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■■ 西行の京師(さいぎょうのけいし) ■■
第 二 部 vol.37(不定期発行)
2009年03月27日発行
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こんにちは。阿部です。
待望の桜が咲き出しました。
近くでは三分咲きから五分咲きという感じです。
昨年は三泊四日で東北に行き、ネットで探した安い宿に泊りながら、
東北の桜を堪能しました。
今年は桜を見ても浮かれる気持にはなりにくいのですが、それでも
京都市内の桜の名所を数箇所訪ね歩いてみたいものです。
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◆ 西行の京師 第二部 第37回 ◆
目次 1 近江の国の歌(1)
2 宗盛と清宗
3 近江の国の主な歌枕(1)
4 雑感
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(1)近江の国の歌(1)
1 おぼつかないぶきおろしの風さきにあさづま舟はあひやしぬらむ
(岩波文庫山家集169P雑歌・新潮1005番・
西行上人集・山家心中集・夫木抄)
2 くれ舟よあさづまわたり今朝なせそ伊吹のたけに雪しまくなり
(岩波文庫山家集169P雑歌・新潮1006番・夫木抄)
3 近江路や野ぢの旅人急がなむやすかはらとて遠からぬかは
(岩波文庫山家集124P羇旅歌・新潮1007番・夫木抄)
4 余吾の湖の君をみしまにひく網のめにもかからぬあぢのむらまけ
(岩波文庫山家集248P聞書集163番・
西行上人集追而加書・夫木抄)
5 折におひて人に我身やひかれましつくまの沼の菖蒲なりせば
(岩波文庫山家集47P夏歌・新潮204番・夫木抄)
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○いぶきおろし
伊吹山から吹き降ろしてくる風のこと。「颪=おろし」とは、
特に冬季の強く冷たい風を指します。
○あさづま舟
朝妻舟。古代から近世初頭まで琵琶湖北東岸の朝妻港(現在の
滋賀県米原町朝妻)と大津港を結んだ渡し舟をいう。東国と畿内
を行き来した旅人が、陸路をとらない時に利用したもの。実際に
遊女を乗せた朝妻舟もあったようです。
「妻」という名詞があることによって、謡曲の「室君」では、
遊女を乗せる舟とされています。
○くれ舟
「榑=くれ」とは山出しの板材を指します。平安時代の規格では
長さ十二尺、幅六寸、厚さ四寸と決まっていました。
山から切り出したばかりの材木との説(新潮版山家集)もあります。
その「くれ」を積んで運ぶ舟のことです。
(広辞苑 第二版を参考)
○あさづまわたり
琵琶湖東岸の朝妻港を起点にして他の港に舟で渡るということ。
○今朝なせそ
(今朝な寄せそ)の略で今朝は寄港したらダメです、という
希望なり警告なりの言葉。
○雪しまく
(しまく)は(風巻く)の文字をあてています。新潮版では
(し)は(風)の古語とあります。「雪しまく」で雪と風が
激しいさまを表し、吹雪のことです。
○伊吹のたけ
岐阜県と滋賀県の県境になる伊吹山のことです。伊吹山地の
主峰が伊吹山。標高1377メートル。
伊吹山には日本武尊受難の伝説があります。高山植物や薬草が
多いこと、降雪の多さなどで知られています。
山中のヨモギの葉から製造した「もぐさ」は(伊吹もぐさ)と
して古くから有名です。
行政区としての伊吹町は伊吹山西麓、滋賀県坂田郡にあります。
○あひやしぬらむ
遭うのかも知れないなーという想像、推量の言葉。
「・・・しぬらむ」は西行歌に四首あります。新潮版では
「・・・しぬらん」です。
○野ぢの旅人
現在の草津市(旧の滋賀県栗太郡)に(野路)という地名があり
ます。ここは六玉川の一つである「野路の玉川」があります。
ゆえに歌の「野ぢ」は固有名詞として詠まれています。
同時に(野道を行く旅人)という普通名詞としての意味も重ねて
いるものと思います。
ちなみに六玉川とは、井手の玉川(京都府綴喜郡)、野田の玉川
(宮城県多賀城市)、玉川の里(大阪府高槻市)、調布の多摩川
(東京都の多摩川流域)、高野の玉川(和歌山県高野山)に、
野路の玉川を加えた六箇所の玉川を指します。
○やすかはら
滋賀県野洲郡野洲町の野原のこと。あるいは河原の意味も込めて
いるのかもしれません。
「通行しやすい」という意味が掛けられています。
○余吾の湖
滋賀県にある余呉湖のことです。琵琶湖の北にあります。
賎が岳の古戦場で有名。
○君をみしまに
君を見ている間に・・・という意味です。「みしま」は
「三島」の掛詞のようでもありますが、この歌では掛詞である
理由がわかりません。
○あぢのむらまけ
「あぢ」はマガモより小さい「ともえ鴨」のことです。
「むらまけ」は語意不明。群れている様を指すのでしょうか。
群れがすばやく散る様を指すのでしょうか。
「むらまけ」は他に下の歌があります。
宇治川の早瀬おちまふれふ船のかづきにちかふこひのむらまけ
(岩波文庫山家集198P雑歌・新潮1391番・夫木抄)
○つくまの沼
近江の国の歌枕。滋賀県坂田郡米原町。筑摩江は菖蒲の名所です。
(1番歌の解釈)
「気がかりなことだ。伊吹颪の吹いて行く方向に、朝妻舟は
出会ったのではなかろうか。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(2番歌の解釈)
「くれ舟よ(皮付きの材木、榑を積んだ舟)朝妻の渡りを今朝は
渡るなよ。伊吹山に雪が激しく吹きまくるようだ。その風で航海
は危険だよ。(くれ と あさ と対照させている。)
(渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)
(3番歌の解釈)
「近江路の野路を行く旅人よ。急げ。野洲が原は行きやすそう
でも遠いよ。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(4番歌の解釈)
「余呉の湖の三島に引く網の目にもかからない味鴨の群れの
ように、あなたを見た間に私はあなたの目にかかることも
ない。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(5番歌の解釈)
「折しもちょうど端午の節句の日、あなたのお申し出にひかれ、
お引き受けしたいのですが、もし私が筑摩の沼の菖蒲でしたら、
人に引かれるでありましょうに。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
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(2)宗盛と清宗
近江国の地名は入ってはいませんが、次の詞書と歌をここで取り
上げます。
平宗盛と清宗が近江国篠原(滋賀県近江八幡市篠原町)で源義経
によって処刑されたことを知って詠った歌です。
八嶋内府、鎌倉にむかへられて、京へまた送られ給ひけり。
武士の、母のことはさることにて、右衛門督のことを思ふにぞ
とて、泣き給ひけると聞きて
夜の鶴の都のうちを出でであれなこのおもひにはまどはざらまし
(岩波文庫山家集185P雑歌・西行上人集)
○八嶋内府
平宗盛のことです。平清盛の三男で清盛死後に家督を継いで、
平家の統領となりますが、凡庸と評される人物です。母は平時子。
壇ノ浦の合戦で、息子の右衛門督(平清宗)とともに捕縛された
平宗盛父子は、源義経に伴われて鎌倉に下向します。ところが
義経は鎌倉に入ることを頼朝から拒絶されました。
宗盛父子は鎌倉に入ったのですが、また京都に引き返すことに
なります。帰京途中に、宗盛と清宗親子は近江の篠原(近江八幡市
篠原町)で斬殺されました。1185年6月21日のことです。
内府とは内大臣の別称です。宗盛は1182年に内大臣になりました。
この歌は1185年6月21日以降に詠われた歌であり、伊勢時代の歌と
みてよく、作歌年代が特定できます。
(平家物語を参考)
○鎌倉にむかへられ
罪人として鎌倉に護送されたことをいいます。
○右衛門督
右衛門府の長官を指し、官の職掌名のことです。
ここでは平宗盛の子供の清宗を指しています。父親の宗盛と同日
に近江の篠原で処刑されました。15歳(17歳説もあり)でした。
清宗の母は、西行とも親しかった平時忠の妹です。
源平の争乱の時代に伊勢に居住していても、西行は都にいた歌人
達だけでなく、様々な人たちとの交流が続いていたことを思わせ
る詞書の内容です。
いろんな情報が伊勢の西行の元に集まっていただろうと思います。
○夜の鶴
子供のことを思う親の気持ちの比喩表現といわれます。
白楽天の詩句「夜鶴憶子籠中鳴」から採られた言葉とのことで、
釈迦と関連する言葉である「鶴の林」とは関係ないようです。
「夜の鶴都のうちにはなたれて子をこひつつもなきあかすかな」
(高内侍 詞花集)
西行の歌は、上記歌を踏まえてのものでしょう。
○出でであれな
(都のうちを出ないで欲しい)(渡部保氏著「西行山家集全注解」)
という解釈と、(都のうちを出てあれよ)(和歌文学大系21)の
両方の解釈が成立するようです。
(詞書と歌の解釈)
(詞書)
「八嶋内府が鎌倉にむかえられて、京へまた送りかえされなさった。
武士の母はこうしたもので、覚悟の前とは言いながら右衛門督
のことを思うと悲しまずに居られぬと言ってお嘆きになったと
きいて。」
(渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)
(歌)
「夜の鶴は都の内を出ないで欲しい。そうしたら亡き子の悲しみ
には迷わずには居られよう。
(渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)
「夜の鶴(親)は都(籠)の内を出てあれよ。そうしたらわが子
への愛情に迷わないであろう。」
(和歌文学大系21から抜粋)
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(3)近江の国の主な歌枕(1)
伊吹山・朝妻・老蘇森・石山・逢坂山・鏡山・唐崎・信楽・志賀・
篠原・筑摩江・比良・三上山・野洲川・長等山・関山・鳰海など。
○伊吹・伊吹山(滋賀県と岐阜県の県境にある山)
◎ かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを
(藤原実方 百人一首51番・後拾遺集612番)
◎ 人も又かくやいぶきのさしも草おもふ思ひの身はこがしけり
(和泉式部 和泉式部集1545番)
○野洲(滋賀県野洲郡野洲町)
◎ うち渡るやすのかはらになく千鳥さやかにみえぬあけぐれの空
(源頼政 頼政集)
◎ 瀬をはやみ駒ひきなべしやすかはにふなわたりする五月雨の頃
(待賢門院堀川 待賢門院堀川集)
○朝妻(滋賀県坂田郡米原町朝妻)
◎ とりわけてあさづまぶねもすぎぬれば同じみをにぞ又帰りゐる
(慈円 無名集)
○筑摩(滋賀県坂田郡米原町。筑摩神社があります。)
◎ つくまえの底のふかさをよそながらひけるあやめのねにてしるかな
(良暹法師 後拾遺集211番)
◎ ひまもなくふりもすさめむ五月雨につくまのぬまのみくさなみよる
(源顕仲 堀川百首)
○余呉(琵琶湖の北にある町。余呉湖や賎が岳古戦場があります。)
◎ よもの海も風しずかにぞなりぬらし声をさまれるよごのうらなみ
(藤原俊成 長秋詠藻)
◎ 衣手によごのうらかぜさえさえてこだかみやまに雪ふりにけり
(源頼綱 金葉集297番)
○野路(滋賀県草津市野路)
◎ あすも来ん野路の玉川萩こえて色なる波に月やどりけり
(源俊頼 千載集)
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(5)雑感
近江は(滋賀県)は山城(京都)の隣だというのに、私は近江に
ついては殆ど知らないともいえるのが現状です。
比叡山には三度か四度は登っていて、比叡山からの近江平野を見て
もいますし、また若い頃に琵琶湖で数度泳いでもいます。
自転車で自宅から琵琶湖一周したこともあります。
でも明確な意図を持って訪ねたのは石山寺だけではなかろうかと
思います。
今回から近江の項を書くに当たって、自分が実際に現地に行って、
見て知っていることがあまりにも少ないことに困惑しています。
近いうちに少しでも歩いてみたいものです。
さて桜が咲きました。
皆さんにもこの年の桜を充分に楽しんでいただきたいものです。