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  ■■ 西行の京師(さいぎょうのけいし) ■■ 

   第 二 部         vol.35(不定期発行)  
                    2009年01月17日発行

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こんにちは。阿部です。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

世界はアメリカ発の金融危機を端緒とする大不況の渦中にあります。
この一年は経済も社会も暗澹たるものになりそうだと予想できます。
そんな年にあっても、なんとか前向きの姿勢、明るい気持を忘れな
いで生活して行きたいものですね。私個人も自分でできることを、
できる範囲で頑張って、この一年を過ごしたいものと思います。

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   ◆ 西行の京師 第二部 第35回 ◆

 目次 1 北陸道の国々の歌(1)
     2 「越の中山」と「越の山」
     3 北陸道のルート(1)
     4 北陸道の国々の主な歌枕(1)
     5 雑感

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  (1) 北陸道の国々の歌(1)

1 かりがねは帰る道にやまどふらむ越の中山かすみへだてて
           (岩波文庫山家集24P春歌・新潮47番・
               西行上人集追而加書・夫木抄)

2 ねわたしにしるしの竿や立ちつらむこひのまちつる越の中山
      (岩波文庫山家集166P雑歌・新潮976番・夫木抄)

3 月はみやこ花のにほひは越の山とおもふよ雁のゆきかへりつつ
             (岩波文庫山家集258P聞書集241番)

4 たゆみつつそりのはや緒もつけなくに積りにけりな越の白雪
       (岩波文庫山家集99P冬歌・新潮529番・夫木抄)

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○かりがね

 渡り鳥の雁のことです。
 カモ科の水鳥「ガン」の異名です。
 帰る雁の場合は越路の越前の国を指すのが通例とのことです。
 「越の中山」は越後の国であり、少しくおかしいなと思わせます。
 そのあたりのことは西行は知らないはずは無かったでしょうし、
 承知の上で「越の中山」としたものでしょう。
 
○越の中山

 「和歌文学大系21」によると、新潟県妙高市の妙高山説が有力
 とのことです。諸説あるものと思います。
 妙高山は新潟県南西部にある山で標高2446メートル。スキー場、
 温泉などで有名です。

○ねわたしに

 新潮日本古典集成山家集では「嶺渡しに」とあります。

 「高い嶺から吹き降ろす風。峰から峰へと吹き渡っていく風」
                   (広辞苑から抜粋)

 「あらし吹く比良の高嶺のねわたしにあはれしぐるる神無月かな」
                (道因法師 千載集410番)
 
○しるしの竿

 目印に立てた竿のこと。山間での位置、道路などの位置及び、
 積雪量などを知るために樵などが立てた竿ということです。

○こひのまちつる

 一読して「こひ」が分りません。新潮版では「木挽き(こびき)
 待ちつる」となっています。「越の中山」が木挽を待っている
 というように、山を擬人化している歌です。

○越の山
 
 越路にある山を指していて、特定の山のことではありません。

○たゆみつつ

 たゆむこと。紐などがピーンと張っていないで、緩んでいる状態
 のこと。ここでは気持が冗漫になっていて、緊張感が無いという
 こと。

○そりのはや緒

 「はや緒」は、橇(そり)を早く進ませるために用いる綱のこと。
 橇を漕ぐときに橇の腕にかける綱のこと。

○越のしら雪

 場所不明。越路の雪のこと。白山を連想させます。

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(1番歌の解釈)

 「雁の一行は、秋に越えて来た越の中山が霞に隔てられて見えぬ
 ため、道が分らず、北国に帰る道に迷っていることであろう。」
              (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(2番歌の解釈)

 「吹きわたる風が雪を運んだので、木挽の入山を待つ越のなか山
 では、峰から峰へ竿を立てたことであろう。雪に埋もれた山路の
 目印として。」
              (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(3番歌の解釈)

 「月は都で、花の美しさは越の山で、と思うよ、雁が秋に来て
 春に帰るのを見ては。」
 △ 雁の往来を月花の名所を尋ねる行動とみなして詠む。
                 (和歌文学大系21から抜粋)

(4番歌の解釈)

 「まだつけなくてもよいだろうと油断して、橇を引く綱もつけて
 いなかったのに、早くも越路には真白に雪が積もったよ。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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  (2)「越の中山」と「越の山」

 「平安和歌歌枕地名索引」では「越の中山」の用例はありません。
 西行独自の用法だろうと思わせますが、この「中山」は上越市の
 妙高山とみなして良いようです。
 「中山」を「名香山」と書き表し、それを音読して「妙高山」に
 なったということが辞書や解説書にはあります。
 ただし他に異説もあるようで妙高山と断定するだけの資料はあり
 ません。
 尚、「妙高」とは、仏教の説く世界観で、世界の中心に聳え立つ
 山という意味があります。

 「越の山」とは越路にある山という解釈で良いと思います。特定の
 山のことではありません。ただし白山を指している歌が多いように
 思います。
 「平安和歌歌枕地名索引」では「越の山」は越中の国と越前の国の
 ニ国としています。このニ国の中に西行の「越の中山」歌があり
 ますから、あるいは「越の中山」も白山を指すのかも知れません。
 越路の中ほどの山という意味であれば、白山がふさわしいと思い
 ます。
 「越路」とは北陸道の古称であり、京都から新潟県までのルート
 の中にある道の全てを指しているともみなされます。
 「越の大山」という歌もあって、白山を指しているとも、愛発
 (あらち)山を指しているとも言われてます。ここでも両説が
 あるように「越の山」「越の中山」ともに特定することは不可能
 です。

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  (3)北陸道のルート(1)

北陸道の国は以下の7カ国となります。

 若狭の国(福井県西南部)
 越前の国(福井県東北部)
 加賀の国(石川県南部)
 能登の国(石川県北部)
 越中の国(富山県)
 越後の国(新潟県)
 佐渡の国(新潟県佐渡島)

北陸道の終点は伊神駅「新潟県西蒲原郡弥彦村」です。弥彦神社の
近くとみられています。
延喜式以前の北陸道は出羽の国が終点でしたし出羽の国の国府のある
「山形県酒田市城野輪」まで通じていたのですが、出羽の国が東山
道の国に組み込まれたことによって、北陸道は伊神駅までとなり
ました。別路として佐渡の国もありますが、ここでは割愛します。
北陸道終点の駅から京都の羅城門までの道筋を記します。

伊神駅(新潟県西蒲原郡弥彦村)→大家(新潟県三島郡和島村、

現、長岡市)→多太(刈羽郡西山町、現、柏崎市)→三嶋(柏崎市

半田)→佐味(上越市柿崎区)→水門(上越市中央)→名立(西頚城郡

名立町、現、上越市)→鶉石(西頚城郡能生町、現、糸魚川市)→

蒼海(西頚城郡青海町、現、糸魚川市)→佐味(富山県下新川郡朝日町)

→布施(黒部市荒町)→水橋(富山市水橋町)→磐瀬(富山市岩瀬)

→白城(射水郡小杉町、現、射水市)→日理(高岡市守護町)→

川人(西礪波郡福岡町、現、高岡市)→坂本(小矢部市蓮沼)→深見

(石川県河北郡津幡町)→田上(金沢市東山)→比楽(石川郡美川町、

現、白山市美川)→安宅(小松市安宅町)→潮津(加賀市潮津町)→

朝倉(加賀市橘町)→三尾(福井県あわら市御簾尾)

越後の国の伊神駅(新潟県西蒲原郡弥彦村)から、越前の国の最後の
駅である三尾駅(福井県あわら市御簾尾)までの距離数は313.3キロ。
京都の羅城門から越後の国の伊神駅までの総距離は478キロ。
この距離数は羅城門から秋田城までの東山道の半分以下になります。
羅城門から出羽の国秋田城までの総距離は約1040キロです。

西行が実際に北陸道を通ったことがあるのか否か判然としません。
歌数も少なすぎて、なおさら断定などできません。
越中や越前の国では西行歌碑もあり、伝承歌も遺されています。
2番歌などはいかにも現地詠かと思わせますが。しかし違うでしょう。
西行の時代はことに積雪量も多かったのですし、危険を犯してまで
冬の北陸道をたどったなどとは思えないことです。4番歌にしても、
都にいながらにして雪深い越路を思って詠んだ歌だと思います。
ただし雪の無い季節には北陸道の一部をたどった可能性もあると
思います。

「およそ越後の雪をよみたる哥あまたあれども、越の雪を目前して
よみたるはまれなり。西行が山家集、頓阿が草庵集にも越後の雪の
哥なし。此韻僧たちも越地の雪はしらざるべし」
      (岩波文庫 鈴木牧之編撰 「北越雪譜」から抜粋)

1番歌と2番歌が越後の妙高山とするなら、確かに鈴木牧之氏の言う
ように雪の越後の歌は無いとみなされます。白山を加賀の国として
も、実際には越の国より暖かな所にいて、越の国の深い雪を想像
して詠んだ歌なのでしょう。
                   
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  (4)北陸道の国々の主な歌枕(1)
   
1 越中の国(富山県)

 有磯の海・名胡の海・ニ上山など

○有磯の海

 原義的には荒い磯を指す普通名詞。
 歌では富山湾の雨晴海岸あたり(高岡市)を指します。

◎ かからむとかねて知りせば越の海の荒磯の波も見せましものを
                (大伴家持 万葉集巻十七)

◎ 荒磯海の浜のまさごと頼めしは 忘るることのかずにぞありける
                (読人しらず 古今集818番) 

◎ わが恋はありその海の風をいたみ頻りによする波のまもなし
                 (伊勢 新古今集1064番) 

◎ 早稲の香や分け入る右は荒磯海
                    (芭蕉 奥の細道)

○ 多胡の海

 富山湾の氷見市の海岸を指します。藤の花をテーマとして詠まれ
 ています。

◎ 藤波の影なす海の底清み沈著く石をも珠とぞわが見る
                (大伴家持 万葉集巻一九)

◎ ぬれつつもしひてやをらんたこのうらの底さへにほふ春の藤波
                   (順徳院 順徳院集)  

2 加賀の国と能登の国(石川県)

 味間野・能登・羽咋・白山など

○ 白山(しらやま)

 石川県、富山県、岐阜県、福井県にまたがる「白山」のことです。
 白山とは標高2702メートルの御前峰を最高峰とする五山の総称です。
 
◎ よそにのみ恋ひやわたらん白山の ゆきみるべくもあらぬわが身は
               (凡河内みつね 古今集383番)

◎ 白山にとしふる雪やつもるらむ夜半にかたしく袂さゆなり
                (藤原公任 新古今集666番)

越後の国と佐渡の国では著名な歌枕が見つかりません。
「平安和歌歌枕地名索引」でも(佐渡)の項に一首のみしかない
ために、ここでの記述はしません。
能登と加賀も越後と同様に著名な歌枕はありません。
白山は「越の山」「越の白嶺」とも詠まれていて、現在の福井県、
富山県、岐阜県、石川県の4県にまたがる山ですが、ここでは加賀
の国の歌枕としても取り上げます。ちなみに「白山」は能因歌枕で
は加賀の国、五代集歌枕では越前の国としています。
「越路」として次回に越前の国の歌としても取り上げる予定です。

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  (5)雑感

新しい年が明けました。それにしてもさすがに冬、寒いですね。
年毎に寒さに対しての耐性がなくなっているように感じます。

このマガジンは今年も続けて行くわけですが、昨年よりは若干
ペースが遅くなるかも知れません。中断や廃刊を余儀なくされる
事態にならない限りは、ずっと続けて行く予定です。

今号から北陸道の歌を紹介します。北陸道の国々の歌数が極端に
少ないので北陸道七ヵ国の歌を今回と次回に分けることにします。
その後に近江の国の歌を5回ほどに分けて書き上げてから、この
マガジンは終了します。

その後は京都の寺社に関する歴史読み物風のエッセイをと漠然と
考えていますが、ともかく「西行の京師 第二部」をしっかりと
書き上げてからのことです。

本日は関西の震災の記念日ですが、すでに14年も昔のことになって
しまいました。遠い昔の出来事ですが、災害に対しては常に心したい
ものです。
みなさんの、この一年のご健勝とご活躍を願いあげます。

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