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  ■■ 西行の京師(さいぎょうのけいし) ■■ 

   第 二 部         vol.38(不定期発行)  
                    2009年04月25日発行

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こんにちは。阿部です。
すでに桜も終ってしまいました。終わってしまったことに、ちょっと
した脱力感みたいなものを感じています。
しかしそれはそれで良いのでしょう。短い期間だけしか花が無いと
いうことが、否応もなく私たちを桜に向かわせる原因の一つである
はずです。一年中に渡って桜があると想像するだけで興醒めです
からね。

振り返ってみれば季節はいつだって足早に通り過ぎて行きます。
振り返るのは、あるいは詮無いことかもしれません。

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   ◆ 西行の京師 第二部 第38回 ◆

 目次 1 近江の国の歌(2)
     2 近江の国の東山道ルート
     3 近江の国の主な歌枕(2)
     4 37号の訂正
     5 雑感

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(1)近江の国の歌(2)

01 春あさみ篠のまがきに風さえてまだ雪消えぬしがらきの里
          (岩波文庫山家集15P春歌・新潮967番・
             西行上人集・山家心中集・夫木抄)

02 しがらきの杣のおほぢはとどめてよ初雪降りぬむこの山人
          (岩波文庫山家集100P冬歌・新潮1483番)

03 雪とくるしみみにしだくから崎の道行きにくきあしがらの山
          (岩波文庫山家集16P春歌・新潮975番・
             西行上人集追而加書・夫木抄)

04 篠原や霧にまがひて鳴く鹿の聲かすかなる秋の夕ぐれ
          (岩波文庫山家集68P秋歌・新潮438番・
                西行上人集・山家心中集)

   覺雅僧都の六條の房にて、忠季 宮内大輔 登蓮法師なむど
   歌よみけるにまかりあひて、里を隔てて雪をみるといふ
   ことをよみけるに

05 篠むらや三上が嶽をみわたせばひとよのほどに雪のつもれる
          (岩波文庫山家集261P聞書集256番・
             西行上人集追而加書・夫木抄)

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○篠(すず)

 細い竹のことです。篠竹。

○しがらきの里

 滋賀県の南部にある町。甲賀郡信楽町。信楽焼きの町です。
 聖武天皇が紫香楽宮を築いたことでも知られています。

○杣のおほぢは

新潮日本古典集成山家集でも和歌文学大系21でも(おほぢ)は
 「老爺」と解釈しています。
 (杣)は杣山を生業とする樵などのことを指しますから、
 (杣のおほぢ)は、老人になった樵のことです。

○むこの山人

 婿の山人のこと。
 岩波文庫では(むその山人)とも読めますので、60歳になる山人
 という意味になりますが、この解釈では無理があると思います。
 いずれにしても、とても分りにくい歌だと思います。

○しみみにしだく

 (しみみ)は、(繁みに=しみみに)であり、限られた場所に
 ぎっしりと一杯に詰まっていること。
 (しだく)は、踏みつける、踏み折る、という意味があります。
 (しみみにしだく)で、ぎちぎちになるほどに踏み固めること。

○から崎

 琵琶湖西岸の地名。大津市唐崎のことと見られています。
 「から崎」は夫木抄では「かささき」となっています。地名
 ではなく「風先き」の意味です。
 新潮版でも「かざさき」としています。

○あしがらの山

 神奈川県(相模)と静岡県(駿河)の県境にある足柄山のこと。
 箱根外輪山の金時山の北に位置します。更級日記に足柄山の
 遊女の記述があります。 
 松屋本山家集では「あしがらの山」は「しがらきの山」となって
 いて「から崎」とは同じ近江なので距離的に合います。

○篠原

 篠竹の茂っている原のこと。
 固有名詞としては滋賀県近江八幡市篠原のことかと思います。
 野洲郡野洲町にも「大篠原」「小篠原」の地名があります。

○霧にまがひて 

 霧に紛うこと。霧が深くて道に迷うこと。
 ここでは鹿の声も姿も深い霧にまぎれて、霧の中に溶けこんでいる
 という解釈が自然だと思います。

○覺雅僧都

 六條右大臣源顕房の子。神祗伯源顕仲の弟。

 覺雅僧都は堀川局、兵衛の局、源忠季などの叔父にあたります。
 1146年の8月に57歳で没しています。1146年は西行29歳ですから、
 覺雅僧都の六條の房での歌会は西行の若い時代の歌であることは
 確実です。

○六條の房

 平安京の六条大路に面した屋敷のはずですが、場所の特定は
 不可能です。

○忠季

 源顕仲の子。待賢門院堀川や兵衛局の兄弟。覺雅僧都の甥。
 この歌会の時には宮内大輔であったのか確認できていません。
 最終官職が宮内大輔だったようです。
 父の源顕仲は1138年、75歳で没。忠季は1150年頃までには死亡した
 ものと思われます。

○登蓮法師

 出自、経歴は不明です。勅撰集に19首入首しています。

○篠むら

 不明。夫木抄に「しのはら」とあり、篠原の誤記説が有力です。
 篠原は滋賀県近江八幡市にある地名です。

○三上が嶽

 近江平野にある三上山のことです。標高432メートルで、その優美
 な山容から近江富士と呼ばれます。この山には藤原秀郷のムカデ
 伝説があります。
 講談社の「日本語大辞典」では標高432メートル、山川出版社の
 「滋賀県の歴史散歩」では標高427メートルとあります。

(01番歌の解釈)

 「春浅く、篠竹の垣に風が冷たくさえて、まだ雪の消えない信楽
 の里よ。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
                
(02番歌の解釈)

 「木樵の婿よ。老人が信楽の山に入るのはもう止めた方がいい
 でしょう。初雪も降ったことだし。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

 「信楽の樵夫の婿よ。老人が山へ行くのを止めなさい。初雪が
 降ったことだ。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋) 

(03番歌の解釈)

 「解けかかった雪をぎしぎしと踏み固めながら足柄峠を越えて
 行くが、風上に向かう道はとてもあるきにくい。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

 この歌は夫木抄にもある歌ですが、不可解な歌です。「から崎」
 を滋賀県大津市の唐崎とすれば、神奈川県(相模の国)にある
 足柄山とは距離的に整合しません。夫木抄や新潮版にあるように
 「から崎」を「風先」と解釈するのが自然かと思います。
 「から崎」とするなら「しがらき(信楽)の山」が合いますが、
 しかし唐崎と信楽も少し距離があります。
 どちらにしても二つの地名を詠み込むことの必然なり、おもしろさ
 なりを感じさせてくれません。

(04番歌の解釈)

 「篠原では霧に迷って鳴く鹿の声が夕暮れにはかすかに聞えて
 くる。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

(05番歌の解釈)

 「歌の自然詠は、把握のしかたが新しくて強い。初句は「夫木抄」
 に「しのはらや」とあり、「三上が嶽」とともに近江であるから、
 「夫木抄」のほうがいいであろう。一夜は一節(よ)に音が通って
 篠の縁語、三上と一夜は、一と三の対照など、理知的な修辞が
 用いられていて、いかにも歌会むきの作品であるけれども、それを
 目立たぬまでに、強い調子で素朴に歌っているところに新しさが
 ある。」
            (窪田章一郎氏著「西行の研究」より抜粋)

 「篠むら」は「篠群(しのむら)」でも良いですし、夫木抄の
 「しのはら」でも差し支えないと思います。普通名詞として読めば、
 「しのはら」も「しのむら」も篠が群生している場所を指します
 ので、どちらであっても意味は通じます。「三上が嶽」があります
 から地名の「篠原」と解釈した方が、歌の収まり具合が良いかとは
 思います。

(三上山のムカデ伝説について)

 西行の祖である藤原秀郷が近江の国三上山に住み着いていたムカデ
 を退治したという伝説があります。
 室町時代にできた「俵藤太絵巻」によって喧伝されたものです。
 琵琶湖の竜神の要請によって、三上山を七巻き半するという巨大な
 ムカデを藤原秀郷が強弓によって滅ぼしたという伝説です。
 どういう意図によってこういう伝説が作られたものなのか私には
 よく分っていません。

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  (2)近江の国の東山道ルート

不破駅(岐阜県不破郡垂井町)→横川駅(滋賀県坂田郡山東町)→

鳥籠(とこ)駅(彦根市正法寺町)→清水駅(五個荘町清水)→

篠原駅(野洲郡野洲町小篠原)→勢田駅(大津市瀬田神領町)→

羅城門(京都市南区唐橋羅城門町)

延喜式における近江の国内の駅は、上記のように勢田、篠原、清水、
鳥籠、横川の五駅です。
京都の羅城門から近江、美濃の国境までの距離数は90.7キロメートル。
このうち羅城門から近江の国境までの山城の国の距離数13キロほどを
引くと、近江の国東山道の総距離数は80キロ弱となります。

江戸時代の中山道の近江の国のルートも併記しておきます。

垂井宿(岐阜県不破郡垂井町)→関が原宿(不破郡関が原町)→

今須宿(不破郡関が原町)→柏原宿(滋賀県米原市柏原)→醒井宿

(米原市醒井)→番場宿(米原市番場)→鳥居本宿(彦根市鳥居本町)

→高宮宿(彦根市高宮町)→愛知川宿(愛知郡愛荘町)→武佐宿

(近江八幡市武佐町)→守山宿(守山市守山)→草津宿(草津市草津)

→大津宿(大津市札の辻)→三条大橋(京都市中京区)

江戸時代の中山道の場合は柏原宿から大津宿までの10箇所の宿場が
あります。
柏原宿から大津宿までの距離数は83キロ。東山道の方が少し短いのは
ルートが部分的に少しずれているからだと思います。

平安末期から鎌倉時代にかけては、鈴鹿越えよりもこの美濃路の
ルートの方が官道として賑わいました。
当然に江戸時代と平安時代・鎌倉時代とはルートも宿場も変化があり
ます。
平安から鎌倉期にかけて、阿仏尼の「十六夜日記」、その他「義経記」
などの書物によって、江戸時代にはない「境宿」「小野宿」などが
あったことが知られています。

大津宿と三条の大橋の間には「逢坂の関」が古代にはありました。
そのことについては40号に記述します。

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  (4)近江の国の主な歌枕(2)
   
 伊吹山・朝妻・老蘇森・石山・逢坂山・鏡山・唐崎・信楽・志賀・
 篠原・筑摩江・比良・三上山・野洲川・長等山・関山・鳰海など。

○信楽(滋賀県甲賀郡信楽町)

◎ 昨日かもあられふりしはしがらきのと山の霞春めきにけり
                 (藤原惟成 詞華集2番)

◎ しがらきのとやまの梢そらさえてかすみにふれる春の白雪
                  (藤原家隆 壬二集)

○三上山(野洲郡野洲町三上)

◎ 常盤なる三神の杉村や八百万世のしるしなるらむ
                (藤原季経 千載集640番)

◎ ちはやぶる三上の山の榊葉は栄えぞまさる末の世までに
               (大中臣能宣 拾遺集601番)

○篠原(滋賀県近江八幡市篠原町)

◎ 逢坂や旅ゆく人の篠原に一夜は宿にとらぬものかは
                 (藤原実頼 清慎公集)

◎ うちしぐれふるさと思ふ袖ぬれて行く先遠き野路の篠原
                 (阿仏尼 十六夜日記)

○鏡山(滋賀県蒲生郡竜王町と野洲市の境にある山。
    標高385メートル)

◎ 立ち寄りて見るとも知らじ鏡山心の中に残る面影
            (後深草院二条 とはずがたり)

◎ 曇なきかがみの山の月を見て明らけき世を空に知るかな
              (藤原永範 新古今集751番)

◎ 鏡山ひかりは花の見せければちりつみてこそさびしかりけれ
               (藤原親隆 千載集105番)

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  (4)37号の訂正

 37号の(1)近江の国の歌(1)、「野ぢの旅人」の項で、以下の
 ように記述しました。
 
【ちなみに六玉川とは、井手の玉川(京都府綴喜郡)、野田の玉川
 (宮城県多賀城市)、玉川の里(大阪府摂津市)、調布の多摩川
 (東京都の多摩川流域)、高野の玉川(和歌山県高野山)に、
 野路の玉川を加えた六箇所の玉川を指します。】

 このうち、「玉川の里(大阪府摂津市)」は「玉川の里(大阪府
 高槻市)」の誤りです。摂津市は高槻市です。
 お詫びして訂正します。

 高槻市在住のN様、吹田市在住のT様。
 御指摘、ご教示ありがとうございました。

 高槻市の玉川の里は卯の花の名所ということでもありますし、
 花が咲いてから行ってみたいと思います。
 
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  (5)雑感

四月もまもなく終りです。世はゴールデンウイークに突入ですが、
この時勢下ではゴールデンウイークも関係ない方も多いものと
思われます。

桜が終わったと思ったら、次から次にと新しい花が咲いてきて
います。ツツジ、ボタン、ハナミズキなどが眼を引きます。
私は花の写真が楽しみで、いや、正確に言うと、もう写真撮影が
中毒になってしまっていて、時間があればカメラをぶら下げて
近隣を徘徊しています。
これは楽しいことには違いないのですが、その分、マガジンの
資料を読んだり添削したりという時間がなくなります。
それはそれで困ったことでもあります。
なんとか軸足を勉強のほうに戻すように勤めます。

とはいえ、花が私を呼んでいるようにも思うのは、中毒者ゆえの
感覚でしょうか。

次号は発行が少し遅れて6月末頃になる可能性があります。