)として深山
がくれの花を見、岩ばしる流れ清く澄みて皎潔(きょうけつ)たる月の影
いそがわしく、橋のほとりに牛石といふあり。形は牛の臥したるに似たり。
これよりひがしに山中の里あり。比叡(ひえ)の無動寺へはこの村はずれの
細道より北に入る。右のかたの一つ家に川水を筧(かけい)にとりて水車
めぐる。(略)
山中峠は白川の里より一里半東にして、山城・近江の境なり。むかし「長良の
山桜」と詠みしはこの峰つづきなり。三井寺の入相の鐘は志賀のうら風に
誘はれ、琵琶湖の風景一眼の中に尽きて、地勢穆々(ぼくぼく)として心を
奪はるるに似たり。
(ちくま学芸文庫「都名所図会」巻二より引用)
以下は阿部註です。
○三白川=私にはわかりません。ご存知の方はご教示お願いします。
日本の三白川とは思いますが・・・。
○志賀の山越え=現在は山中越えといいます。
○弓手(ゆんで)=左手のこと。
○浙瀝(せつれき)=古語辞典にもなく、これも説明できません。
○皎潔(きょうけつ)=煌々として潔く感じるということなのだろうと思います
が正確にはわかりません。
○長良=長等(ながら)と表記します。三井寺のある山です。
○穆々(ぼくぼく)=これもわかりません。
志賀の山越えの道は北白河別当町の交差点から東に入ります。何度か車で通った
ことがあります。一昨年の秋には、西行MLの有志の皆さんとこの道を通って比叡山
に上がりました。路傍に桜の木はありますが、西行の時代のように桜の名所と
いうほどではありません。
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《 3・所在地情報 》
◎ 北白川天神宮 (きたしらかわてんじんぐう)
所在地 左京区北白川仕伏町42
電話 075ー781ー8488
交通 市バス京都駅烏丸口発5番、北白川小学校前下車徒歩5分
市バス松尾橋発3番北白川仕伏町下車5分
銀閣寺から徒歩約10分
拝観料 無料
拝観時間 自由
駐車場 なし。事前に電話連絡すれば都合をつけていただける
とのことです。
この所在地情報は27号からの転載です。下は北白川天神宮のホームページです。
http://www.h3.dion.ne.jp/~y-hirota/tenjingu/tenjingu.html
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《 4・関連歌のご紹介 》
1 春風に志賀の山越え花散れば峰にぞ浦の波は立ちける
藤原親隆 (千載集)
2 さくらばなみちみえぬまでちりにけりいかがはすべきしがのやまごえ
橘成元 (後拾遺集)
3 雪ならばいくたび袖をはらはまし時雨をいかに志賀の山越え
金上盛備 (葦名逸話集)
4 袖の雪空吹く風も一つにて花に匂へる志賀の山越
藤原定家 (風雅集・六百番歌合)
5 嵐吹く花の梢に跡見えて春も過ぎ行く志賀の山越
藤原家隆 (六百番歌合)
6 春はただ雲路を分くる心地して花こそ見えね志賀の山越
藤原隆信 (六百番歌合)
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《 5・お勧め情報 》
狩野派・絵師たちの競演
二条城障壁画のすべて
会場 京都市美術館
場所 左京区岡崎
期間 2月10日から3月14日まで。月曜休館
時間 9時から17時まで
交通 京都駅から市バス5・100で美術館前下車すぐ
料金 1000円
http://www.kyokanko.or.jp/nijyojyo2.html
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《 6・エピソード 》
今号は詞書にある北白河との関係で、歌は「志賀の山越」を取り上げてみました。
次号も北白河と志賀の山越えとなります。
志賀の山越えは、太平記には今中越えと記されていて、どちらの呼び方もされて
いたようです。現在は山中越えと呼ばれています。
京都と滋賀県の往還のルートは山科から大津に抜ける逢坂越えをはじめ、いくつ
もありますが、このルートも古代から利用されてきました。ことに滋賀県から京都
に入るためには逢坂を越えて三条通りに至る東海道ルートよりも距離が短いために
戦国期には重宝されたそうです。
織田信長も1575年にこの道を通って京都に入りました。その時、信長はこの道の
拡幅工事を命じていることが記録に残っています。
平安時代は志賀の山越えは桜の名所として聞こえていたそうです。多くの歌人が
志賀の山越えでの歌を詠んでいます。
私は三度はこの道を自動車で通り過ぎました。しかし歩いて過ぎたことはありま
せん。いつか機会を作って先人を偲びながら、桜の頃に歩いてみたいと思います。
最近、外に出ていません、散歩もしていません。困ったことです。
昔の人が、いい考えが浮かぶ場所として、雪隠、馬上、あとの一つは忘れましたが、
幼い時に知ったその説に妙に納得したものでした。路傍の風景を見るとはなしに
見ながら、そして、いろんなことを思い巡らしながら、散歩することはとても良い
ことだと思います。家に閉じこもってばかりの生活は、生活自体から色彩を失わせ、
自分の構築する世界をいびつな形で一元化することなのかも知れません。
かのカントは生まれた土地を一度も離れなかったそうですが、しかし、散歩はよく
していたということを何かで読みました。散歩するということは、また、自然とか
季節の醸成するものとの交感でもあるのでしょう。それだけで充分に刺激的なこと
です。
カントも散歩のすばらしさを自覚していただろうと思います。
最近とみに山歩きをするようになった親しい友人の心情がよくわかりますし、
羨望を禁じえません。私も可能な限り自然に触れたいと思います。
今年に入ってから、なぜかしら心身のエネルギーが乏しくなったと感じています。
55歳という年齢は、まだまだ老け込む年齢ではないはずですが、なんとなく意気
消沈している自身を発見します。とりたてての理由もないままにです。加齢とは
こういうことなのかも知れません。
いつも自身を鼓舞しながら彩り豊かな余生を演出できるなら、それは幸せなことだと
思います。
時は間断なく移ろい、もうすぐ桜の季節を迎えます。一年に一度経巡りくるこの
季節を楽しみたいものだと思います。
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