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     ■■ 西行の京師(さいぎょうのけいし) ■■    

                          vol.55
                     2004年10月25日号
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 メールマガジン「西行の京師」ご購読ありがとうございます。
 10月も半ばを過ぎてから襲来した大型台風による被害が各地で出ています。
 死者五十数名という痛ましいものです。その惨状のニュースが続いている
 うちに新潟県での大地震発生。震度6強の直下型地震であり、被害の広がり
 が懸念されます。改めて自然災害は怖ろしいものと思います。
 自然の猛威の前に手をこまねいてみているしかない無力さを覚えます。

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     ■ 西行の京師  第55回 ■

    目次  1 今号の歌と詞書
         2 関連歌のご紹介
         3 「都」の歌
          4 エピソード

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   《 1・今号の歌 》

   《 歌 》

 1 錦をばいくのへこゆるからびつに収めて秋は行くにかあるらむ
                         (89P 秋歌)

  今号の地名=いくの

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 (1)の歌の解釈

○錦=木々が紅葉した様を指します。用例として錦秋、もみじの錦など。
○いくの=生野。現在の京都府福知山市にある地名。(いくの=幾つかの野)
        ということを掛けているとも解釈できます。
○からびつ=唐櫃。櫃とはふたのついた大型の箱のこと。唐櫃は普通、4本か
      6本の脚をつけ、種々の装飾が施されることもあります。

この歌は六家集流布本(板本)の山家集と夫木抄に収められていて、新潮日本
古典集成の陽明文庫版には収録されていません。

とりたてて味わい深いという内容を持つ種類の歌ではありませんが、弾むよう
な軽快なリズムが感じられます。春の桜に対しての全身で表される憧れのよう
な感覚とはまた微妙に異なりますが、この紅葉の歌も西行その人の自然の景物
に対しての憧憬の思いをうかがい知ることができます。

「紅葉の錦を幾つもの野辺をこえて、生野へはこぶような大きな唐櫃におさ
 めて秋は去りゆくのであろうか。」
              (渡部保氏著「西行山家集全注解」より抜粋)

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   《 2・関連歌のご紹介 》

 1 大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立
                  小式部内侍 (金葉集・百人一首)

 2 大江山越えていく野の末とほみ道ある世にも逢ひにけるかな
                     藤原範兼   (新古今集)

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   《 3・「都」の歌 》

01 山路こそ雪のした水とけざらめ都のそらは春めきぬらむ
                         (13P春歌)

02 ちらでまてと都の花をおもはまし春かへるべきわが身なりせば
                         (29P春歌)

03 花もちり人も都へ歸りなば山さびしくやならむとすらむ
                         (33P春歌)

04 人はみな吉野の山へ入りぬめり都の花にわれはとまらむ
                         (33P春歌)

05 郭公都へゆかばことづてむ越えくらしたる山のあはれを
                         (47P夏歌)

06 都にて月をあはれと思ひしは数より外のすさびなりけり
                         (75P秋歌)

07 入りぬとや東に人はをしむらむ都に出づる山の端の月
                         (79P秋歌)

08 月の色に心をふかくそめましや都を出でぬ我が身なりせば
                         (84P秋歌)
 
09 なれきにし都もうとくなり果てて悲しさ添ふる秋の暮かな
                         (90P秋歌)

10 たけのぼる朝日の影のさすままに都の雪は消えみ消えずみ
                         (98P冬歌)
 
11 思へただ都にてだに袖さえしひらの高嶺の雪のけしきは
                         (101P冬歌)

12 おしなべて同じ月日の過ぎ行けば都もかくや年は暮れぬる
                         (104P冬歌)

13 程ふれば同じ都のうちだにもおぼつかなさはとはまほしきに
                        (105P離別歌)

14 思へただ暮れぬとききし鐘の音は都にてだに悲しきものを
                        (106P離別歌)
 
15 見しままにすがたも影もかはらねば月ぞ都のかたみなりける
                        (107P離別歌)

16 あかずのみ都にて見し影よりも旅こそ月はあはれなりけれ
                        (107P羇旅歌)

17 何となく都のかたと聞く空はむつまじくてぞながめられぬる
                        (108P羇旅歌)

18 柴の庵のしばし都へかへらじと思はむだにもあはれなるべし
                        (109P羇旅歌)

19 かへり行く人の心を思ふにもはなれがたきは都なりけり
                        (109P羇旅歌)

20 くさまくら旅なる袖におく露を都の人や夢にみるらむ
                        (109P羇旅歌)
 
21 きこえつる都へだつる山さへにはては霞にきえにけるかな
                        (109P羇旅歌)
 
22 わたの原はるかに波を隔てきて都に出でし月をみるかな
                        (109P羇旅歌)

23 わたの原波にも月はかくれけり都の山を何いとひけむ
                        (109P羇旅歌)

24 ここも又都のたつみしかぞすむ山こそかはれ名は宇治の里
                        (125P期旅歌)

25 都にも旅なる月の影をこそおなじ雲井の空に見るらめ
                        (125P羇旅歌)

26 都近き小野大原を思ひ出づる柴の煙のあはれなるかな
                        (128P羇旅歌)

27 都出でてあふ坂越えし折までは心かすめし白河の関
                        (130P羇旅歌)

28 涙をば衣川にぞ流しつるふるき都をおもひ出でつつ
                        (131P羇旅歌)

29 秋は暮れ君は都へ歸りなばあはれなるべき旅のそらかな
                        (140P羇旅歌)

30 露おきし庭の小萩も枯れにけりいづち都に秋とまるらむ
                        (141P羇旅歌)

31 したふ秋は露もとまらぬ都へとなどて急ぎし舟出なるらむ
       (31番の歌の作者は大宮女房加賀です。141P羇旅歌)

32 ながらへてつひに住むべき都かは此世はよしやとてもかくても
                         (182P雑歌)

33 夜の鶴の都のうちを出でであれなこのおもひにはまどはざらまし
                         (185P雑歌)

34 雲の上やふるき都になりにけりすむらむ月の影はかはらで
                         (185P雑歌)
 
35 露しげく淺茅しげれる野になりてありし都は見しここちせぬ
                         (185P雑歌)

36 ひときれは都をすてて出づれどもめぐりてはなほきそのかけ橋
                         (189P雑歌)

37 世の中を捨てて捨てえぬ心地して都はなれぬ我が身なりけり
                         (192P雑歌)
 
38 都うとくなりにけりとも見ゆるかなむぐらしげれる道のけしきに
                        (239P聞書集)

39 わが心さこそ都にうとくならめ里のあまりにながゐしてけり
                         (282P補遣)

「都」という名詞入りの歌のみをご紹介します。「京」と「都」の名詞のある
詞書はたくさんありますが、ここでは歌の紹介だけにとどめておきます。

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  《 4・エピソード 》 

冒頭に記述したように台風による被害、それに追い打ちをかけるように発生
した新潟での地震。連続して起きた自然災害によって、本当に日本は、そし
て日本に住む私達は常に自然の脅威のただなかにあるということを実感して
います。
このマガジンの読者の方々、そして読者の関係者の方々で被災された方は
いませんようにと祈ります。もし被災された方がおられましたら、心より
お見舞い申し上げます。

メールマガジン「西行の京師」は今号の55号をもってシリーズを終えること
になりました。55号までで、岩波文庫山家集に記載のある京都の地名入りの
詞書と歌をすべてご紹介したことになります。西行メーリングリストの会員
の方々や、そのほかの読者の方々に支えられて、不十分ながらもやり遂げる
ことができましたこと、皆様方に厚くお礼申し上げます。

創刊号発行は2002年4月15日でした。創刊号には「一年弱の時限発行になる」
と書いています。ところが目論見通りには運ばずに、二年半以上を費やした
ことになります。表層的に軽いままに、そして短いままに流していた初期の
マガジンに不満があり、発行する以上は可能なかぎり読み応えのあるものを
と目指した結果、必然として長い期間を要しました。

本年の三月に入院して号外を発信しました。退院後の発行は思うに任せない
ものがあって、隔週発行を謳っていながら月刊のペースになってしまいま
した。このことは仕方ないものとして受け止めてはいますが、このペース
ダウンも長い期間を費やしたことの一因です。
なお、入院に際しては多くの方から激励のメールをいただきました。退院後
も、ちょっと混乱していた部分もあって、激励メールに対してのお礼の返事を
出していないままになっている方もおられます。そのことをお詫びし、改めて
お礼申し上げます。

メールマガジン「西行の生涯とその歌」及び「西行学習ノート」なくして
「西行の京師」の発行はありえないことでした。試行錯誤しながらも、なん
とか発行をやりとげたことは、現在も精力的にマガジン発行作業を続けている
辻野さん に対しての、私なりの返礼としての一端になったのではなかろうか
と思います。

西行メーリングリストの 大山様 には、多くの号で校正の作業をしていた
だきました。時間をかけて丁寧な校正をしていただき、とても助かりました。
この場でお礼申し上げます。ありがとうございました。

このエピソードは事実上の「終刊のご挨拶」となります。
シリーズとしての「西行の京師」は今号で終了しましたが、今後、番外編と
して不定期に何度か発行したいと思います。
近いうちに平泉までの小旅行を予定しています。西行の陸奥行脚と絡めて、
平泉のことなどを書いてみたいと思っています。ですから、もう少しお付き
あいをお願いいたします。

                2004年10月25日 阿部和雄

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