の血管までもが、きしみの音を伝えてくる。糖衣にくる
まれている私の微温的な日常や感性や自己愛が色
を失っていく。思考のレベルが急激に落下する。逆に
高ぶる感情を自覚する。

五センチ四方ほどの不定形な琥珀の中に五匹の蚊
がいる。蚊はそれぞれの生を琥珀の中に移して、
それぞれの姿勢で数千万年の時間を過ごす。西暦
1994年という現在に生息する蚊と寸分違わない
大きさで、劣化することもなく、それぞれが生をその
まま持続して生々しい。琥珀の封印を解けば、その
まま飛び立ってしまいそうなほどに、生きている状態
を保ったままの生々しさだ。

ひたすらに 私の意識は蚊の眼球に捉えられる
黒光りする眼球は闇をはらむ
黒漆を溶いたような深い闇だ
親しげに すべてを許容しているような闇を
見つめ続けていると
逆に 見つめているはずの私は闇に射すくめられ
琥珀の中の蚊の眼という一点に開く
底のない静かな闇の中に落ちていく
薄い霧に閉ざされているような
あるいは 羊水の中でたゆたっていると思えるような
不思議な感覚だ

何体かのミイラを見たことがある。多くは男性の即身
成仏体。いわゆる即身仏だ。彼らは例外なくある種の
メッセージを発し続けてはいるが、極言すれば、以前
に人間であったというだけの炭化物に過ぎない。肉体
の消滅を禁じられて、過ぎ行く時間を際限もなく取り込
むための受容器。精神と肉体を厳しく分別し、かつて
ヒトの肉体だったものの標本。果てもなく水分を揮発
させ、劣化してしまった物体。その体現するものは生
の死?あるいは死の生?もしくは死の死?
人知れず4千年の死を地中で生き続けた中国ロブ
ノ−ル、「楼蘭の美女」も、今の人々の好奇の眼差
しを浴びるために現れた。そして、あからさまに肉体
の死を主張する。彼らは等しく生の闇を隠し、生の
混沌を隠し、その態様はあまりにも明晰な、明晰
すぎる偽善でもある。

私はホモ・サピエンス。ヒト科ヒトという種族のモンゴ
ロイド。ジャパニーズ。オスである。1994年現在四
十五歳。いまだ存命中。混沌の内にある。それが私
の存在を示す全てである。時間の帯の上で、数瞬
のみを留めているばかりで、無論、刺すための針は
持たない。
補完的に言えば、自身を豊かにするために今まで
生存したという自負を持つも、四十五歳はひどい。
羞恥や幻想の楼閣のうえに四十五歳という高齢が
ある。

私は私の内にある混沌を尊ぶ
ロジックとしての混沌はすばらしい
ある種の「不明である」ということと同様に
それは 私における例えようもない財産だ
豊かさや可能性にいたる
私に許されている財産だ

私は脳を病む。制御できないほどに、ばらばらに活動
する様々な想念を密閉し、それらの相乗作用に
よって、薄い霧に閉ざされたように明晰さを失わせて
私の脳は病む。脳は数千年の記憶をたたえてある。
いや、五十万年も前の地層から蘇る「原人」あるいは、
それ以前の人類と呼べる生物が初めて誕生した瞬間
から、私達の脳には茫々とした時間の堆積があり、
それを私の脳は記憶しているのだろう。デジャビュ=
既視感という錯覚の多くはそこに起因していて、ひとつ
の強い想念として折りに触れ浮かび上がるのだ。
堆積された鬼子のような血の記憶。私にまでいたる夥
しい人々が、私に向かって数珠つなぎになって歩いて
くる光景が見える。それらの人々に降り積もり、そして
私の脳が曳航する時間の蠢動。それは純然とした
病理としての脳の病だ。

ゆえに誰もが病む脳を持ち
病む可能性のある脳を持ち
脳を持つことを病んでいる
脳の瞬間 血の永遠
血の永遠にこめられた情念が
脳を支配する
病む脳が私達の生の悲劇を演出する
ヒトが脳をもつことが
私たちに約束された悲劇である
悲劇を裁断する装置として
肉体は消滅する
それは必然をもって私たちに約束されている

遠目には泉のように見える、地衣類の敷き詰めて
いる地平がある。強くもなく弱くもない陽の光のもと
で、ただ地衣類ばかりの緑の中に私は座す。病ん
でいる脳にさえ快く感じられる地平だ。何物をも
峻拒するという、それ自体が宿痾の一人だけの
地平だ。いつか、永く忘れていて思い出すことさえ
なかった潮騒が、なつかしい響きを伝えてくる。
潮の匂いで鼻腔が満たされる。それは徐々に身体
の中に満ちてきて、かろうじて残る私の内にある潮
と共鳴する。それに、意識を委ねきることの至福。
私の身体を取り囲むように、やわらかな風が吹いて
いく。四十六億年の母胎の茫漠の歴史を見つめ続
けてきた風が、劫初からの連綿とした息吹をはらん
で、私の身体を吹きぬけていく。風はオルフェの歌
を歌って過ぎていく。ヒトに許される時間を超えて、
風はただ風のフィルドでオルフェの歌を歌って過ぎ
ていく。
混濁とも明晰ともいえない、薄い霧に閉ざされた
ような私の脳の中で、彼の蚊たちだけが澄明な世界
に遊んでいる。たかが蚊ではあるけれど、琥珀の
なかの五匹の蚊は、偶然と必然が重なり合い
織りなす世界での、例えようもない真実を私に伝える
ために、私の掌の中にあるようにも思える。

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