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  ■■ 西行の京師(さいぎょうのけいし) ■■ 

   第 二 部         vol.34(不定期発行)  
                    2008年12月10日発行

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こんにちは。阿部です。
今年も余すところ三週間。
私はめったに四条や京都駅方面には出ないために街中の様子には疎い
のですが、いたるところにクリスマスツリーが飾られていて、街は
クリスマスムード一色になっていることと思います。
近くでもイルミネーションで飾っている家も多いのですが、今年は
昨年よりも軒数は少ないように思います。
こんなところにも今年の不景気が影響しているのでしょうか。

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   ◆ 西行の京師 第二部 第34回 ◆

  目次 1 美濃と飛騨の国の歌
     2 「まさき」について
     3 西行塚
     4 美濃と飛騨の国の東山道ルート
     5 美濃と飛騨の国の主な歌枕
     6 雑感

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  (1) 美濃と飛騨の国の歌

 (飛騨の国の歌)

 1 まさきわる飛騨のたくみや出でぬらむ村雨過ぎぬかさどりの山
           (岩波文庫山家集166P雑歌・新潮973番・
                西行上人集追而加書・夫木抄)

 この歌は新潮版では以下のようになっています。

  まさき割るひなの匠や出でぬらん村雨過ぐる笠取の山

 (美濃の国の歌)

 2 美濃の国にて

  郭公都へゆかばことづてむ越えくらしたる山のあはれを
   (岩波文庫山家集47P春歌・西行上人集追而加書・西行物語)

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○まさき

 後述。

○飛騨のたくみ

 飛騨の国から京都に来ていた建築関係の労働者を指します。
 律令の法制下、庸、調の代わりに都に来て、公役に従事して
 いた木工、大工などのことです。期間は一年交代でした。

○出でぬらん

 出て行ったのだろうか・・・という推量のことば。

○村雨

 驟雨・にわか雨・通り雨のことです。短時間に降ったり止んだり
 する雨をいいます。

○かさどりの山

 醍醐山の少し南にある笠取山のことと見られています。
 標高は370メートル。京都府宇治市に属します。
上醍醐寺のある醍醐山の古称が笠取山でしたが、西行の時代も
 醍醐山は笠取山とも呼ばれていたのかもしれません。

 (1番歌の解釈)

 「笠取山で柾をとる鄙の大工は、村雨に逢ったものの、その村雨
 も通り過ぎ、山の名のごとく笠を取って山を出たことだろうか。」
              (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 「神楽の採物に使うまさきを割って細工していた笠取山の大工は、
 無事に山を出られただろうか。神罰ではなかろうが、笠がないと
 つらい時雨が今通り過ぎたよ。」
 (神楽の採物との取合わせで飛騨の匠をいい、神話世界に擬す。)
                  (和歌文学大系21から抜粋)

 (2番歌の解釈)

 「ほととぎすよ、わたしより先に都へ行くのなら伝言を頼みたい。
 お前より山を越えるのがおそくなった私の旅の悲しみを伝えてー。」
          (桑原博史氏訳注 「西行物語」から抜粋) 

 (2番歌について)

 この歌は西行の家集や、信用できる勅撰集などにもありません。
 出典が西行上人集追而加書ですから西行の歌と認めてしまうのは
 危険です。他人詠が西行歌として入ったものとも思われます。
 新潮版山家集、和歌文学大系21、山家集全注解などの解説書にも
 記載はありません。

 西行は一再ならず東山道を通ったと思われますが、東山道本道の
 美濃の国の歌が家集にないのはなぜなのか、とても不思議なこと
 のようにも思います。

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  (2)「まさき」について

柾・正木と表記。ニシキギ科の常緑低木。高さ3メートル程度。
 海岸に多く自生する。庭木、生垣用に用いられる。
 葉は厚く長楕円形。6月頃に淡緑色の四弁花を多数つけ、冬に
 球形の果実が開裂して赤橙色の種子を出す。
                  (日本語大辞典を参考)

 上は「まさき」ですが、これとは別に「まさきのかづら」の歌も
 あります。「まさきかずら」の古名は蔦蔓(蔦。ブドウ科の落葉
 植物)です。また一説にテイカカズラのことを指すとも言われて
 います。しかしテイカカズラは常緑で紅葉しませんから、下の
 アの「かつらぎ」の歌は蔦蔓のこととみなして良いと思います。

 今号1番歌の「まさき割る」というフレーズは斧や鉈という道具を
 感じさせます。蔦蔓の場合であれば「割る」という言葉は合わない
 のではないでしょうか。よって蔦蔓とは違う可能性もあるのでは
 ないかと思います。
 和歌文学大系21では1番歌も蔦蔓のこととしています。
 
   かつらぎを尋ね侍りけるに、折にもあらぬ紅葉の見えけるを、
   何ぞと問ひければ、正木なりと申すを聞きて

ア かつらぎや正木の色は秋に似てよその梢のみどりなるかな
  (岩波文庫山家集119P羇旅歌・新潮1078番・夫木抄・西行物語)
               
イ 松にはふまさきのかづらちりぬなり外山の秋は風すさぶらむ
          (岩波文庫山家集89P秋歌・御裳濯河歌合・
                新古今集・御裳濯集・玄玉集)

ウ ~人が燎火すすむるみかげにはまさきのかづらくりかへせとや
             (岩波文庫山家集279P補遺・夫木抄)
              
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  (3)西行塚

 岐阜県恵那市の東山道ルート沿いに西行塚があります。
 東山道で言えば土岐駅と大井駅の間、中山道の宿場で言えば
 大井宿と大湫(おおくて)宿の間にあります。

 ここには西行坂・西行の森・西行硯水公園などもあります。
 また恵那市市内の長国寺には西行葬送の地の碑もあり、ご丁寧に
 位牌もあるようです。

 平泉からの帰途、3年ほどをこの地で過ごして入寂したという伝承
 に基づいてのものですが、西行塚は鎌倉時代の造営とも伝えられ
 ますから西行没後、早いうちに作られたものでしょう。
 それにしても実質的に美濃の国の地名入り歌がないのに、こう
 いう伝承が遺されているのは不思議と言えば不思議です。

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  (4)美濃と飛騨の国の東山道ルート

 信濃の国の神坂峠を越えてから近江の国に至る美濃国内の東山道
 ルートを記します。

 阿知駅(長野県下伊那郡阿智村)→坂本駅(岐阜県中津川市)→

 大井駅(恵那市大井)→土岐駅(瑞浪市釜戸)→可児駅(可児郡御嵩町)

 →各務駅(各務原市)→方県駅(岐阜市長良)→大野駅(揖斐郡大野町)

 →不破駅(不破郡垂井町)→横川駅(滋賀県坂田郡山東町) 

 飛騨の国への東山道ルート

 方県駅(岐阜市長良)→加茂駅(加茂郡豊加町)→武義駅(下呂市金山町)

 →下留駅(下呂市森)→上留駅(下呂市上萩町)→石浦駅(高山市石浦)

 美濃国内の東山道の駅は八駅。総距離数は約116キロメートル。
 美濃の国方県駅から飛騨の国府に近い石浦駅までは112キロメートル。
 石浦駅が東山道飛騨路の終点です。

 美濃国内の東山道ルートは江戸時代中山道ルートとおおむね重なり
 ます。ただし中山道の宿場は16箇所もあって、東山道の八駅の倍も
 あります。それだけ中山道は宿場間の距離が短いということです。

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  (5)美濃と飛騨の国の主な歌枕
   
 「美濃の国」

 不破関、筵田の伊都貫川など

○不破関(岐阜県不破郡関が原町。古代三関のひとつ)

◎ あられもる不破の関屋に旅寝して夢をもえこそとほさざりけれ
               (大中臣親守 千載集540番)

◎ 人住まぬ不破の関屋の板びさし荒れにし後はただ秋の風
               (藤原良経 新古今集1599番)

○筵田の伊都貫川(岐阜県本巣郡糸貫町)

◎ 君が代はいくよろづよか重ぬべきいつぬきがはのつるのけごろも
                (藤原道経 金葉集344番)

◎ むしろだやかねて千歳のしるきかないつぬきがはに鶴あそぶなり
                 (後鳥羽院 後鳥羽院集) 

 「飛騨の国」

 位山など

○位山(官の位階についていう言葉。山としては岐阜県高山市に
    ある標高1529メートルの位山のこと。)

◎ 位山花を待つこそ久しけれ春の宮こに年はへしかど
               (藤原実守 千載集1076番)

◎ くらいやま峰までつける杖なれどいまよろづよのさかのためなり
                (大中臣能宣 拾遺集281番)

◎ くらいやま跡をたづねてのぼれどもこを思う道になほまよひぬる
        (土御門内大臣「源通親」 新古今集1814番)

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  (6)雑感

米国発の金融危機のために未曾有の大不況に突入しているようです。
今後どのような展開になるのか予断を許さない情勢なのでしょう。
いずれにしても厳しい時代に直面しています。
私なども仕事が殆ど入らない状況が続き、非常に困っています。

過ぎ行く秋への惜別というほどのものではないのですが、今年は
たくさんの紅葉を見ました。
11月17日に愛宕山、清滝、嵐山。29日に大覚寺、清凉寺、天龍寺。
12月1日に浄住寺と西芳寺川周辺。3日に大原野神社と勝持寺。
7日にまた松尾大社から嵐山に出て宝厳院、大覚寺等々。
ことに勝持寺の紅葉のすばらしさには驚きました。花の寺ならぬ
モミジの寺にと変貌しているようにも思いました。

次号は東山道の初めの国として近江の国に触れるべきかとは思い
ますが、北陸道の歌を紹介します。そして一番最後に近江国を
取り上げます。

「西行の京師、第二部」の発行は今年はこれで最後となります。
この一年のご購読ありがとうございました。
良いお年をと願いあげます。

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