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  ■■ 西行の京師(さいぎょうのけいし) ■■ 

   第 二 部         vol.26(不定期発行)  
                    2007年12月27日発行

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こんにちは。阿部です。
今年もいよいよ押し詰まってきました。年末のことですので、
皆さん、お忙しくお過ごしのことと拝察いたします。
今号は遅れに遅れての発行です。早く発行しなくてはならないと、
とても気にしていたのですが、なんとか年内に発行することができ
ました。
内容の充実度は不足気味だと思いますが、お暇な折にでも読んで
いただけますと幸甚に思います。

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   ◆ 西行の京師 第二部 第26回 ◆

 目次 1 陸奥の国の歌(4)
     2 宮城野について
     3 末の松山について
     4 陸奥の国の主な歌枕(3)
     5 雑感

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   (1)陸奥の国の歌(4)

1 あはれいかに草葉の露のこぼるらむ秋風立ちぬ宮城野の原
   (岩波文庫山家集58P秋歌・西行上人集・御裳濯河歌合・
               玄玉集・新古今集・西行物語)
 
2 萩が枝の露ためず吹く秋風にをじか鳴くなり宮城野の原
           (岩波文庫山家集68P秋歌・新潮430番)
             
3 たのめおきし其いひごとやあだになりし波こえぬべき末の松山
          (岩波文庫山家集159P恋歌・新潮1289番)
            
4 春になればところどころはみどりにて雪の波こす末の松山
               (岩波文庫山家集233P聞書集)
           
5 松島や雄島の磯も何ならずただきさがたの秋の夜の月
      (岩波文庫山家集73P秋歌・西行上人集追而加書)
          
(参考歌)
6 宮城野や雪も色あるふる枝草ことしの秋も花さきにけり
                     (蔵玉和歌集)
          
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○草葉の露

 字義通り草の葉に宿る露のことです。人の死、あるいは死後の
 ことについて触れた歌と解釈するのは深読みでしょう。

○をじか

 雄の鹿のこと。萩は鹿が伏すことも多くて、それゆえに鹿の縁語
 であり雄鹿の花妻と解釈されてはいます。しかし雄鹿が鳴くのは
 実体のある雌鹿を求めてのものと解釈するのが自然です。

○宮城野の原

 陸奥の国の歌枕。後述。

○あだになりし

 意味がなくなった、無駄になってしまった、ということ。

○末の松山

 陸奥の国の歌枕。後述。
 
○雪の波こす

 春になって少しは雪が溶けて、溶けた跡は松の緑の色。消え残って
 いる雪を波の模様に見立てています。

○松島

 宮城県にある松島湾を中心とする一帯の名称。安芸の「宮島」、
 丹後の「天の橋立」とともに日本三景の一つです
 西行は松島まで行ったのかどうか分かりません。芭蕉も義経も
 多賀城→塩釜→松島→平泉のルートを採っていますので、ある
 いは初度の旅の時に同じルートをたどった可能性があります。
 
○雄島

 松島にある島の名称。松島海岸から近く、古くから仏道修行の
 地として有名でした。
 現在は橋がありますから渡渉できます。

○きさがた

 出羽の国の歌枕。現在の秋田県由利郡象潟町。

 世の中はかくても経けり象潟の海人の苫屋をわが宿にして
           (能因法師 後拾遺和歌集519番)

 象潟は上記歌によって有名となりましたが、1804年の地震に
 より、風景は一変してしまいました。

(1番歌の解釈)

 「秋風が吹き立った。ああ、宮城野の原ではどんなに草葉の露が
 こぼれているのだろうか。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

(2番歌の解釈)

 「宮城野の原では、萩の枝に露がたまる間もないほど絶えず秋風
 が吹いているが、その風に乗って牡鹿の鳴き声が聞えてくる。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

(3番歌の解釈)

 「たのみに思わせていた約束の言葉はいい加減なものであった
 のか、あの人の心は他の人に移って、末の松山も波が越えそう
 である。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(4番歌の解釈)

 「春になると、ところどころは緑色になって、雪のように白い
 白波の越える末の松山よ。」
        (渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)

 (5番歌と6番歌について)

 5番歌は西行上人集追而加書189首中の一首です。この集のみに
 しかない歌です。
 この集は他者の歌を西行歌として、あるいは他人詠の伝承歌を
 多く含んでいますので信用できないものです。
 5番歌は「和歌文学大系21」「西行山家集全注解」にも収録されて
 いません。
 窪田章一郎氏の「西行の研究」をはじめとして、いくつかの研究
 書・解説書にも記載がありません。安田章生氏著「西行」のよう
 に、歌が取り上げられていたとしても「西行作とは信用できない」
 ということが明記されています。
 佐佐木信綱氏が岩波文庫山家集に採録したのは、西行歌である
 確証は無いと認めた上で、この歌が西行歌として広く人口に流布
 していたという、そのことによってのみでしょう。

 6番歌は藤原氏流二条良基の蔵玉和歌集にしかありません。
 二条良基(1320〜1388)は室町時代初期の人で関白職にも就いて
 います。著作はたくさんあり、歌人としても素晴らしい活躍を
 しています。
 良基の蔵玉(ぞうぎょく)和歌集はまた(草本異名事)という
 別称もあるようです。良基は西行とはほぼ200年の隔たりがあり
 ます。蔵玉和歌集そのものがたくさんのミスがあるようですから、
 6番歌も西行歌とは認められないものと思います。
 
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◎ みさぶらひ御傘と申せ宮城野のこの下露は雨にまされり
              (詠み人知らず 古今集1091番)

◎ 小萩原まだ花咲かぬ宮城野の鹿やこよひの月に鳴くらん
                 (藤原敦仲 千載集218番)

◎ 浦ちかくふりくる雪は白波の末のまつ山こすかとぞ見る
                 (藤原興風 古今集326番)

◎ 白波のこすかとぞのみきこえけるすゑのまつやま松風の声
                   (能因法師 能因集)

◎ まつしまやをじまのいそにあさりせしあまの袖こそかくはぬれしか
                 (源重之 後拾遺集828番)
               
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  (2)宮城野について

みちのくを代表する歌枕として、平安時代の歌人達には、あこがれ
めいた思いが強くあったでしょう。京都からは余りにも遠い場所
ですが、「みやぎの」と口ずさむだけで、何かしらの憧憬があった
ものだろうと想像します。白河の関でも都からは遠いのに宮城野は
それよりもかなりの奥になります。
宮城野は要するに仙台平野を指しています。この平野はとても広い
ものであり、一度、旅の途中に立ち寄って見ただけですが、京都の
平野部よりは広いと感じました。「名取を越せば宮城野よ」という
言葉もあったらしくて、その通りだと思いました。

詳しくは宮城野区の榴ヶ岡という丘陵部から見ての東部の平野部を
指しています。榴ヶ岡は古来は躑躅の名所でしたが昨今は桜で有名
とのことです。ここは源頼朝との奥州合戦の時に藤原泰衡が陣地を
築いた場所でした。

宮城野と呼ばれる平野部に群生していた小萩は本荒「もとあら」の
小萩と言われていて、たくさんの歌に詠まれています。この本荒の
小萩が「宮城野萩」です。宮城野の原が宅地化されてしまった現在
では宮城野萩も自生種は殆ど姿を消したとの事です。

宮城野の歌は萩の縁語で鹿を組み合わせて多く詠われました。鹿は
萩から離れても詠まれるようになり、後には「露」「月」などが
取り合わせて詠まれるようにもなりました。

都名所絵図では「高台寺萩の花」として以下の記述があります。

 「西行法師、宮城野の萩を慈鎮和尚に奉りし、その萩いまに残り
 侍りしを、草庵にうつし侍りし。花の頃、その国の人きたり侍り
 しに、

 露けさややどもみやぎ野萩の花(宗祇)
 小萩ちれますほの小貝こさかづき(はせを)

(はせを)とは芭蕉のことです。

この萩が青蓮院に残っていて、花の季節には咲いているそうです。

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  (3)末の松山について

末の松山は陸奥の国の歌枕ですが、岩手県一戸町にある浪打峠を
いうとする説もあります。
宮城県宮城郡、現代の宮城県多賀城市の「末松山宝国寺」あたりが
比定されてもいます。芭蕉も「奥の細道」では、ここを「末の松山」
として訪ねています。
でも、どこなのかよく分らないというのが実情のようです。

陸奥のある地方に伝わっていた俗謡に

「君をおきて あだし心を われ待たば や なよや すゑの松山
 浪も越えなむや 浪も越えなむ・・・」

というのがあるそうです。芥川龍之介の作品に「偸盗=ちゅうとう」
という小説があり、そこに書かれているそうです。それが古今集の
1093番東歌、詠み人知らずとして収録されています。

 君をおきてあだし心をわがもたば 末のまつ山浪もこえなん

この歌によって、末松山宝国寺が歌枕の地として多賀城市に作られ
たようです。それが事実とすれば本末転倒ですね。
歌人達はこの歌を本歌として詠み、たくさんの「すゑの松山」歌が
詠われました。

歌の解釈は「愛しいあなたを差し置いて不埒な心を私が持って、他の
女性に心を移すようなことがあるとしたら、すゑの松山を波が越す
ような、ありえないことが起こるかもしれないです。私はそういう
ことはしたくありません。」
      (片桐洋一氏著「歌枕歌ことば辞典増訂版」を参考)

という程の意味となります。
一夫多妻制の当時のことですし、男女間における心の絆ということ
は個々の間では重視されていたには違いないはずですが、それでも
上の歌などになるとゲーム感覚みたいなものを感じずにはいられま
せん。常に移ろい行くのが男女の関係でもあるはずですが、歌だか
ら許される遊戯性、虚構性というものを私は感じてしまいます。

西行歌二首は現地詠ではなくて歌会などでの題詠のような印象を
受けます。二首ともに良い歌だということはできません。

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  (4)陸奥の国の主な歌枕(3)
   
 「宮城県」

 武隈の松・名取川・壷の碑・籬嶋・姉歯の松・緒絶えの橋・
 宮城野・松島・雄島・塩釜・野田の玉川・末の松山など。

○宮城野(宮城県仙台市の平野部のこと)

◎ 白露は置きにけらしな宮城野のもとあらの小萩末たわむまで
               (祝部成仲 新古今集1564番)

◎ 荒く吹く風はいかにと宮城野のこ萩が上を人の問へかし
               (赤染衛門 新古今集1819番)

○末の松山(宮城県多賀城市説が有力)

◎ 霞立つすゑのまつやまほのぼのと波にはなるるよこぐもの空
                (藤原家隆 新古今集37番)

◎ 老の波越えける身こそあはれなれことしも今はすゑの松山
                (寂蓮法師 新古今集705番) 

○野田の玉川(宮城県多賀城市)

◎ 夕されば汐風越してみちのくの野田の玉川ちどり鳴くなり
               (能因法師 新古今集643番)

◎ ひかりそふのだのたまがは月きよみゆふしほちどりよはになくなり
                (後鳥羽院 後鳥羽院集)

○塩釜(宮城県塩釜市)

◎ 陸奥はいづくはあれど しほがまの浦こぐ舟の綱手かなしも
            (詠み人知らず 古今集東歌1088番)

◎ 塩釜のまへに浮きたる浮島のうきておもひのある世なりけり
               (山口女王 新古今集1378番)

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  (5)雑感

遅くなってしまいました。
それというのもめっきりと夜に弱くなっていて、これまでは12時
過ぎからが資料読み、執筆タイムでしたが、今はもう12時には寝床
にもぐりこんで夢の世界をさまよっている始末です。
もう3ヶ月以上もこじらせたままでいっこうに治らない風邪の影響
があります。この5日ほどは風邪薬を服用しても解熱の効果はあまり
なくて、しばしば37度台後半になります。咳もひどいものになり
ました。ぶり返したのか・・・?不安です。

三年前に足跡を印した東北の地が懐かしく思い出されます。二泊
三日の小旅行でしたがなんとか松島は行きました。雄島には渡り
ませんでしたが多賀城には行きました。でも降雨のため多賀城では
博物館だけしか行きませんでした。
こうしてマガジンを書いてみると、行っていない所が多いことに
驚きます。
見逃した所を見たいとも思いますが、果たしてどうなのでしょう。
とりあえず来春の桜の頃に白河に行こうと今から意気込んでいます。

07年ももうすぐに幕を下して新しい年08年が到来します。
来年もなんとかうまく発行できると嬉しいことです。頑張ります。
この一年間のご愛読ありがとうございました。
皆様のご多幸とご健勝をこころからお祈りいたします。

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